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鬼神之渇望
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轟閃。『するり』とズレたは巨大な岩だ。
中程を通らせた『ある人物』の斬撃が岩石の強度を凌駕しているのである。と、ほぼ同時。岩の上半分が地に落ちる前に跳んだ影が二つあった。
「ぬ、ぐぉお――!!」
渦中。その斬撃をなんとか凌いだ、されど表情を苦悶に染めているのが一人。
「どうした――何を逃げている」
そしてもう片方。その衣装は和服、その手には大太刀。先の斬撃を放った張本人。
「お主も魔種などという外道の身。いつ殺されてもおかしくは無かろう。
まさかその程度の覚悟も無いなどと……つまらぬことを言うわけではあるまいな?」
名を『鬼 迅衛』――この世の外より訪れし異邦者にして、強きを求めし求道者。
相対しているのは魔種である。何らかの要因により反転へと至った『外れし者』であるその存在と迅衛が出会ったのは偶然であった。ある村を丁度奴が狂気に染めようとしていた時に迅衛が偶々そこへ訪れたのである。
何かを意図した訳ではなく。何かに導かれた訳でもなく――
そしてそれは互いにとっての『不幸』であった。
「おのれ何奴……あと一歩という所で染め上げに成功したというのに……!」
魔種の不幸は狂気の伝染の失敗。迅衛が介入さえしなければ一つの村を滅ぼす直前であったのに。
全ては台無しになった。お前が、お前さえいなければ――
憤怒の形相と感情が魔種を滾らせる。こいつは殺す、何が何でも殺すと息巻いて。
「それは儂の知った事ではない」
されど迅衛は笑う。莫大なる、滝の様な殺気を浴びせられても尚。
彼は微風が頬を撫ぜた程度にしか感じていない。むしろ心地よい気すらするものだ。
「どうでもよいのだ。お主があの村をどうしようとしていたなど。
なんなら待ってやっても良かったのだぞ?」
太刀を構え直す。迅衛が魔種を妨害したのは、なんら正義感や道徳心に基づいたものではなく。
単純に『そこに魔種がいたから』だ。
「ああ聞き及んでいるぞ。お前達は強いのだろう? どうした強さを見せてみろ」
それ以上の理由などない。彼は只管に強者との果し合いを求める者。それはかつての世界でもこちらでも永久不変である迅衛の在り方。彼の深奥にして枯れる事無き渇望である。
「でなくば」
故に。
「お主――死んでしまうぞ?」
「ぬ、ぉ」
往く。たった一歩の跳躍で『魔種の目の前』に迅衛は到達した。
息を呑む魔種へ――間髪入れぬ太刀の振り上げ。抉る肉、されど『浅い』
動いたのだ。横へと飛ぶ魔種の姿を迅衛の目は追う。同時に振るう斬撃もその後を追って。
――瞬時に放たれる三閃が道を塞ぐ。逃れようとする空間を除くかの如く。
「ぐうぅぅぅぅぅ!!」
魔種の慟哭。五、六、七閃――たった一人の、たった一本の刃による『同時多角攻撃』は最早常人に追える速度領域を超えていた。傍目に誰ぞが見れば迅衛の腕が複数に別れている悪鬼羅刹の如くと勘違いするやもしれない。
だがあえて言うが迅衛は人だ。
大きな枠組みとしては彼も所詮一介の旅人に過ぎない。理解の及ばぬ超常か何かではないのだ。故にこれは。彼の技量は、彼の暴威はごく純粋として――
『人の往きついた先』として此処に在るだけであった。
「舐、めるなよォ――ッ!」
されど魔種も魔種である。奴は明確にもう人ではない。
只人に非ずんば撫でられるだけで終わろうものか。収束させた魔力が暴の渦、その中心に投じられ――
炸裂。地を払わんとする程の爆発が生じた……
が。
「愚か者め」
迅衛は立っていた。激しく発生した煙を右の手で払い、炸裂点からその姿を現す。
