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『占卜大全 風水から珈琲占いまで 写本』読本

登場人物一覧

トスト・クェント(p3p009132)
星灯る水面へ
トスト・クェントの関係者
→ イラスト

 災難はあの日から始まったんだよな、と戸棚にカップを陳列しながら彼は思う。
 今からおよそ2年も前のこと。たまたま散歩中にとんでもない落とし物を拾って、いや、拾うつもりなんて微塵もなかった。ただほんの少し魔が差しただけだ。誰にともなく言い訳をしても遅い。無意味だとわかっている。わからされた。それはもう、十二分に。
 あれからずっと喉には時間の経った珈琲のえぐみに似たものがへばりついたまま、どうしたら飲み下せるのか、そんな下らない悩みの解決策はきっと占いの結果でも教えてはくれなかった。


 世界を見下ろすような空中庭園には穏やかな秋の陽射しが降り注ぎ、外の喧騒も届かない。誰に邪魔をされることなく散歩をするには絶好の場所だった。
 しかし、気儘に向かう足を止めてしまったのは視界に何とも異質な——
「なんだありゃ」
 ——ぬらぬらと湿って小刻みに震える、茶色い『尾』のようなものが紛れ込んだからだ。
「おい、大丈夫か?」
 生えている本体だろう方を覗いて眉を顰めた。人の上半身に、四つ足の茶色い下半身は特徴だけ述べるなら爬虫類と魚類の合いの子か。それが馬ならケンタウロスと呼ぶ風体の上で青年の頃合いの男が酷く青褪め、人の形をした腕越しに歪んだ顔で呻く。
「ま、眩しくて、目が開けられないんだ……、ここどこ? 水の中じゃない……」
「空中神殿だよ」
 どうやら召喚されたばかりのところに出会したらしい。それなら多少の挙動不審はお約束の範囲内だ。
「お前、海種か?」
 首肯で答える青年の奥、この場を任せるのに相応しい人影が見えた。まだ遠いが、他の召喚者の対応が終われば次の番に回ってくるだろう。
「お前も特異運命座標として召喚されたってことだ。ざんげちゃんって子が来るから、ちゃんと説明聞いとけよ」
 純種なら旅人の自分と違ってあらかた状況は掴めるだろうし、神託の少女がいるのにわざわざしゃしゃり出て案内人をしてやることもない。簡潔に状況を伝えてさっさと散歩に戻ることにした。
 せいぜい励めよ、新人。これで終わりと背を向けたその数日後に、まさか早くも再会するだなんて思いもせずに。

「お前、何してんの?」
 思わず声を掛けてしまった。迂闊だったと思う、今なら。
「やー……話は聞いたんだけど、どうしようかなぁって……」
 言う割には初対面の時の混乱や焦燥は見えず、空中庭園内を行き交う人々を眺めてはぼんやりと気の抜けた表情だ。
 あれからずっとここにいたらしい。らしい、というのも何をしていたのかと聞いても要領を得ないので恐らくはそういうことだと判断したに過ぎないが。行先に悩んでいるなら、と話を振ってやっても返ってくるのはどうにも曖昧で無気力な答えばかりで流石にイライラしてきていた。
「じゃあ好きにしたらいいだろ。パンドラは生きてるだけでも溜まるんだ。お前、なんかしたいこととかねーのか」
「…………帰りたい、なぁ……」
 投げつけた質問に落ちた答え。ようやく出てきたのがそれか。
「……ここって、地面の中じゃないんでしょ?」
 そりゃそうだ。何なら真逆のお空の上だ。
「じゃあおれってきっともうすぐ死ぬんだ」
 ぎょっとして我が耳を疑いながら窺った先、顔以上に生気のない声が降り出した雨のようにぽつりぽつりと語るには。

 光のほぼ入らない地底湖。それが彼の故郷だという。
 深く開けた空間に岩肌から流れ込む地下水。その中を主な生活圏とした小さな集落の住民は皆、海種だ。
 全くの暗闇に閉ざされているようにも思えるが、天井に走った水晶の鉱脈からは光が射していたし、選ばれた者のみの役目ではあったが地上と行き来する手段もあった。
 しかし当然、外界に赴くのは簡単な話ではない。滝を登り、それこそ真っ暗闇の激流を遡り、地下水の源流へと至らなければならない。故に、選ばれるのは屈強な若者だけだった。
 そして、もうひとつ。地上へ向かう者には試練があった。

