SS詳細
Rendez-vous
登場人物一覧
●Is this really what you want?
ただ僕は彼女に見合う男になりたかっただけなんだ。
ただ、僕は。
優しくて、格好良くて、とびきり愛らしい彼女に相応しい男に。
それなのに。
●
復興中の練達、災禍を生き残った高層ビル。
様々な高級料理が食べられると噂のレストランは、予約の電話が後をたたない。
無造作にワックスで整えたであろう毛髪。着せられていますとでも言ったほうが良さそうなブランドのスーツ。と、不釣り合いに汚れた、土まみれの革靴。
伝票を持った若い男は、使い込まれたボロボロの財布を覗き込むと、顔を青くした。
「ねぇ、ちょっと。大丈夫?」
「ちょ、ちょっとコンビニ行ってきます俺……」
「……いいの。優は十分頑張ってるから、ちょっとくらい甘えなよ」
「でも、俺が予約したんで」
「大丈夫だって。私の方が長く社会で働いてるんだから」
颯爽と手のひらから伝票を奪うと、女は会計へ。
くすくすと笑うような声が聞こえた気がして、男は思わず首を掻いた。
「……すみません」
「どうしてそんなに落ち込むの? またネクタイ新調したんでしょ、気にしなくていいのに」
「俺、花さんに、見合う男になりたくて、」
「私そんなの気にしてないのに」
小洒落たタイトなドレスに身を包んだ女――花に微笑まれ、ますます肩を落とした。
花は、所謂社長令嬢だ。両親が弛まぬ努力で築き上げた会社を次ぐべく、熱烈な勉強をして名のある学校を卒業している。
再現性東京にあるオフィスでも、上司は勿論後輩からも憧れられる素敵な女性――それが、優からみた花の印象だった。
一方の優は、なんてことない平社員。ただ卒業した学校が一緒で、所属した会社が同じだった。ただ、それだけ。花よりひとつ年下の優は、彼女同様に期待されていたが、一般的な家庭の生まれのためにただ学校の名前がいいだけの使えない社員という枠に落ち着いてしまったのだ。
だから、どうして彼女が自分と恋仲であってくれるのかわからない。きっと自分よりふさわしい人は沢山いるはずなのに、それなのに。
夜の再現性東京はひどく美しい。夜闇切り裂く蛍光ネオン。つんざくようなサイレンが時折聞こえて、幸せを願いながら、ただ当たり前の日常以外のものをシャットアウトして生きていく。
彼女をなんとか送り届けた後、彼女の暮らすマンションの大きさに押しつぶされそうになりながら帰路に着く。漠然とした不安に襲われる。もしも、万が一、もしかして。そんなIFに身悶えして。
(このまま死んでしまえたら、どんなに楽だろう)
エナジードリンクはバッテリー代わりだ。苦しさを惑わせるものが酒ならエナジードリンクは電池代わり。充電して押し込んで、そうすることでしか動けない。
「…………変わりたいな」
ぼんやりと吐いたうわ言。うわ言、に、なるはずだったもの。
「変わりたいの?」
甘ったるい砂糖菓子のような声が空から降り注ぐ。
金糸雀が歌うように。春風が躍るように。それは軽やかに降り注いだ悪魔の誘惑に等しい。
天使が微笑んだようだった。
振り返ればそこにいた少女。差し伸べられた手のひら。掴むべきではないとわかっていたのに。
●
ねえ、このまま二人で逃げちゃおっか。
●
「ねえ、お兄さん」
「……」
ぐい、と引かれた手のままに進んできた。
知らぬ道をくぐり抜けて、きっとここは再現性東京では無い
愛らしい見た目に添えられたロリータ。咲き誇る青薔薇の花言葉のごとく、彼女は奇跡のように現れた。
「貴方のこと、誘惑してもいい?」
「そ、それはどういう」
「ふふ、それはついてからのお楽しみ!」
魔法のように軽やかな足取りもまた天使をなぞるかのようだった。その金糸にくすぐられるように、ただ真っ直ぐに駆けていく。そこがもう己のいた世界ではないのだと、嫌でも理解しながら。