無傷――いや無傷では、ない。よく見れば右の掌に魔力を受けたかのような跡がある。しかしそれは逆に、投じられた魔種の攻撃を『完全に見切った』上で右を割り込ませたという事であり。
「失望させてくれるな。『あえて』受けてこれか?」
「な、に」
「女の平手打ちの方がマシだったぞ」
いや防御した、というそれですら間違いだ。迅衛は躱そうと思えば躱せたのである。或いは斬り払うも良し。それを――それを、しなかったというのに。
落胆だ。溜息しか出ぬわ。ああ、そう。魔種にとっての不幸があったように、これが迅衛の不幸。
「お主……魔種のくせに殊更に弱いな」
折角に出会った魔種があまりにも弱すぎた事である。
彼は強者との闘争をこそ好む。命の奪い合い、綱を渡る様な感覚こそが至上であり弱者を蹂躙するような事は好みでないのだ。戦いの果てにどちらが強者であったか分かるのはともかく、最中にて既に判明してしまうとは。
「儂の動きに五感を用いず、目だけしか使わぬとは。人を辞めた者などこの程度か? 耳で追い気配を感じ、勘を研ぎ澄まし砂粒程の隙を穿つ――虚実を交えた戦いの華を知らぬか」
ならばもう良し。
「死ぬがよい」
こ奴には見込みがない。砂の地で会った傭兵者、練達なる地で会った義肢の者、耳長き苛烈なる女、八極を極めし修練者、そして柔をもって剛を潰す武術の娘……見出したいずれなる者達の足元にすら及ぶまい。
瞬間。終わらせに入った迅衛の気配が絞られる。
今の今まではどこか、死を齎す様子が散漫であった。一点に集中せぬそれは様子見であったからこそ。
だが殺すと決めたのならば、仕舞いだ。
魔種の殺気が『滝』の如くであったなら。
迅衛の殺気は滝など身が一つとして組み込んでいる――『大山』の如く。
「ぬ、ぉ、お……!」
大山はその巨大さ故に信仰される事もあるモノだ。山岳信仰……自然崇拝の一種。
巨大であり雄大であり誰しもが見上げる大山は、何をせずとも他者を圧倒する。
殺気が滝? 下らぬ事だ。そんなものなど彼にとってみれば内包せし一要素に過ぎない。
故に。
「――」
この時点で魔種は気圧されていた。知らずと歩を後ろに進めていたそれは『敗北』の証。
肉体的にも、精神的にも。自覚のあるなしに関わらず『勝てぬ』と認めて。
跳ぶ。後方へ、もはやここで命を懸けても無駄と逃げる為に背を向けて――
同時、魔種の身を上から下へ何かが走った。
「戯けめ。逃げるにしても背を晒す者が居ようか」
一閃両断。その命を迅衛が穿ったのだ。
魔種の身体がズレる。右と左に別たれて、血飛沫撒いて即時絶命。
刃が最期の瞬間に意識があったかどうか。迅衛の一閃はともすれば死を知覚させたか怪しい速度で。
しかしもう興味はない。
「こんなモノか。なり立てか、そう時は経っていない者であったか……
いずれにせよ『武』としては面白みのない者であったわ」
意思を超常の何かに委ねた者などに期待するのが間違いであったか? そう迅衛は思考する。
反転した者は須らくどこか精神がおかしい。マトモな人間であるか否かという点では迅衛もそう何か言えた事ではないのだが、まぁそういう事ではなく。重要なのはやはり心をおかしくし、腕力や暴力だけに身を委ねた者よりは。
「数多の技術、武術をしかと身に宿す……奴らの方がマシであろうなぁ」
奴らとはつまり『自身』と同じ者達の事。
外より訪れし者。或いはこの世の超常に選ばれし者――
「イレギュラーズ、と言っておったか。幻想なる領域に集いしは」
くくくっ、と彼は笑って。
「――愉しめると良いのだがなぁ?」
奴らは世界にいるという。海か、天か、砂か森か――どこにでも。
いずれの邂逅を。強者との邂逅を楽しみに。
彼は笑っていた。鬼の如く――鬼神の如く。