SS詳細
雨ときどき
登場人物一覧
●はじめての依頼
それはある日のローレットでの出来事。
駆け出し特異運命座標《イレギュラーズ》のサラ・アイソレイション――サラは、自身の体躯の数倍はあるであろう高さの依頼用コルクボードを眺めながら、どれを受けるかと思案していた。
記憶喪失のためあまり大きく活動をするのも憚られていたが、いつまでもローレットに甘えているわけにも行かない。ざんげより説明を受けたところ、自分は特異運命座標《イレギュラーズ》――混沌世界を救うための可能性のひとかけであるのだから。
とはいっても、まだまだ戦闘をする勇気はない。何が得意か、自分自身の適性もわからない。物理、つまりは武器や素の力を駆使し戦う戦い方か、或いは神秘――魔法を駆使し戦う戦い方か。ハーモニアの多くは神秘を扱うことに長け、また神秘を用い戦うことが多いそうだが、果たして自分がその『多く』の枠に当てはまるかはわからない。
戦う方が報酬は弾むだろう。命をかけるし、怪我だってする。それくらいなら日常茶飯事、戦えない人々から戦える人への依頼なのだから。しかしサラにはそれができない。自分自身すらできる、と思わない。思えない。だから戦闘依頼――多くの依頼は除外だ。ローレットに齎される依頼は戦闘がつきものと考えるのが正しい。
特殊な世界――境界図書館内、ライブノベルでだって戦闘が行われる場合もある。どこへ行こうとも逃れられない戦闘依頼。依頼条件に適していても『戦闘を行える方』の一行があるだけでがっくりと肩を落としてしまう。
「あら、サラちゃん、どうしたの?」
見兼ねたローレットの受付役の一人がサラへと声をかけた。思いがけない救援にびくっと肩を跳ねさせるも、サラはもじもじとしながら声を振り絞った。
「えと……サラ、おしごと、さがしてるんだけど……みつからなくて……」
「うーん、そうねえ……それならこの辺りの採集系なんてどうかしら。あとは猫や犬の面倒を見たりするものもあるけど……動物は平気?」
「ううん……おっきいのは、こわい……」
「そっか、なら採集系が安心かもしれないわね。それじゃあ、うーんと……これかな。サラちゃん、ちょっと見てみてちょうだい」
「あ、うん……」
小さな足を精一杯動かして駆け寄るサラ。覗き込んで見れば、老夫婦による山菜採りの依頼だった。足腰が弱った老夫婦にとっては厳しいものらしい。報酬は少ないものの食材が貰えるし、ローレットが貸してくれている宿で暮らすサラにとってはこれ以上ない良い依頼だった。
「こ、これ、サラ、受けたい……!」
「あら、そう? じゃあ依頼受付手続きをしておくわね!」
「うん……!」
「あ、そうそう、もうひとりこの依頼を受ける人がいるんだけどね」
「えっ……」
サラは不安げな顔をして依頼用紙を覗き込む。清水カイト、と丁寧に書かれている文字。知らない人だし、恐らくは――
「――おとこの、ひと?」
眉根を寄せて、不安げに。受付嬢は慌てて首を横に振った。と、言うのも。サラには記憶がなく、ましてや記憶があるのは『
「ううん。心配ないわ、サラちゃんより少し背が高いけど――」
「……っ」
「――けど、サラちゃんと同い年くらいの優しい男の子よ。だから心配すること無いし、ローレットのハイ・ルールにも書いてあるわ」
『ハイ・ルール』1、冒険者はその時受諾した依頼の成功に対して尽力しなければならない。
それぞれに主義主張の違う依頼があれど、受諾した時点でその依頼の成功に尽力しなくてはならない。成功に尽力したうえであなたが取りたい行動を取ることは成功に相反しない限りは自由。また、意見でも『その依頼に相応しい言動』を上位とし、依頼色に過度に反する言動は控えるようにとギルド・ルールで定められている。
