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強制安眠インソムニア
登場人物一覧
●凍てつく雨は止まない
どうも今日は、朝から雨らしい。
窓越しの景色がいつまでも薄暗いのと、時折打ち付ける雨粒の音からそう感じた。
ここ最近の練達の騒動に比べれば、雨くらいただの自然現象だ。竜種も魔種も関係ないし、街に被害が出ることもない。
雨は黒くない。金色にもならない。
冷たくはないし、痛くもない。
こんな、歩けないほどに刻み付けることもないものだ。
(あいつは逃げたんだ)
殺せなかった。コアの場所までわかっていたのに。教えられたのに。
(終わりにできるはずだったのに)
『だからきっとまた会えるさ。
俺達はそういう運命みたいだからな』
「ふざけ、……ッ!」
嬉しそうな笑顔まで思い出しそうになって、堪らず飛び起きかけた。叶わずベッドへ沈めたのは、未だに癒えきらない損傷だった。
冥夜が魔種と化した兄の朝時を撃破に向かったのは最近の事だ。共にいた依頼仲間も差し置いて、抜け駆けに近い形で単身兄に挑んだ。
だが、結果はどうだ。依頼の目的こそ達成されたが、朝時は逃してしまった。自分にはただ不自由な身体だけが残った。
この身体は、いつ動くのだろうか。
次の機会は――本当にあるのだろうか。
「……歩けなくてもできることはある。考える暇があるなら、仕事を片付けないと」
思考回路は問題ない。上半身は多少軋むが、まあ動く。キーボードや画面を叩く分には不具合はないようなので、冥夜は早速複数のタブレットやスマートフォンを展開して作業に入るのだった。
雨音を聞かなくていいように、イヤホンで大きめの音量で曲を流すことにした。
いつもは気が散るから作業中に音楽など聞かないのだが、今はとにかく雨音だけは聞きたくなかった。
●されど地は固まる
R.O.Oにログインして、自らが社長を務めるBRC社の溜まりまくった案件を片っ端から片付ける。そちらが一段落したら、今度は現実世界で店長を務めるホストクラブ『シャーマナイト』の建て直し業務だ。更にそれが一段落したら、また別の業務の確認に向かう。
どれも一度の作業で完結できる内容は少なく、冥夜はあの雨の日から文字通り『全く』作業の手を休めていない。そもそも睡眠も食事も必要としない秘宝種なのだから、やろうと思えばいつまででも作業を続けられた。
「そんなことだろうと思った」
作業途中のスマートフォンに突然連絡してきたかと思えば、もう部屋まで来ていたのは親友の京司だった。
外の音はイヤホンが遮断しても、使用端末からの通話音声はクリアに拾ってしまう。入口に彼の姿を発見した時には、諦めるようにイヤホンを外した。
「見舞いならいい。秘宝種の損傷は高速再生できるからな」
「だとしても、効率というものはある。充電中も使いっぱなしのスマホは充電効率が悪いらしいじゃないか」
いいから休めと、タブレットのひとつを強引に取り上げられてしまう。彼の喩えにも一理あるし、仕事の妨害をするのも悪意ではなく友としての心配からだということは理解できる。
「それに、今回はそれだけじゃないんじゃないか。仕事に響くのはわかりそうなものを、そんなになるまで無茶をして」
スマートフォンやタブレットをどかして、京司がベッド脇に軽く座る。
彼はこういうところがある。『話せ』とは言わないが、『話すなら聞く』という姿勢を自然にとる。『この人なら話してもいい』という気持ちを起こさせる。
だから、少しだけ溢した。
「…………眠るのが怖いんだ」
「うん」
「今まで、眠れていたのは。鵜来巣の家で訓練していたからだ。人の生活に……紛れ込めるように……」
「そうかい」
自分が話して、彼が短く相槌を打つだけ。踏み込まれないのはありのままを受け入れられているようで安心もするが、少しだけ不安もある。
「聞いてるのか?」
「もちろん」
確認してみれば、やはり短い相槌。
「眠る訓練を十分したはずなのに、眠れないほど怖いんだろう?」
ちゃんと話を聞いていたという証に、逆に確認をしてくる。その訊ね方も茶化すようではなくて、至って親身なものだった。
――だから、もう少しだけ。
「眠ったら……二度と起動できなくなりそうで」
ここまでの規模の損傷は、幼い頃に朝時が魔種に反転した時以来だ。あの時はどうにか生き永らえて、それからは兄の打倒のためだけにあらゆる鍛練を重ねてきた。
それでも、まだ足りなかった。奇跡は何度も起きないから奇跡と呼ぶ。昔は奇跡的に起動できたが、今度は……。
「……?」
知らず握りしめていた拳の上に、包み込むように手のひらが置かれた。
「だから、眠らなくていいように仕事を詰めたんだな。全く、君は子供か?