駆け抜けていけば、如何にも怪しい店が其処にあった。ただ異質なのは、人々がそれを許容しているということだ。最厳正東京にこもっていた優にとっては、それが普通ではないから思わず怯えてしまう。
「さ、入って、愛しいひと。貴方の望む品がここにはあるわ」
「……え?」
「だって、変わりたいんでしょう? そういったのは貴方じゃない」
扉を押して、当たり前のように立つ少女。ただし此方へと連れて行くようなことはしない。境界線だ。
踏み入るのはお前次第だと告げるように。
少女は奥へと進んでしまった。優は立ち止まる。
(……僕は、)
そうだ。変わりたい。変わりたいからここに居る。
(行こう)
ためらうことなく踏みくぐり抜けられたその線。進んでいく道先。足元を照らす一筋は、死神の鎌に等しい。
●
俺、貴女の隣に居るには、つらすぎる。
●
「ようこそ――商人ギルド・サヨナキドリへ。どんな縁をお望みかな?」
「父様! 彼、変わりたいんですって」
「えっと……僕……」
「おや、我(アタシ)の店に来たからにはそれくらい叶うだろうけどねえ……でも、どうして?」
「か、彼女の隣に立つのに相応しい男になりたいんです。でも、僕、何もかもだめで……」
「ふうむ……彼女……?」
「父様、それって番と同義よ」
「おや、ありがとうねルミエール。そうか、番がね……あい、わかった。少々お待ちよ」
銀糸を揺らして、男とも女ともつかない彼――店主は動いた。あれでもないこれでもないと動く仮称『彼』に対し、ルミエールと呼ばれた彼女は手すりに座りぷらんぷらんと足を揺らす。退屈だとあくびをして、役目を終えた野良猫のように。優が真っ直ぐに視線を向けていることに気づいているのだろう、しかし先程の愛くるしい様子とは違い無表情だ。
(僕は何をしているんだ……?)
訳のわからない空間にいる。それだけは事実だ。
がさごそと
「お待たせ。これなんかいいんじゃあないかな」
「これは……?」
そっと開けられた箱の中には小さな瓶が入っていた。薄ら黄色い液体が入っている。
「香水さ。ただし、普通のじゃあないけどね」
ヒヒ、と薄く笑みを浮かべた彼に首を傾げた優。
「これは振りかけると運が良くなる魔法の香水なのさ」
「……」
嘘だ。胡散臭い。そう思わざるを得ないはずなのに、そうなのに目を話すことができない。
それはきっと本物だ。そう告げる本能が、いる。
「といってもかけ過ぎちゃあならない。一日に二回、それが限度だ。やり過ぎると不幸を呼ぶから気をつけるんだよ」
「……お、お代は」
「ああ、取らないようにしているのさ。半信半疑だろう?」
「……っまあ、はい」
「それじゃあお行き。ここはキミの居る場所じゃない」
銀の髪の隙間から紫水晶の瞳が覗いた。たんっと飛び降りたルミエールがうやうやしくカーテシーをし、扉を開ける。
「それじゃあ行ってきます、父様」
「うん、行ってらっしゃい。……ああ、そうだ」
境界線を一歩くぐり抜ける。その、寸前。
「我(アタシ)の名前は武器商人。それじゃあね」
「あっ……えっと、優です。優しいの字を書きます」
「ウン、わかった。
半ば無理やり押し付けられた香水瓶。扉が閉まる寸前、武器商人は薄く笑みを浮かべ、何かをつぶやいた。
(……なんだったんだ……?)
●
さァて。どう転ぶかね。
●
次の日。
取引先との打ち合わせがあった。
(正直香水なんてわからないんだよなあ……)
とはいいつつも、結局会社まで持ってきてしまった。
あと十数分で始まってしまう打ち合わせ。願掛けの意味も込めてしゅっと振りかける。
(こんなもので叶うなら、いいもんだよな……)
とぼとぼと打ち合わせの部屋へと入っていく。そして打ち合わせを始める。が。
(……あれ……?)