『ハイ・ルール』2、同じ依頼を受けた冒険者間で戦闘を行ってはならない。
基本的に同士討ちは禁止。やむにやまれぬ事情がある、合理的判断でそうするべき、お互いに了承が取れている、作戦の一環である、等のレアケースに関しては都度判断される。仕事内容が対立するもの等があった場合は、依頼達成最優先のルールに従い、ローレットの冒険者同士で争う特例が適用される事もある。
『ハイ・ルール』3、組織に著しい被害を与えかねない行動の禁止。
理由無く暴れ回る、貴人に手をかける等、重度の犯罪行為は問題視される。ローレットが『庇い切れない』と判断するレベルの無秩序は禁止。常識的範囲、ないしは多少逸脱する程度では『ギルド条約』の特権でカバー出来るが、限度以上となった場合はその限りではない。
と、すらりとした指を折り曲げて語った受付嬢。サラは小さく首を傾げた。
「――ま、要するに。特に理由がない限りは味方を傷つけたらだめ、ってルールがあるよってこと。だから心配ないわ」
怯えるサラににっこりと微笑んだ受付嬢。サラも小さく頷いて。
「明日から依頼の相談が始まるけど、頑張れる?」
「……うん。サラ、がんばってみる、ね」
「うん、よくできました。なにか困ったことがあったらいつでも受付に来てね!」
「うん……!」
こうして、サラの初依頼が決まったのであった。
●ふたりで打ち合わせ
(ど、どうしよう、)
と焦っているのは清水カイト――サラと同行する依頼メンバーのひとりだ。
己と同じくらいの年齢の女の子が来ると聞いておっかなびっくりである。しかも戦えないときた。自分も腕が立つわけではないのに、いざとなったら自分がその子を守り、かばい、逃げなくてはいけないのだ。
(ううん……今からでもやめちゃおうかな。でも、そんなのよくないよね……)
両親がただウォーカーだっただけの、それだけの少年。空中庭園に招かれた時、両親は喜んでくれていた……と、思う。初めての依頼がこうなるとは、思っていなかったと思うけど。
(だいじょうぶ、できるベストを尽くせばいいんだし……それに、)
近い歳なら、友だちになれるかもしれない。そんな淡い期待も胸に抱いて。
「え、と……清水カイトくん?」
鈴のなるような。雪がふんわりと降ってきたような、優しくて消えそうな声。
カイトがくるりと振り返れば、妖精にも似た少女が不安げにカイトを見つめていた。
「あ……」
「…………?」
「あ、えっと、は、はい、僕が清水カイトです!!」
みるみる顔が赤くなるのが解る。こんなにかわいくて、ちいさくて、華奢で。守りたいと強く思えるひとだなんて、聞いていない。
「……えっと、サラは、サラっていうの……」
「さ、サラちゃん……って、呼んでも、いい?」
「うん……あと、敬語じゃなくて、いい、よ」
「う、うん……!」
えへへ、と笑ったサラがとてもかわいいから、どうしたらいいのかわからなくなる。これじゃあ依頼に行く前に自分がどうにかなってしまいそうだ。
きっと美人を見たのが少ないからだ、と美形揃いのローレットで己を諭し、カイトはなんとか笑いかけた。
「えっと、そ、それじゃあ……相談をはじめても、いいかな……?」
「うん……!」
「よし、じゃあ、えっと……こっちに」
「うん」
小さく頷き、サラはカイトが指差した席にゆったりと腰掛けた。じぃ、とカイトのその目を見つめてにこにこと微笑むだけ。警戒心なんてものはなくなってしまったのだろう、最初のおどおどとした様子からは打って変わって愛らしい印象が荒波のように襲ってくる。ああ、可愛い。
「……」
「どう、した、の?」
