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剥物館の偽夢
登場人物一覧
●晴天の日に
どこまでも広がる白縹の空。
時計台の前でルブラット・メルクラインはヒトを待っている。
絹糸のような白い髪が桜混じりの春風にそよいだ。立ち尽くしたまま微動だにしない姿はまるで良く出来た石像のようで、その足元では警戒心の薄い鳩たちが土をついばんでいる。
背後の噴水では子供たちが水飛沫と戯れていた。すっかり聞き慣れてしまった水音からルブラットが意識を外すと、公園の入り口にひょろりとした深海色が現れる。
「マーレボルジェ」
鳩が一斉に飛び立つ。ルブラットは初めて動きらしい挙動を見せ、案山子のような少女の名を呼んだ。
見上げた時計の針は六十一分。時間ピッタリだった。
「まさか君が混沌に召喚されるとは」
感慨深げにルブラットは声に出した。
マーレボルジェが空中神殿に召喚されてから半月ほどが経とうとしている。
新たな後輩の誕生に、ルブラットは伸びやかな声を上擦らせた。しかし不機嫌な少女の想いは些か異なるようだ。
「何よ、文句あるの?」
「無い。君と混沌を歩くのは不可能だと思っていたので驚いただけだ」
「……私は剥製蒐集家よ。なのにレベル1っておかしくない?」
「神の思し召しだ」
明日雨でも明後日は晴れると言わんばかりの気楽さでルブラットは空を仰いだ。ワイバーンたちが餌と楽しげに戯れる、悲鳴と血の雨混じりの平和な日だ。
「依頼をこなしていれば感覚も戻ってくるだろう。気長に待てば良い。この世界には君の好きな剥製も標本もある。幾つか良さそうな店を見つけておいた。不思議な生物の死体を取り扱う店だ。そうだ、亜竜種の里も驚くべき場所ゆえ今度案内しよう。何なら今日でも良いが……どうした」
凝視してくるマーレボルジェと視線が合ったルブラットは不思議そうに問いかける。
「ルブラット」
「何かね」
「いつもよりテンション高くない?」
「多少は」
その答えにマーレボルジェの機嫌が明らかに変わった。いかにも蒐集家らしい、裂けた笑みを浮かべて上機嫌にスキップをする。
「そうよね? 超完璧な私の付属品になる栄誉を得たのだから、超浮かれもするわよね。いひ、イヒヒヒヒ」
いや、君が私の付属品なのだがとルブラットは口にしかけて止めた。ルブラットは大人で出来る先輩なのだ。
「ああ、着いた。此処だ」
「あら良い趣味してるじゃない」
「お褒めに預かり光栄だ」
自信満々にルブラットが紹介するだけの事はあるとマーレボルジェは内心舌打ちをした。下手なところに案内されたらめいっぱい皮肉を言うつもりだったのだ。語彙をストックして巨大な建物を見上げる。
羊皮紙色をしたロマネスク様式の建築物は巨大な教会に似ており、アーチ状の入り口の周囲には神殿に似た巨大な円柱が幾本も聳え立っている。建物のタイルには見たこともない動植物のレリーフが刻まれており、嫌でも好奇心が刺激された。
建物の荘厳さに対して、客層は子供連れの家族や学生ばかりだ。これは如何なる理由かとマーレボルジェは疑問を抱く。
「此処はどういった場所なの」
「自然博物館だ。この城にある全ての部屋が驚異の部屋でもある」
「それは……」
凄いと素直に認めるのが癪だったのか、マーレボルジェは口を閉ざし、何か別の話題が無いかと忌々しげに視線を巡らせた。
そうして見つけた父親と四歳ぐらいの女の子に目をつける。
「あの父娘は何をしている?」
「動画を撮って配信しているのだろう」
「ドーガ」
「遠くにいる大勢の人間に、この場所を見せている」
「あっちの娘は?」
少し離れた所で隠れるように様子を伺う少女を、マーレボルジェは指さした。
「動画を撮る父娘の動画を撮っている」
「博物館じゃなくて?」
「そうだ。では入場券を買ってくる」
待っていたまえと告げると、ルブラットはてくてくとマイペースにチケット売り場へと歩いていった。
そこでは男が一人怒鳴り声を上げていた。他の客は迷惑な男を避けて他のチケットブースに並んでいる。
ルブラットは気にする事なく男の背後に立つとナイフを取り出しサプッと目の前の背中に突き刺した。