「地上の風は毒になるんだ。籠った空気に慣れてしまったから、外に出ると病気にかかって……おれも……」

 体も心も強い筈の者達ですら一様に短命であるというのが真実であれば、帰り道を持たない彼に待っているのは死だ。
 穏やかな人々に囲まれた、狭く限られた平和。外のことなんて、ましてや自分がこの世界の何処で生きていたのかなんて知る必要もなかったし、考えもしなかったのだろう。純種のくせに混沌に対してあまりにも無知な、井の中の蛙ならぬオオサンショウウオだった。
 地底湖の住民の証であるというカンテラを握り、途方に暮れるそれは完全に迷子の様相——だというのに、どうにも感情の薄い言動が気になった。絶望とも似ているが、挽き立ての珈琲豆に香りがないような不自然さで生気や覇気、自らの足で立って動くための力がまるで足りていない。
 そうしてまじまじと観察するうちに、まさか食事すら、と思い至った。
「……そのままじゃ、おめー病気で死ぬ前に飢え死にすんぞ? いいのかよ」
「……」
 わからない。そう顔に書いてあった。つまり、食べていない。食欲を認識しているのかも怪しいレベルに見えた。
 この時、真っ先に頭を満たしたのは『面倒だ』。初めて会った時のようにさっさと放り出したい。けれどそれをしなかったのは、元いた世界で別れたきりのふたつの面影が過ったからだ。密かに尊敬していた原本ならば口ではぶつくさと文句を溢しながら、その相棒ならばむしろ迷うことなく優しく手を差し伸べるだろう。そこまで想像してしまったならもう『仕方ない』。
「お前、名前は」
 溜め息と一緒に問う。
「……トスト。トスト・クェント」
「おいトスト、お前、」
 同意を得る形では答えられないのでは、と思った。直感であれ、見聞きした上で自然と理解したのであれ、いっそ本人よりも的確な判断でもって続ける言葉を変えた。
「着いて来い。まずは飯を食え」


 はあ、とあの日の分も込めて盛大な溜め息を漏らせば目の前の男が一丁前に心配したふうな口を効く。相も変わらず間の抜けた表情だが、あの頃よりも随分と『生きている』反応だ。故郷は未だに見つからないらしいが知ったこっちゃないし、それ以外ならもう自分の足で何処へでも行ける筈なのに——うっかり孵化した雛と目が合ったのが運の尽きか。
「テメーーみてーな男の世話なんか、いつまでも焼きたかねーーんだよいい加減にしろ!」
 カップが空く間も無くお代わりを注ぎ足すように、すっかり見飽きた顔には言い飽きた文句を。まったく、いつまで経っても占いの結果ひとつ見えやしない!

  • 『占卜大全 風水から珈琲占いまで 写本』読本完了
  • NM名氷雀
  • 種別SS
  • 納品日2022年03月23日
  • ・トスト・クェント(p3p009132
    トスト・クェントの関係者
    ※ おまけSS『見透かした先の』付き

おまけSS『見透かした先の』

 暗褐色の闇は苦く、甘く、底知れない。
 異国情緒薫り立つ上澄みだけを啜り上げ、取り残された願いは少年の手で蓋の下に。
 くるり、ぐるり、めぐり。時計に倣って器を回せ。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。はやる心が冷めるまで。
 逆様の沈黙にざらつく舌へ絡む唾液を飲み、恭しく齎された結果は不可思議な紋様の姿をしていた。

 過去は下に、未来は上に。
 近くに、遠くに。
 留まるもの、流れるもの。
 進む道、塞ぐ道。
 月は満ち欠け、陽は昇る。

 なぞる深緑は真摯であるが故に艶かしく老獪で、少年の見目をした彼の綴じた頁の厚みを思わせる。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。時計の針は止まらない。
 くるり、ぐるり、めぐり。心が熱を取り戻した頃。
 やわらかな唇より出でた辛辣な言の刃で、見透かされた欲の行方は余さず胸の奥に。
 残り香は濃く、強く、焼き付いていた。



 ——お仕事、お疲れさま。ところで、君のは?
 ——猫が蝶を追い回してた。おめーのせいだ。

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