「あっ、え、えと、なんにもないよ……っ!」
「そう……?」
みるみる赤くなる自分がその愛らしい青い瞳ごしに反射して見えた。あんまりにも情けない顔をしているから、逆に背筋が伸びた。ピントがサラにあったなら、それは無駄なあがきだったと知るのだけれど。
「そ、それじゃあ、説明をする……よ?」
「うん……!」
ふんす、と息巻いているサラは大変健気で愛らしい。どうしたらこの鼓動の高鳴りを抑えられるのか誰か教えて欲しい。なるべく早急に。そんなことを天に求めても誰も救っちゃくれないから、精一杯己を鼓舞してカイトは口を開いた。
「今回向かうのは、幻想の小さな森……地図の、この辺にいくんだ」
「えと……ローレットから、とおい、ね?」
「そうなんだ。だからね、えっと……馬車ってわかる?」
「おうまさん?」
「うんっ、そうだよ。それにのっていくんだ」
「わぁ……!」
ぱあっと表情を明るくさせたサラにつられてカイトも思わず微笑んだ。しかしそれでは話が進まないと一生懸命自分を諭して。
「少し遠いから、朝早起きしなきゃなんだけど……サラちゃんはだいじょうぶ?」
「……が、がんばる」
「うん、一緒に頑張ろうっ……!」
頷いたサラに頷き返したカイト。続いて必要な道具を確認するためにメモをとりだした。
「ええと、それじゃあ、読むね?」
「うん」
読めるようにとふりがなが丁寧にふられているそれは、ローレットから幼いふたりへの気遣いにほかならない。本当は年長者のサラがリードしてあげねばならないのだがあの様子では無理そうだ。なのでカイトに全ては一任された。ふんわりと穏やかな二人の様子なら、きっと心配はいらないだろうけれど。
「水分補給用の飲み物やタオルは持参すること」
サラが小さな手でメモする。それが終わるのをカイトが見守る。そして、満足げに頷き見上げたサラと目が合えば、カイトはまた読み上げる。その繰り返し。
「軍手とスコップは貸し出し、その他必要なものは持参すること。例えば帽子や虫よけスプレーなど。……って書いてあるけど、サラちゃんはなにか持っていく?」
「んぅ……ぼうし、かなあ。サラ、ひやけすると、ほっぺがひりひりしちゃうから……」
アルビノであるサラは日差しに弱く、長時間日光に当たっていると肌がやけどしたようになってしまうのだ。だからこそ気をつけなければならない注意点なのだろう。
「な、なるほど……うん、じゃあそんな感じで。あとは当日待ち合わせ、だね……!」
「うん……! しゅうごうは、どこ?」
「あ、じゃあ、僕が馬車でサラちゃんのおうちに迎えに行ってもいいかな……?」
「うんっ」
「よ、良かった……じゃあ、また当日に!」
●ちいさな王子様
寝ぼけ眼のサラをなんとか起こしたカイトは、馬車になんとかサラを乗せて森へと出発した。
といっても、カイトはもうこの時点でだいぶクタクタである。
なぜなら――
「サラちゃーん……」
朝四時。とんとんと扉をノックするカイト。
「んぅ……?」
ぱたり、と物音。とてとてと歩いているのだろう、床の軋む音がして――扉が開いた。
「かいとくん……?」
「さ、さ、サラちゃん!!!!!?」
寝間着で、それもだいぶ可愛らしい姿で。寝ぼけ眼のサラは大きなくまのぬいぐるみをつれて。寝癖もそのままに、カイトを出迎えるサラ。
「ふぁ……もう、じかん……?」
「い、いや、ちょっと早いけど、それよりも――さ、サラちゃん、着替えて……!!!」
「ふぁあい……」
扉も閉めずに部屋のクローゼットを大胆に開けるサラ。そのまま自身の服に手をかけ始めたので。
「わーっ?!!!」
バタン。
勢いよく扉を閉めてしまった。
(………………っ?!?!!!!????)
