PandoraPartyProject

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そして、みんなは幸せに暮らしました――

登場人物一覧

ルミエール・ローズブレイド(p3p002902)
永遠の少女
ルミエール・ローズブレイドの関係者
→ イラスト

「大丈夫かい」
 そう聞いたのは失敗だったかな。
 だってそうしたら、君は「大丈夫よ」と答えるに決まっているものね。
 あるいは「なんでもない」かな。「ルクスがいるもの……」かもしれない。
 ルミエールの返答を思い浮かべながら、ルクスはルミエールに寄り添っていた。いつかのように、体温を二人分に分け合いながら……。それはいつのことだったか。ルミエールの遠い記憶が懐かしさを告げた。
 昔にも、一人だったとき。誰かが傍にいた気がする。
(ううん……)
 けれども、それ以上は考えることはしなかった。今、何かを考えてしまえば、余計なことまで考えが及んでしまいそうだった。
 二人で一つ。子供で大人。大人で子供。ルクスが傍にいなくては、ルミエールは自分を保てない。
 ルクスがルミエールの傍にいるのは、ごく当たり前のことなのだ。
″魔法使いのムスメ″は、ルクスの毛皮の柔らかさに縋るように、そっと細い指を添えた。
 ルミエールは、ルクスの鼓動を感じ取り、呼吸をひとつすませると、「ええ」、と、透き通ったガラスみたいな、きれいな声で返事をする。
 それから、仲間を振り返るときには、花がほころびるように微笑んだ。
 まるで、なんてこともなかったように。
「大丈夫よ?」
「そう?」
 ルクスはすっと目をすがめる。
 そうやって言葉を呑み込んで、君はカンペキを保ち続ける。
 ひとつたりとて汚れのない色白の肌。バターを溶かしたような金の髪。誰かの幸福を願うための両手は、戦いで傷ついていたけれど、血液を拭い去ってしまえば、もう、君が傷ついたことを誰も知らなくなる。
 もしも外から、心が見えたらね。
 君がずっとずっと、いまでもずっと。すぐにでも叫びそうなほど、傷ついているのに、誰かが気がついてくれるだろうか。
 けれども君は、長く生きている分、平気なフリがとっても上手だ。
 君は愛を願い。愛だけを願い、平和を願い、人の幸せを願い、祈り、理想を謳い。
 思考を、ぜんぶ白く塗りつぶしていく。

***

 さて、さっきの依頼はとんでもなくひどい結末だったね、ルミエール。
 ひどい結末といったって、失敗したわけじゃない。むしろ、結末はこれしかなかったといえる。
 反転し、ひとたび魔種に身を墜とした者を、元に戻す方法など存在しないのだからね。

「病が治る」と魔種にそそのかされて、父を差し出した愚かな娘。
 魔種によって反転してしまった父親は、この世界のルールでは「世界の敵」だ。
 零れた水は、もう元には戻らない。
 ただ、悲しみをこれ以上広げないための願い事。そんなモノが、世の中には多いね、ルミエール。
 本当は、時間だけがかけがえのない損失を埋め合わせるのだけれど、君は諦めることをよしとはしない。忘れることをよしとはしない。全部が大切で、もうぜんぶ失われてしまったはずなのに、手放すことができない。
 壊れて欠けて失ったその心の痛みを、他の何かで上書きしたりはしない。何よりもかけがえがなくて、替えがきかないと知っていた。

 これ以上悲しいことが起こらないようにすること。
 それが最良の結末だと、依頼を受けた時、君はさいしょから分かっていたはずだ。
 君は賢い魔女だから、『最善でも』こうなることは分かっていた。
 でも、どうしようもなくずっとずっと女の子だから、『もしかしたら』とも思ってしまったんだね。
 もしかしたら、ぜんぶ、丸く収まるんじゃないかって。
「めでたしめでたし」のハッピーエンドがあるのではないかって。
 この世界は奇跡と祝福で満ちているって思っていた。
 狂った父親は元に戻って、魔種は改心して、戦いをやめて。誰も傷つけ合わない世界があって、仲直りのハグをして――ぜんぶぜんぶ、元通りになるんじゃないかなって考えてしまう。
 そうしたら、綺麗なめでたしめでたしだ。