寝坊しそうになったら起こしてやるから、安心して寝ろ」
その温度に、勘違いしそうになる。彼とは『親しい友人』のはずだ。『それ以上の関係』は、他でもない彼から以前に断られたはずで。
「……手が動かせなくて余計に眠れないだろう。他に無いのか、せめて子守唄とか」
「そんなのは商人に頼めよ。生憎、ここには僕の手しかない」
拳を解くように促されて力を抜けば、今度は開いた手を緩く握られた。
これで眠れと。正気か。『友人』がそこまでするだろうか?
「まあなんだ……歩けるようになったらデートくらいはしてやる」
だから大人しく寝ろ、と念を押される。照れ隠し気味な声だった。
勘違い――しても、いいのか?
デート。デートと言った。
何かの隠語や比喩でないならば、おそらく恋人同士が仲良く時間を過ごす、あれのことだ。
京司は自分を安心させて眠らせるためにそんな褒美を用意したのかもしれないが、思いがけない期待が膨らんでしまって逆の意味で眠れない。
一度は断られた関係も、もしかしたら、可能性がまだあるのではないか――?
「……その」
「何だい」
「…………。…………何、するんだ」
「何が?」
「だから。…………デー、ト」
すっかり逆上せ上がってしまった頭を冷やそうと、そんなことを聞いてみる。冷静に考えれば落ち着ける話題ではないのだが。
「寝ろって言ってるのに。……まあ、そうだな。うまい飯食って、良い景色でも見て。あとは、欲しい物を買いに行ったり?」
頭が冷えるどころか、彼が話す定番通りのデート風景を想像してしまって冥夜の脳内はすっかりフル稼働してしまっていた。
「あてはあるのか」
「随分と積極的だな? だが、実はないんだなこれが。君が治るまでに探しておこう」
「顔が利く店もあるぞ」
「そんな店はむしろ避けたい。君の仕事の延長じゃないか」
寝かしつけるはずの提案から始まった会話はすっかり盛り上がってしまって、いつの間にか止んでいた雨音を冥夜の意識から完全に消し去っていた。
*
やがて会話のテンポが落ち始めて、妙に長く返答を考えているな――と、京司が冥夜の顔をみた時。
ベッドの彼は目を閉じて、安らかな寝息と共に胸を上下させていた。
「……おやすみ、冥夜」
握っていた手をそっと放すと掛け布団に潜らせ、自分はベッドの隣に布団を敷いて横になる。
彼を起こすと言った手前、残らねばならないと思ったのと。
「目離すと、すぐ無理するからな。君は」
僕が見ていてやらないと。
眠る彼をいつまでも視界に映しながら、緩やかに目蓋を落とした。
おまけSS『終幕パラノイア』
●それは狡くて臆病で、少し楽しみな
その単語を出そうと思った時。
──過ったものがなかったかと言えば、嘘になる。かもしれない。
秘密の白い部屋。
煙草の炎に燃えた便箋。
満月の緋狐。
まるで初めから無かったのではと錯覚するほど、あの部屋に辿り着くことは無くなってしまった。行く用事もないのだから当然だ。会う相手がもういない。
それでも一時、彼と自分は『そう』だった。今も立派な共犯相手だ。他の誰かの代わりにするつもりも、誰かで埋めるつもりもない。
深い関係は、今度こそこれきりに――そうして一度は断った相手であるのに。
(どうすれば、君を止められる)
姉ばかりの家に育った京司にとって、冥夜は手のかかる弟のような存在で、恋愛とは別の愛情があったことは確かだ。
その彼が歩けないほどの損壊状態で戻ってきたとき、呼吸が止まりそうな感覚を覚えた。
やはり、自分が本当に呪われているのではないか。
はじまりの『彼』も、あの『彼』も、他にもたくさん、大切な人ばかりが自分を置いて逝く。
(だから、君からの告白も断った。なのに、君にまで置いて行かれたら)
距離を取ろうと取るまいと、命の危機には変わらず晒されるのなら。
そして自分は、それを望まないのなら。
(次に死ぬのは、絶対に僕だ。僕以外が死ぬことは許さない)
その為なら、どんな言葉だって。どんな手段だって。
「まあなんだ……歩けるようになったらデートくらいはしてやる」
目を離すと死んでしまうなら、見ていてやろうじゃないか。
その関係でいることを望むなら、それで生きる気力が湧くなら、そうしてやる。
久し振りに口にした単語は、その壮大な覚悟の割に随分とお粗末な声になってしまったが。生娘でもあるまいに、我ながら何を恥じていたのだろう。
冥夜とのデート。
一体どんなものになるのか密かな興味は湧きつつも、今はもう少し、彼の安らかな寝顔を見守っていたい。
息を潜めて先に目覚めた、冥夜の部屋で。