倒れた男の横を通過したルブラットは窓口に向かってブイサインを見せた。それがチケット二枚下さいという意味だったのだとマーレボルジェが気づいた時には、ルブラットは全てを済ませて戻ってくる途中だった。
「どうかしたのか」
「早かったなぁと思って」
「幸いなことに人の少ない列があった」
「そうね」
マーレボルジェは横目でチケットの列を見た。遺体が一体、担架で運ばれていく所だった。
「これが入場券だ」
「どう見ても黒パンなんだけど」
「販売員が灯台守だったのだから仕方が無い。こっちだ」
「謎が何一つとして解明されていない」
玄関のホールからしても自然博物館の巨大さは見てとれた。動物や植物といった幾つかのセクションへ続く道の中からルブラットは迷わず動物学コーナーを選ぶ。
「この世界を初めて好きになれそうよ」
「そのセリフはまだ早い。あぁ、この部屋だ」
正に圧巻の一言に尽きる。この建物の物量や品質は蒐集箱に匹敵するだろう。結局、マーレボルジェはそう認めざるを得なかった。
「サプラーイズ」
民衆を導く神の子のように両翼の袖を広げたルブラットは棒読みで呟いた。
透明度の高いガラスケースに陳列された四足動物の数々、引き出しに詰まった自然界にいるのが不自然なほど色鮮やかな鳥、壁一面にかけられた爬虫類の骨格標本。
緋色の壁紙に囲まれた命無き物全てが剥製であり、標本であった。普段は輝きを見せないマーレボルジェの眼が青白く爛々と光っている。やはり連れてきて正解だったと、ルブラットは自分の眼の正確さに満足する。
ーー意外と博物館とか美術館みたいな場所が好きみたいだよ、剥製ちゃん。
ルブラットは助言をくれた友人に感謝する。
「それはそれとしてアナタに余計な知識と単語を吹き込んだ映画蒐集家は後で殺しておくわ」
感謝した友人の死が確定してしまった。もっとも、あまり死にそうに無いので正直心配はしていない。
薄らと笑みを浮かべたマーレボルジェは狂った獣のように素早い動きで首を動かしている。
「いひ、いひひ。素晴らしい、超素晴らしいわァ。未知があり美しさがある。死してなお飾られる価値のある物ばかり。さぞかし名のある剥製職人、そして蒐集家の仕事なんでしょうね。イヒ、イヒヒヒッッ!! 嗚呼、本当に何という事だろう、ルブラット・メルクライン!! 今日この日、私は初めて心から特異運命座標になったことを喜ばしく思ったよ」
「喜んでもらえて何よりだ」
うむうむ、と頷く真っ白なペストマスクの医師。隣で狂ったように笑い続けるタキシードの少女。ディーラー服を着た観光客が内臓を隠しながら逃げるように部屋から立ち去ったため部屋の人口密度がスッと減る。部屋の隅に残された学芸員のテリア犬と警備員がガタガタと震えていた。
「それでは先へ進もうか。そんなに此処の剥製が気に入ったのなら土産物屋で複製を見るのはどうだ」
「複製? あまり趣味ではないのだけれど……たまには他人の仕事を見るのも悪くないわね」
のちにルブラットはこう反省する。
彼女の購買風景を一度目にしてから誘うべきだった、と。
「これも買う、これも。あっちも見せてもらって良いかしら。ああ、こちらも捨てがたい! ちょっと、これ持ってて、ルブラット」
「マーレボルジェ」
「白も良いけれど紺も良いわ。ねぇねぇ、二つ買ってお揃いで飾らない?」
「剥製蒐集家」
「なに?」
「重い」
ルブラットの両肘には買い物かご、両手にはコレクションケースがバランス良く、うず高く積まれていた。
既に正面からルブラットの全身を確認できない状況だ。柱の影から顔を覗かせるように、標本箱の影からマスクを半分覗かせる。
「商品を気に入ってもらえたのは嬉しいのだが、一度に全て買うのは如何な物か」
そしてそれらの荷、全てを私に持たせるのは如何なものか。
言葉以外に滲むルブラットの疲労を聡く察したマーレボルジェは、鼻で笑った。
「買い逃して無くなったら後悔するじゃない」
マーレボルジェともそこそこ付き合いの長いルブラットは、彼女の表情が「絶対に引かない時の顔」であると分かっていた。その対処法が「説得を諦める」であることも同時に理解している。