 ああ、父を亡くした愚かな娘がいる。
 泣いているから、悲しんでいるのかな。ええと……だよね?
 彼女は亡骸に泣きついていた。あの体だけでも戻ってきたのが、良かったことかもしれないね……。なんてことは、ルクスは言わなかったけれど。
 これだって。父親を助けようとした娘が助かっていたのはほとんど奇跡といってもよくて。考え得る限りの、じゅうぶんなハッピーエンドであるはずなんだけどな。
 夢見る少女は欲張りで、いつだって、カンペキなハッピーエンドを思い浮かべている。
 愛する者が誰一人として欠けず、また、苦しまない、そんな世界を夢想してしまう。だから、君は心から喜ぶことができない。
 もっともっと愚かな女の子だったら。もっと何も考えていない少女だったら、この結末を見て、「よかった!」って笑えるのに。
 もしも父親を助けられたとしても、君はまだラクにはなれない。
 父親をそそのかした魔種のほうも、君の愛の中に含まれている。
 魔種なんて敵だと割り切って、そいつのことを考えなければいいのに。

『とうさま、とうさまぁ』

 愚かな女の子の声を聞いて、ルクスに縋りつくことでなんとか保っていたルミエールの正気がぐらりと揺れる。
 他人のことなのにね。
 ルクスは思った。
 それは目の前の愚かな娘のストーリィであって、ルミエールのものじゃないのに。それでも、他人の物語を、少女の感性は強く強く受け止めてしまう。壊れやすくて感じやすい、ガラスのような心は、人の感情を鏡のようにうつしとって、痛みを引き取って、自分の事のように心を痛めてしまう。
 優しい子だから。優しくって、欲張りな魔女だから。
 誰かの憎しみを感じ取るたびに、ルミエールの心はひび割れる。憎しみは強い感情だね。純白の心に、一滴、黒いインクを垂らしたように、じわじわ、じわじわと染まっていく……。

 ここが、境界。
 甘やかな魔法の限界点。
 どんなに素晴らしい魔法使いだって、その線引きの向こうには立ち入れない。

 ニンゲンはね、と、ルクスは思う。良いことも悪いことも、善悪も同時に併せ持っている。けれども、魔女はあまりに純粋で欲張りでカンペキだから、そうなれはしないのだ。

「哀しいね」
 ルクスの言葉は、どこか空々しく響いた。言い換えれば夢うつつで空虚だった。幻想であり、理想じみていた。砂浜に埋もれるガラスのように綺麗だった。だからこそ心惹かれてしまうような、そんな響きを伴っている。
 ぱきりと、少女の心に取り返しのつかないヒビが入って割れてしまう前に、ルクスはルミエールの負の感情を奪い去る。
 ルクスの四肢の炎がぼんやりと揺れる。青白い炎はより一層あたたかく燃え上がる。
 ルミエールの心には、こんな色がついているのかな、とルクスは思った。憎しみはどんな色をしているのかな。それは、暗い色をしているのかな。君の頭の青い薔薇よりも?
 ルクスの中で、奔流する魔力が、ふわふわ揺れている。長生きするうちに、ルクスは、いつしか、ルミエールがずっと小さく見えるようになっていた。勿論実際にそういうわけではなくて、力関係の話だけれど。
 それでも、ルクスは、ルミエールの使い魔だ。
 使い魔であることを選んでいる。
「ねぇ、ルミエール。
 ニンゲンであったなら、いつか、大人になる日が来るのにね。
 ゆりかごの時代は終わって、ゆっくりと大人になって」

 ずっと良い子ではいられないことがわかって。毎日、笑って暮らすことなんてできないって気がついて。ほんとうは、大人が、自分が小さいころ思っていたほどには絶対じゃないと気が付いて。ニンゲンは大人になるのにね。
 お菓子みたいに、最初から最後まで幸せなものなんてなくて、良いことも悪いこともあるんだって気がついて。きっと大人になるのにね。

 二人は一つ。ネヴァーランドが、カーテンの隙間から入り込む月光で少しだけ交わって……少女の影はゆっくりと伸びて、それから、その光景は幻であったように消え去ってしまう。
 