齢十歳の少年にとっては、だいぶ刺激的だったのである。
ということで、まだ眠いのだと一生懸命とかした髪も気にせずに、馬車のリズムにあわせてすうすうと眠ってしまったサラなのであった。
――――――
――――
――
「……ん?」
「あ、サラちゃん、起きた?」
「んぅ……ここ、どこ……?」
「もうすぐ依頼人のご夫妻のところにつくところだよ。もう起きておいたほうがいいかもしれない」
「わかった……」
ふぁ、と小さなあくびひとつ。
最後に見た街並みはどこへやら、木々は揺れ小鳥のさえずる穏やかな森へとやってきた。
「っと、ついたみたい。いこうか、サラちゃん」
「うん。むこう?」
「地図によれば……うん、そうみたい。オレンジの屋根の家だって」
「いっしょに、さがしてみよ……!」
「うん」
たったったと勢いよく走っていくサラのその華奢な背を追いかける。風に揺れる銀糸が視線を奪う。
「カイトくん!」
「見つかった?」
「うんっ」
得意げに笑うサラに頷き、二人は老夫婦の暮らす家のインターホンを鳴らした。
「ごめんなさいねえ、お願いできるかしら」
「わしらももう年でのお。足腰が上手く使えんのじゃ」
「うん……! サラたちに、まかせて?」
「だいたいどのくらいの量が必要でしょうか」
「だいたいその籠にいっぱいで構わないわぁ、お願いできる?」
「はい、勿論です!」
「じゃあ、いってきます……!」
穏やかそうな夫婦に大きく手を振り、サラとカイトは老夫婦の家を出発した。
●はれときどき
「えっと、山菜ってどんな……?」
「これ。この……葉っぱがぎざぎざのとか、上に蕾が付いてるのがそうなんだって」
「へえ……」
「で、こっちのは果物みたい。食べてもいいし持って帰ってもいいって言われてたけど……」
「た、たべてみたい……!」
「うん、僕も。せっかくだから、色々食べてみちゃう……?」
「うん……!」
「え、えっと……じゃ、じゃあこの辺りで手分けして探そうかっ……!」
「う、うん……。サラも…がんばって……さがす……ね……!」
ぱぁっと、花が開くように綻んだサラにつられてカイトも微笑んだ。見慣れない果実はほんのり甘く、さっぱりとした風味が特徴的で、朝ごはんには相応しいものだった。
一生懸命に採集していくうちに森の奥へ奥へと進んでいく二人。奥に行けば行くほどに獣たちがとらなくなったであろう山菜達が残っており、これなら早いうちに戻れそうだ。
しかし。そうかんたんにいくのが人生ではない。
「……?」
ぽつり。
頬に触れる、雨。
先程まで澄み切った青空が広がっていた景色はどこへやら、曇天、鈍色の分厚い雲が空を覆う。
「あ……」
「雨だ……でもまだ弱いし、大丈夫かな……?」
「たぶん? もうすこしだけ、とっていこうよ」
「うん、そうだね」
しとしとと髪を、服を濡らす雨は一向に止みそうにない。
サラが深く被った帽子すらも少しずつ濡れだし、端正な顔立ちに水滴が伝う。
今日の天気予報は晴れだったはずなのに、なんて上手くいかない初依頼に内心ぼやきながらもせっせと手を動かすカイト。雨脚はだんだんと強くなっているような気が、する。
「さ、サラちゃん。そろそろ帰っておこう?」
「うん……あめ、やまないね……」
しゅんとしながらも立ち上がるサラ。その足元が雨に攫われる。
一心不乱に進んでいたことに気付かなかった。
サラが一生懸命山菜をとっていたのは、すぐ崖の近くだったと気付けたはずなのに。
「あ、」
ぐらり、と。
どうしてだか、サラが落ちていく姿がスローモーションで見える。
何が起きているのかわかっていない、薄く笑んでいた口元が少しずつ恐れに変わっていく。恐怖へと染まっていく。
「――――――サラちゃんッ!!!!!!」
カイトの悲鳴にも似た叫びがこだました。
サラは、ふわりと。天使のように。目の前から消えて――落下した。
「きゃあああああああああ――――――!!!!!!!!!!!!」
●きみの手を離さない
山菜もほうりなげてカイトが駆け寄った。ああ、死んでいたらどうしよう。パンドラがある程度は回復してくれるだろうが――それでも、見たくはない。だとしてもサラが落ちたという確証もない。だからまずは安否確認だ。