「やれやれ、仕方が無い。一度荷を預けてこよう」
「そうして頂戴」
「君、これを頼む」
「あ? オレは仕事なんてしねーグギャ!?」
集荷場から外れてさぼっていたポーターにルブラットは荷を押しつけようとしたが、バランスを崩して傾いた箱塔がポーターを上から叩き潰した。じわりとプレゼントボックスの下に血だまりが広がる。
「私の荷物、壊れてないでしょうね」
「下にクッションがあったから大丈夫だろう」
「ここ、汚れてるわよ」
「外装だけだ。心配いらない」
「分かった。じゃあ今日の買い物は切り上げるわ」
「助かる」
本当に助かるとルブラットは繰り返し告げ、痺れていた手のひらを振った。そして横目で集荷所を見た。マーレボルジェのお土産が運び出され、圧縮されたポーターに心肺蘇生が試みられているところだった。
二人は中庭に面したレストランへと向かう事にした。
マーレボルジェは恐らく美食家だろうとルブラットは踏んでいる。そうでなくては自分でリストランテを経営しようなどとは思わない。
なので評判が良く、自分も好ましいと思う博物館内の星付きの店を選んだ。
「やあ、奇遇だな」
「……ようこそ」
「……何で毒婆がここにいるのよ」
そして、古風なメイド服に身を包んだ鴉の老婆に出迎えられた。
「私は、私がいると定義した場所に存在します。しかし今日、私は貴方たちに会わなかった。いいですね?」
「言われなくてもそうするわ」
「結構。ではメニューをどうぞ。良い昼食を」
火花が散ったのは一瞬の事。すぐさま何事も無かったかのように二人は真反対の方向へと歩いていく。ルブラットは少し迷って、マーレボルジェの後に続いた。キャップ付きのメイド服を着た毒香水蒐集家と繰り返し呟きながら。
建物内部のカフェスペースはバンケットホールのように豪奢な造りである一方で、外のオープンテラスはガーデンテーブルセットに日よけ傘がついているだけの簡素な物だった。
意外にもマーレボルジェは外でのランチを望んだ。
「私と混沌を歩くのは不可能だと思っていたんでしょ? だったらもっと『あり得ない』をしてみたくなったの」
エスカルゴの刺さったフォークを突きつけたマーレボルジェにルブラットは「行儀が悪いぞ」と窘めるような声を出した。
先刻、ルブラットの事を浮かれていると言ったのは誰だったか。明らかに、今日のマーレボルジェは浮かれている。染まる事の無い白い頬に血色が射してみえるのは果たして幻覚なのだろうか。
ルブラットが注文したデキャンタ入りの赤いサングリアは、既に二杯以上がマーレボルジェの胃へと収まっていた。林檎、オレンジ、苺、それに柔らかな見知らぬ南国の果実が硝子の中で香草と共に泳いでいる。まるでホルマリン漬けのようで美しいと、爽やかな甘みと浮遊する果実の色彩をルブラットは楽しんでいた。
お喋りだけで長居する客もいるが、ネヴァンが給仕した水を口にすると静かになった。すると何処からともなく現れた顔の無い博物館スタッフが担架に乗せて運んでいく。
「腹がいっぱいだ、あとは捨てておいてくれ」
「ぎゃははははは!!!」
「何ここ、高くね? 食べ物に高額払うとか無駄じゃね?」
それでも不作法な客は次から次へと現れる。
食べきれないほどの料理を注文しておきながら粗末にする華美な司祭。
子供連れの家族の傍で下世話な話で盛り上がる処刑人。
芸術家の仕事を解さない者。
「この店、味は良いけれどBGMが気に入らないわ」
「そうだな」
ルブラットとマーレボルジェは静かに席を立った。
言葉はいらない。二人が好む曲はよく似ているのだ。例えば穏やかで上品な古典的音楽だとか、鮮烈で劇的な血の泡の音だとか。
そのまま幾つかの席を回り、同じタイミングで戻ってくると、同じように座った。
ぬるいグラスを回して空気を含ませれば、艶やかな赤が曲面に沿ってトロリと堕ちる。
「ようやく静かになったな」
「そうね。静かになったわ」
沈黙を運んでくる春風が心地よい。真っ赤な血の匂いが頬をくすぐる。
「ふふふふ」
「いひひひ」
穏やかな春の午後、剝いだり刺したり開いたりの芸術祭。