「全てを愛せないことは、罪じゃない」
 全てを愛すだなんて、悠久を生きる魔女となっても、どうしようもなくニンゲンな君には過ぎた祈りだ。ルミエールはルミエールだった。少女はルクスと離れ、また少女に戻る。
 例え在り方が変わっても誰も君を責めやしないだろうに。
「それでも私は私のままで世界を見届けてみたい」
 まっすぐに言う。
 それが愚かしくて、けれども純心で。変わらない少女。変われない少女。この世のすべてが、善いもので生きていればいいのにね。誰もがみんな、愛し合っていればいいのにね。ケンカしても、ハグで仲直りできる世界だったらいいのにね。
 全てが永遠で、失われない世界だったらいいのにね。
「苦労をかけてごめんね」
 と、ルミエールは苦しそうに言うのだ。
 構いやしないよ、と、ルクスはまた全身を預ける。そんなこと、苦労のうちにも入らない。
 でも、きっと「誰も彼もが幸福な世界」などあり得ないって、どこかで気がついているのかな。
 どうしようもなくムジュンしていると、君は知っているのかな。
 世界はきっと、それ程優しくは出来ていない。
 少女がずっと少女でいられるほどに綺麗な世界じゃない。
 けれど。やっぱり、この世界は確かに数えられないくらいの幸福があって。人を人が思いやる愛があって。
 だからこそ、夢見ることをやめられないんだね。
――まるで、醒めない悪夢の様に。
「それは、ちっとも構いやしないけれど。こうしているうちにも擦り減っていく君の命が少し惜しいな」
「命?」
 限りある命。
 ニンゲンの理を超えてしまって、もう、感じられなくなったもの。
 それでも、ルミエールはあたたかかった。

***

 ルミエールは平和を愛している。
 大切な人。愛されるべき人が苦しまずに、幸せに生きるお話が好き。
 だからこそ、その純粋な心は悪を憎む。

 世界を滅びへと向かわせて、不幸を撒く存在は敵だ。ルミエールは容赦なく鉄槌を振るう。けれども敵すらも、彼女は愛していた。

 ルミエールは「悪」くて、ルクスは「良い」。

「……」
 魔種を前にするたびに、ルミエールは揺らいでいく。
 よく観察してみると、彼女の心は公平な天秤じゃあない。
 そこには、少女らしい選り好みがあって、お気に入りがあって、好きと嫌いがあって。それは公平ではなくて。それでも全てを愛していると信じていて……それを、誰が責められるんだろう。
「あの女の子は感謝してたよ」
 魔種を殺しても、殺さなくたって。どちらにせよ、ルミエールは夢でうなされる。成功なんてないのだ。完全なのは、夢の中だけ……なのに、夢の中だからって思い通りになるわけではなくて。

 昔の夢を見る。
 深い深い森の中で、泣いていたのはだあれ。
 なんにもできないくらいのその子をくらやみに打ち捨てたのも、その子をくらやみから拾ったのも、どっちだって、同じ他人だったでしょう。
 飢えと寒さにあらがう術もなく、小さな子供に寄り添ってやった黒狼はだれだった?
 大切な妹の名前は、ちゃんと覚えている?
……お菓子の魔法は、今も覚えている?

 敵と味方をはっきり分けて、味方の幸せだけを愛と定義したらいいのに。気に入ったものだけに愛を注いだらいいのに。
 そうしたら、世界はもっと単純になる。きっとみんな多かれ少なかれそうしている。誰かの手を取るために誰かの手を取れなくなる。そういう選択でできている。だって、誰かを抱きしめるための魔女の手は二つしかなくて。いっぺんに世界中を愛する事なんてできないのだ。
 大切な人ができるということは、ほかがどうでもよくなるってことだろうか? ほんとうに?