「サラちゃん!!!」
「……かい、と、く、」
呻きのような、小さな声が崖のしたから聞こえた。
ドラマチックで、ある意味運命的だ。
崖から運良く生えていた木をサラはその小さな手で掴んでいた。まずは一安心――生きていてくれた。それがどれだけ嬉しいか。
(どう、しよう)
ぷるぷると震えるサラをみて、心は迷っていた。
冷静さを取り戻していく頭で考える。
今助けを呼びに行けばサラはきっと落下してしまう。でもサラをひとりで助けられる自信は――ないに等しい。
(それでも、)
それでも、やるしかない。
サラと一緒に依頼に出たのはカイトだ。なら自分が助けるべきだ。
他人にした事はどんな事でも、どんな形でも必ず自分に帰ってくる――今此処で見捨てるわけには、いかない。
命綱を結ぶ。近くの木と、自分の腰に。それから。手を、伸ばす。
「ちょっとまってね、サラちゃん……っ」
「こわい……こわいよぅ……」
「よしッ……サラちゃん、手を……伸ばし……てッ……! 僕が……絶、対……サラちゃんを、助ける……から……ッ!!」
「カイ……ト……く……!! ……こわ……い……よぅ……たすけ……」
手をのばす。が、サラは頑なに手を伸ばそうとしない。小さな二本の手を離してしまうのが恐ろしいのだ。もしも離して落ちてしまったなら、死んでしまう。その恐怖が頭を覆い、心を支配しているのだ。それに、雨は止みそうにない。どんどん降り続いて、雨の勢いが強くなっているのが嫌でもわかってしまう。指先の感覚がどんどんなくなって、木から手を離してしまうビジョンも見えた。
青い瞳からぽろぽろと涙をこぼすサラ。雨ではないそれがしっかりとわかってしまうほどに、カイトは集中していた。そんな姿すらも美しいと思ってしまうのはなぜだろうか。今はそんな事を言っている場合ではないのに。己のバカさに腹が立つ。
「サラちゃん、僕、絶対助けるから……おねがいだ……」
「うう……」
「大丈夫、絶対助ける……」
己の言葉が薄っぺらく感じて、どうしてこんなにも己は無力なのだろうと悲しくなった。
サラがカイトを信用できない気持ちもわかる。どうして止めてくれなかったのか。どうして初対面の人間を信じることができようか。どうして。どうして。
それを口にしないサラの優しさがやけに胸を締め付けた。本当なら罵ったっていいはずなのに。助けて、とちいさくこぼすだけで、カイトを責める気配はない。泣き出しているのは間違いないが、取り乱して話を聞かない様子でもない。
だからこそ、僕は。
僕は、僕にしかできないことを、しなきゃいけない。
己を鼓舞するために頬を叩く。
「……よしっ」
「――――サラちゃん!! 手を、伸ばして!!」
雨音を遮ってしまうくらいに大きな声を、お腹から振り絞った。
雨で濡れた前髪がサラの視界を覆う。
ああ。あれは。
(かいと、くん……?)
そこにいるはずのカイトの声がぼんやりと遠のいていく。
ああそうだ。そうだ。あれはいつのことだっけ。だれかが、てをのばしてくれたんだ。それから。そうだ。なら。
自分だって彼を信じよう。
濡れた前髪を、首を勢いよく横にふることで払った。
「っ……うん、うんっ……!」
怖いだろうけど。
不安だろうけど。
でも、だいじょうぶ。
僕がかならず、サラちゃんを助けるよ。
見つめ合い、頷いて。ピンと張った命綱。
震える手でカイトはサラへと手を伸ばした。
サラもだ。片手を離した瞬間はぎゅっと、目を瞑って。震えていた。けれど、それだけではない。カイトの元へと至らんと、必死に手を伸ばしていた。そうすることでしか、助かる道はもうない。
けれど、届かない。ピンと、伸び切ってしまった命綱は、むしろカイトの行動を阻んでしまう。
「ッ……」
どうして運がこんなにも悪いのか。それでも諦めるわけにはいかない。
一生懸命に手を伸ばしてくれるサラのことを、信じているから。
白く細い指先がこちらへと伸びている。それだけで、なんでもできてしまいそうな気がするのだ。
もうなりふりかまっていられない。
するすると、腰に巻いていたロープを解く。そうする以外に道はない。
「サラちゃん!!」
命綱なんかいるもんか。