皿に顔をつっこんで沈黙している肉塊を回収しに再度博物館スタッフがやってくる。一人が指さして首を振る。洗浄セットとモップが必要だ。
「着替えたいわね。服を買いに行くわよ」
「まだ買うのか?」
「当たり前でしょ。まだまだ遊び足りないし、案内してもらってない場所だって沢山ある。水銀を取り扱っている店は? 風呂に入れる香油を買っているという店は? それから廃教会だっけ。普段から自慢してるところよね、あそこにも連れて行きなさい」
ルブラットはマーレボルジェが自分の話を覚えていたことにちょっとだけ驚いた。ほんのちょっと、綿毛程度の驚きだ。すぐに思い直す。この高慢な少女は意外と律儀だ。本人に告げれば「お前が言うな」と言われそうで言えないが。
「自慢している心算は無いのだが」
「聞いてる側からしてみれば、自慢なのよ」
●と、言う夢を見たんだ
白き語り手は柔らかな余韻を残す語り口でもって物語の締めとした。
そして現実世界に戻ってくると自分の話が聴衆にどのような効果を齎したのか、確認するように顔を横に振った。
「僕も出るの? 嬉しいな、ヴラーヴォ、ヴラーヴォだよ、ルブラットさん!!」
映画蒐集家は目元まで紅に染まった破顔で出迎えた。
割れんばかりの拍手に嘘偽りは無く、ルブラットは真摯な気持ちで歓声を受け取った。
「……」
そしてもう一人。誰よりも聞いて欲しかった方の友人(だとルブラットは思っているし、恐らく相手もそれに近い感情を抱いているのであろうと信じている)剥製蒐集家は無言であった。静止画のように固まっており、大きな口を開けた姿は普段の彼女の美学を知る者からしてみれば珍しい。目の前で白旗のように手を振ってみるが無反応である。
「てっきり『勝手に私を登場させるな』と怒られるかと思っていたのだが」
「いや~、これは色んな感情が一度に押し寄せてる時の顔だよ。剥製ちゃん、ルブラットさんの話を聞いてバグっちゃったんだねぇ」
「謝るべきか?」
「その必要は無いんじゃない?」
フレーメン反応を起こした猫みたいと映画蒐集家が呟き、ルブラットもまったくその通りだと同意した。
夢の話がマーレボルジェのどの感情を刺激したのかは分からない。しかし、この愉快な顔を見られただけでも話した甲斐があったものだと、ルブラットは賢い鴉のように喉の奥で笑った。
おまけSS『いつかどこかのオフショット』
●
「遊園地のチケットが当たったから三人で行こう!!」
ぺかーっと輝く笑顔の映画蒐集人が誘ってきたのでマーレボルジェは断るつもりで、ルブラットは承諾するつもりで顔を上げた。
上げた時にはもう遅く、三人揃ってファンシーな音楽が流れるゲートの前で立っていた。
「流れるように脱獄するな!!」
「だって皆でショーが見たかったんだもん!!」
「……」
メルヘンな色彩のユニコーンと風船が飛び交うカラフルなゲートを見上げながら「悪夢の定義を明確に分類したい」とルブラットは呟いた。
理外のファンタジアが奏でる極彩色が、音楽性が、未知なる過剰なハッピーが、ルブラットの精神を侵食し虚無へと誘う。
「わぁ……」
「ほら見なさいよ! 抵抗力の低いルブラットが一瞬で視界情報を拒絶する無の境地に至っちゃったわよ!!」
「え!? どうしよう!? とりあえず適当な家族連れでも殺してゲートに飾っておく!?」
「そんな事したら閉・園・するでしょうが!!」
「そうだね!! ……あれっ。剥製ちゃん、閉園させたくないの? もしかして入ってみたいの?」
玄関ゲートのメルヘンだけで「わぁ」としか言えなくなってしまったルブラットにファンシー免疫をつけさせておくべきだったかと映画蒐集家は悔やんだが、遅かった。
「猫耳カチューシャを剥製ちゃんにつければ耐性がつくかも?」
「断固拒否する」
「じゃあルブラットさん、僕と一緒に猫耳カチューシャつける?」
「断固拒否する」
「これ以上属性加算してどうするつもりよ」
●
「……っていう夢を見たんだけど、どう思う!?」
「映画蒐集家、先ずはその手に持っている毒々しい色のチケットを下ろせ。いいか、ゆっくりとだぞ。そうだ、ゆっくりと、だ」