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嘗ても今も、毒は毒
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- トキノエの関係者
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――夜毎聞こえる声を、覚えている。
「ありがとう」「ありがとう」。呼気に苦しみを交え、それでも精いっぱいの想いを込めて吐き出されたのであろう言葉を耳にする度、身体がバラバラになりそうな痛みを、悲しみを覚えるのだ。
「……やめてくれ」
声は止まない。その言葉を変えぬまま、まるで幾人もの感謝が捧げられたかのように、その声色だけが次々に変わっていって。
「やめて、くれ。頼むから……!」
感謝を伝える者たちの想いを拒むような心地に、『彼』は歯を食いしばって尚も告げる。
――何故、その想いを拒むのか?
嗚呼、今なら分かる。それはこの心が痛みに軋むからというだけではなく。
「俺は、そう言ってくれるお前たちを、救えなかったんだ!」
慟哭は虚無の中に唯響くのみ。
返されぬ声が、その後悔をあざ笑うかのように『彼』には思えた。
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「――――――殿、トキノエ殿!」
老いた男の声を受け、はっと『酒豪』トキノエ(p3p009181)が我を取り戻した。
時刻は深夜。知人である傍らの男の依頼を受けた後、帰るには遅すぎるからと一夜の宿を借りたその村は、最初に訪れた時の牧歌的な様子からは疾うにかけ離れた姿を見せつけている。
「目を覚まされましたかな」
「……村長、何だこれは。いったい何が……?」
「私にも解らぬのです。恐らくは地震の類だと思われますが……」
言い淀んだ男の言葉に対し、トキノエも倒壊した家々の様子を見てその意図を漠然と察する。
村に立っていた家はそのどれもが質素ながら頑丈で、少なくとも「吹けば飛ぶ」ような造りをしたものは存在しなかったし……『現在もそう』なのだから。
基礎や大黒柱をはじめとした家の支柱はそのままに、屋根だけが押しつぶされたかのように崩れ落ちている。そうした家屋が一件や二件どころか、倒れた家のほぼ全てであるのならば怪訝にも思うだろう。
発生の理由は。それを目覚めたばかりの頭で思索するトキノエは、しかし。
「――ぅ。うあああぁぁぁん……」
「……ッ!!」
瓦礫の中から聞こえる、小さな声の元へ即座に駆け出していた。
崩れたもののうち、村の中では比較的小さい家だった。屋根と倒れた家具に押しつぶされ、頭部から血を流した母親の腕の中で、幼子が一生懸命声を上げて泣いている。
「村長!」
「ええ、瓦礫をどかしましょう」
小さな家というだけあって、瓦礫の撤去に時間は掛からなかった。
未だ意識を取り戻していない母親の身を村長が抱え、トキノエも同様に赤子のお包みを抱えようとした。が、
「………………」
「トキノエ殿?」
「……『触れない』」
当人自身、茫然とした面持ちで呟くトキノエに対して、村長はその意図を掴みかねて問う。
「それは……特異運命座標としての制約ですかな? それとも――」
「違う。理由はわからないんだ。ただ……」
言葉を切った彼が、其処で一度赤ん坊から目を離し、同じように倒壊した家々……その中から聞こえる『助けを求める声』を聞き遂げた後、震える己の双手を自認する。
「俺には、彼らを救えない……」
助けを求める手を掴む。
寒さに震える体を抱きとめる。
自らが助からぬからと、差し出された子供を受け取る。
――みんな、みんな、みんな、「おまえがころした」。
恐慌仕掛けたトキノエの肩を、しかし村長が叩いて覚醒させた。
「……無事な男衆を呼んでまいりましょう。トキノエ殿は瓦礫の撤去と、火が出た家の鎮火をお願いできますかな」
「村長、すまない、俺は……」
「申されますな。こうして手伝っていただけるだけでも十分です」
努めて自然な笑顔で己の元を離れる男を、トキノエはただ黙って見ていることしかできなかった。
理由もわからぬ己の不甲斐なさが、ただただ憎かった。
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「御老、無事か?」
「ああ、村長のお知り合いか。ありがてえ……」
男の元から離れた後も、トキノエはひと時とて休むことなく村人の救助を行い続けた。
村長に言われた通り、彼は村人たちの直接の救助を除いた手伝いをしていた。障害物を取り除く、出火した家の対処、若しくは簡単な治療に使う道具を届けたりなど。
蓄積する疲労を無視して行う献身的な作業に、村人たちはその誰もが感謝の言葉を口にする。「ありがとう」と。
「……っ」
元より情に厚いトキノエにとっては、幾千幾万と聞いてきた言葉だ。つい昨日聞いたことだってある。
なのに。今この時に限っては、その言葉が――――――
「もし、もし、どなた様か」
「!!」
何気なく視線を向けた先。今では殆ど撤去された瓦礫の山から、白い細腕がのぞいていた。
同時に聞こえた女性の声。その声に……奇妙な感覚を覚えながらも、トキノエはその女性のもとへと駆けつける。
「無事か!?」
「ええ。家が崩れた際、うまいこと瓦礫の間に身体が納まったようです。
ですが、代わりに身動き一つ取れません。どうか助けてはいただけませんか」
「分かった。今すぐに……!?」
一つ頷き、まずはその腕の周囲から破片を取り除こうとした矢先。
伸びていた女の腕が、まるで見えているかのようにトキノエの手をがしりと掴んだ。
「おい、離せ! 今のお前が俺の手に触っては……」
「疫病憑きの身体」
ぎしりと、振り払わんとしていた挙動が止まる。
「触れた者に微弱な毒を与える祝福。普段の村人ならばまだしも、なるほど、今この時のように弱った彼らに触れては、ともすれば命を奪いかねませんね」
「……お前は」
誰だと。そう言うよりも早く。掴まれていたトキノエの身体が頽れた。
眼前の繊手の仕業ではない。これはきっと、己自身の内から湧く痛みの記憶――――――
「思い出さないの、自分が何者か」
「……だれ、だ」
「まだ思い出してくれないのね。いいわ、まだ待ってあげるから」
感謝の言葉が聞こえる。
「けれどね、覚えておいて、いとしい■■■■」
感謝の言葉が聞こえる。
「わたしの行いは、ぜんぶ、おまえのために向けられているのよ」
感謝の言葉が聞こえる。
……瓦礫から生え、己を掴んでいた腕は、酩酊した視界に映りはしなかった。
代わりに見えたのは、ぼやけた何者かの姿。何かを抱え込んでいるその女性は、その言葉を最後にトキノエの前から去っていく。
「……これ、が」
軈て、近づいてくる村長たちの姿をトキノエの目は捉えた。
此方を心配げに見てくれる彼らを、その彼らの住処が悉く奪われたこの村の惨状を見返して、知らず、トキノエの目から涙がこぼれる。
「これが、俺の『思い出す』もの?」
戯言だ。浅薄な嘘だ。信じるに値しない。
心のずっとずっと浅い部分でそう叫ぶ傍ら、トキノエは己の深い深い内側から、それが真実だと囁く言葉を確かに聞き遂げていた。
嗚呼、ならば。だとすれば。
――ありがとう、■■■■。そして、さようなら。
――最後まであなたは、あなたらしく。
――助けてくれようとしてくれて、ありがとう。
トキノエは、唯泣いた。
己の過去の、何と愚かで、罪深いことだろうかと。