サラは、彼女は、目の前でこんなにも頑張っているのに、男の自分が頑張らないわけにはいかない。
震える指先が伸びる。
お互いに、震えていた。
雨がその小さな手のひらの輪郭をなぞる。
もがく指先。空を泳ぐ、もどかしい二つの手。
掠めて、爪がかすっただけでも悔しくて。
サラの細い指が、カイトの小さくもはっきりと伸ばされたその掌が。
少しずつ。少しずつ。
あと、3cm。
「サラちゃん、もう少しだ!!」
あと、2cm。
「うん、カイ、ト、く……っ」
あと、1cm。
「届け……っ!!!!」
あと――――――
「つ、かんだ……ッ!!!」
ひしと。しっかりと、カイトが手をにぎる。掴む。ぎゅっと。
その手が、酷く震えている。
カイトは最早自分の身が落ちるかもしれないという事実さえも忘れて、両手でサラの手を掴む。
絡まった指先。ぎゅっと、そのぬくもりを求めていたように。手をとって、からめて。手と手を、繋いで。繋がって。
「うあああああああ!!!!!!!」
引き上げる。力いっぱいに。ただ、サラが怪我をしないように気をつけて。
そして。
「ああ……」
「う、う、うわぁぁぁ……!!!」
なんとか、助かった。お互いの顔が安堵で歪み、カイトの瞳からも涙が零れ落ちる。
思わずカイトに抱きつくサラは、腕の中で小さく震えながら泣きじゃくる。その小さな背中をあやすように撫でながら、カイトも緩む涙腺をそのままに泣き続ける。
「お、おい、大丈夫かい……!!!」
「こっちに子供がいるぞ!!」
悲鳴を聞きつけてかけつけた大人が、二人を見つける。
もう危険はない。カイトからある程度の事情を聞いた大人の――狩人だという男性たちは、カイトの勇気を褒め、頭を撫でた。
森を抜け依頼人の元へと帰る。事情が事情ではあったものの、山菜は少ししか取れなかった。
「いいのよ、いいのよ……! あなたたちが無事に戻ってくれればそれで……」
「すまんかったのう……」
「いえ……そんな……」
申し訳無さそうに謝る老夫婦にまた目頭が熱くなるカイト。雨に濡れたサラは先に風呂へと向かっていた。
悔しくて涙が溢れる。そんなカイトを慰める老夫婦。気にしては居ないのだと。生きていてくれればいいのだと。そう笑って。
かくして、二人の初依頼は困難と冒険の渦中で終わったのだった。
●ハッピーエンドのそのあとで
「サラちゃん!」
「カイトくん……!」
大きく手を振ったカイトに、サラが控えめに手を振り返した。
今日はまたあの老夫婦の元へと向かう日だ。
カイトもサラも泣きながらもう一度やり直したいと頼み込んだところ、しぶしぶ了解を得たのである。
(あ、あれ……?)
サラの装いは前回と変わらないはずなのに、なぜだかどきどきしてとまらない。
(な、なんで……? 熱……?)
両親にも褒めてもらい、いつかサラちゃんを連れておいでとまで言われてしまったカイト。
もしかしたらそのせいで変に意識しているのかもしれない。年頃の男の子なのだ。
「カイトくん……?」
「えっ?! い、いや、なんでもないよ……!」
「そう……? なら、いこっか……!」
「うん!」
今日の天気予報は快晴。
澄み切った空が広がっていた。
てるてる坊主をこれでもかと吊るしておいたから、きっと今日は晴れ続けるに違いない。明日の天気予報だってちゃんと確認したし、今日は絶対晴れなのだ。
「今日はあんまり奥にはいかないようにしないとね」
「ちゃんとながいロープ、もってきたよ……?」
「そ、そういう問題じゃないから……!」
なんて軽口をたたきあったりして、馬車の中は和気あいあいとしている。くすくすとサラの幸せそうな笑い声を聞く度に、聞くほどに、ああ、あのとき助けることができてよかったと。命をかけてよかったと。勇気を出してよかったと思えるのだ。
「ねぇサラちゃん」
「なぁに?」
「もし次僕が崖から落ちたら、助けてくれる?」
少しだけ意地悪な質問だ。
がたがたと揺れる馬車のなか、偶然ではないと錯覚するほどに深く頷いて、サラは笑った。
「もちろん……!」
だって、それはあなたがしてくれたことだから。
どきっと弾む心臓を抑えて、カイトもなんとか頷き返す。
今日の天気はずっと快晴。
小さく芽生えた恋心は、いつしか実る日が来るだろうか。