 ああ、ルミエール。
 森の中で、ルミエールが困っているのかな。
 ルミエールは、夢の中でルクスを呼んだ。今のルクスはまだいない。まだ今のルミエールではない。まだ、二つに分かれてしまう前のルミエール。
 寄り添っている黒狼はべつのじぶん。
 まだ、良いことも悪いことも、あんまり分かっていない頃のルミエール。
 目に見えるものだけがぜんぶで、外の世界の広さとか空が青い理由とか、ぜんぶぜんぶおとぎ話みたいに綺麗だった頃の少女時代。魔女となる前は、美味しく入れられた紅茶や美味しいクッキーなんかが魔法だった。
 年頃らしく、どのくらい背が伸びるかしら、なんて悩んで。かけっこをして、ずっとこの時間が続けばいいのにと願うまでもなく、疑いもしていないころ。

 そして、みんなは幸せに暮らしました。

 ここでページを閉じられたら、ここで話を止めたならよかったのにね。きっとそうしたら完全だった。

 けれども、モノガタリは終わらない。残酷な悪夢が全てを奪い去っていく。
 幸せな夢は、悪夢に変貌してしまう。両手に抱えていた大切なものは、全て失われてしまう。ルミエールの愛おしい世界。少女だった頃の、ルミエールの幸福は壊れてしまう。どうしようもなく失われてしまう。
 喪失が、ルミエールを壊してしまうのだ。
(憎んだって、べつに、いいのにね)
 全てを受け止めようとして、少しずつ、少しずつ、失われていく。魂をすり減らし続けて。全てを受け止めようと両手を差しのばして、世界がルミエールを裏切っている。
 そう、いつもルミエールを裏切るのは世界のほうだった。
 少女は悲しみにくれて、泣きはらして。
 それから。それから、己の敵すらも愛そうとする。

 憎しみを己の未熟さだと信じて、全てを愛そうとしているのに愛しきれない自分のことを「まだ至らないから」だと思っている。君はもう完成されているのに。完成されてしまっているのに。その先があると信じている。
 理想を追うことをやめられたら、ちょっとはラクになれるのに。いや、君は、ラクになんてなりたくないのかな。ほんとうは、ほんとうは……。
(憎んでいるのは誰、許せないのは誰だろう?)

 愛する存在を誰一人救えず、一人生き延びた自分自身。

「それでも私は私のままで
世界を見届けてみたい」

 それでも、君は言うんだね。

 その剣のような強さを。ガラスのような弱さを。宝石のような美しさを――。羽のような脆さを。ルクスはまぶしく思う。炎が揺れる。また一つ、一つ、悪意が炎へと変わる。悠久の少女は少しずつ、ほんの少しずつ失われている。
 きっと身を守ることもできないほど「強い」だけに、割れるときはぱっきりと、一瞬ではないだろうかと思うこともある。
 それでもなお、世界を見届けてみたいというのだ。あり方を変えることもなく、ただ、その強さだけで完成されている。
(君が永遠に目覚めなくなったら流石に僕も「哀しい」のかな。
そのとき僕はどうするだろうなあ)
 どうするのかな。ルクスにはわからなかった。空洞に反響する言葉のように。
(君が、「世界の敵」になったらどうすればいいのかな)
 いずれにせよ、きっと。半身は永遠の理想にとらわれて苦しむルミエールのそばにいるだろう。

おまけSS『今日だけは愛に満ちた日』

 お布団はふかふか、ケーキはふっくら。
 天気は良く晴れていて、何でもかんでもうまくいく。
 今日の世界は愛に満ちている。いやなことなんてなに一つもない。完璧な一日。そんな日が、長く生きていたらたまにはある。
「ルクス」
 ルクスはルミエールの半身だ。
 呼ばれる前に、ルミエールから今、呼ばれることはわかっていたけれど、ルクスはちょっともったいつけた。
 ルミエールを揶揄うのが好きだからだった。
「もう、ルクス」
 それで、それをルミエールも分かっていたみたいだ。
 世界の全部が完璧ではないけれど。今にだって少しの間なら。ずっと幸福であるかのように錯覚するような瞬間がある。
 あとは完璧に他人のことを忘れて、自分のことだけ考えてられたら。愚かな少女がそれくらいに愚かか、もしくは。世界の全部を愛したいほど、欲張りじゃなければよかったのにね。
「見て、ルクス。美味しくマドレーヌが焼けたの」
(ここだけ、切り取れたらいいのにね)
 そうしたら、きっとカンペキに見える。

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