思ったよりも、ばっちりだ。
というのも、この取引先は厳しいことで有名である。まさしく初心者つぶしのような存在で、何人もの先輩が出鼻をくじかれたとかなんとか聞いているが。
「……こちらの案、大変いいかと思います。持ち帰って検討しても宜しいでしょうか」
「は、はい、ぜひ……!!」
思わず立ち上がってしまうほどに。その取引先との会議は、上手く進んだのだ。
奇跡の香水は本物だと確信せざるを得なかった。
例えば、花とのデートのとき。傘を忘れた彼女と、たまたま荷物に入っていた折りたたみ傘で相合い傘をすることができたり。
例えば、仕事の重要な会議のとき。いつもならやじを飛ばしてくる同僚が休んで、しかもその案が採用されたり。
例えば、月末の社内評価のとき。いつもなら最下位なのに、今月は一位だったり。
そんな些細な幸運を。幸福を。どんどんどんどん呼び寄せる。
「優、最近調子いいね。優が嬉しそうだと私も嬉しい」
「……うん」
ようやくお似合いカップルだと噂も流れてきた。
香水はあと半分。
(……ちょっとくらいなら、いいよな)
禁忌を犯すとき、人の心は欲に塗れている。
そして、禁忌の境界線を。
優は、容易くくぐったのだ。
●
あーあ。残念だわ。ほんとうに。こころから。
●
奇跡を。幸運を。そう望む心は、いつしか巨大に膨れていた。
それが常となってしまえばもとに戻すことなどできようものか。
幸せに溺れている方がずっと心地よい。人は得た幸福を手放すことはしないのだ。
「……ねえ、父様」
「どうしたんだい、ルミエール」
「彼もまた、だめだったわね」
「ああ、そうだね」
「……悲しいわ」
「キミが悲しむ必要はないさ。それが然るべき運命だっただけのことさね」
ルミエールの白雪の肌に睫が影を落とす。
ふせられた眼を慈しむように、武器商人は愛しい娘の頭を撫でる。
「大丈夫。然るべき運命が紡がれるさ。あの日のように」
「そうね。それが運命だったったんだもの。仕方のないことだわ」
「キミは優しすぎるからね……大丈夫、大丈夫」
背を撫でる武器商人の肩に凭れて、ルミエールは薄く涙をこぼした。
遠い地上。目下に広がる交差点。そして運命は訪れた。
「……でさ、優、聞いてる?」
「ご、ごめん……ちょっとぼんやりしてた」
食事を終えた二人は帰路につくところだった。これから同棲するために新居を選ぼうなんて話していたのだ。
しかし、優の頭にはそれ以上に重要なことがあった。
(どうして、あの香水がないんだ……?)
何処を探してもなかった。いつもの場所においておいたはずなのに。香水がひとりでに歩くはずもないので、そうすると忽然と消えたことになってしまう。
「――――――」
(……どうして……)
「――――優!!!!!!?」
キイイイィィィ、とつんざくようなブレーキの音がした。
鈍い打撲音と共に、びちゃりと飛び散る肉片の音。
赤信号だ。
ただの不注意だ。
恋人の静止も聞かず、何も見ず。注意も聞かなかった、お前のせいだ。
(頭が、じんじんする……)
霞んでいく視界の中、優は遠くなっていく彼女の悲鳴を聞く。
「――ゆ――っ、!!!!!!」
(ああ――)
初めて目にした彼女の涙。
ようやく、弱いところを見せてくれた。
涙を拭ってあげたいのに、この手はもう届きそうにない。
濡れていく頬をぼんやりと眺めながら、優は息を吐いた。
「は……な……」
「いや、しっかりして、まだ、まだだめっ、二人で幸せになるんでしょう!??」
怒号にも似た悲鳴が再現性東京の夜空を駆けた。
いつもと変わらぬ再現性東京のネオンライト。
静寂を切り裂くようなサイレンが異質に響き続ける。
幸福の対価。身に余る幸運の代償を支払ったに過ぎない。
「……父様」
「ああ、そうだね。帰ろうか」
香水の名前はランデヴー。
二人で築けるはずだった幸せな未来を象った、不思議な香水。