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あなたと行く温泉旅行
登場人物一覧
馬車に揺られ、辿り着いたのは源泉掛け流しの湯宿、黒のポレポレだった。木造4階建ての趣がある旅館で、鶯色の暖簾が風に揺れている。エストレーリャ=セルバ (p3p007114)はソア (p3p007025)に微笑んだ。晴れた空には、白い雲がゆったりと流れ、のどかだった。
「ソア、凄いね。とっても素敵な所だね」
エストレーリャは言った。吸い込んだ空気に硫黄の匂いが混じった。エストレーリャはチャコールブラウンの旅行鞄を持ち、落ち着いた色のパッチワークニットとベージュのドット柄のロングパンツを着ている。
「うん、ワクワクが止まらない! エスト、たあっぷり楽しもう!」
ソア は目を輝かせ、ふわふわの大きな掌でエストレーリャの袖をそっと掴んでいる。ソアの肩には、ブルーの大きなショルダーバッグがある。泊まりということで沢山のものが大切に、丁寧に詰め込まれている。
「うん、ソアと一緒に沢山楽しむよ!」
エストレーリャは言い、笑いだす。そう、思い出し笑いだ。送迎の馬車までの道のりの中で、エストレーリャもソアも
──ソアのバッグ、ちょうだい。
──大丈夫、代わりにエストのバッグが欲しいな。今日は何だか、持ちたい気分だから!
互いに重いから持ってあげる、なんて言うことは決してなかった。そんなやり取りを何度か繰り返せば、突然、見知らぬ声が聞こえた。
「エストレーリャ様、ソア様、こちらです」
エストレーリャとソアはびっくりし、御者の若い女と金色の艶やかな、赤目の馬を交互に見つめるが、我慢しきれず笑いだしていた。エストレーリャとソアは知らなかった。
「エスト?」
陽だまりのような声をエストレーリャは耳にする。この声が好きだと思った。安心し、心が満ち足りていく。
「ああ、ごめんね、ソア。あのね、さっきのことを思い出してたんだよ」
エストレーリャは笑う。面白くて愛しくて仕方がなかった。
「さっき……あっ、馬車の?」
ソアはニッと笑った。
「そうそう。凄いね、ソア」
以心伝心。いつからだろう。ソアと心が通じ合う。
「ふふん、凄いでしょ! ボク、すぐにわかったんだ!」
ソアは嬉しそうだった。
「ありがとう、ソア。嬉しいよ」
エストレーリャは眩しそうに目を細めた。白いロングスカートにグレーのパーカーがとてもよく似合っている。ラフなお団子ヘアも今日にぴったりで、気付けば、エストレーリャはソアを見つめてしまう。ただ、それはエストレーリャだけではなく、ソアもだった。ソアはエストレーリャを無意識に何度も見つめている。エストレーリャは笑う。ソアといることで、心がカラフルになる。
「ソア、今日の格好もいいね。本当に可愛い」
君のように、素直でいたいと思った。伝えたいことを、ソアに伝えられることが嬉しいとエストレーリャは思った。ソアの表情が明るくなった。笑う度にソアの八重歯がエストレーリャの瞳に映り込んだ。
「ありがと! ボクもねエストの格好、大好き! あのね、さっきからずっと大好きだなぁってボク思ってたの!」
ソアは叫び、エストレーリャに正面からいつものように抱き着いた。エストレーリャの鼻孔にソアの香りが触れる。大好きな香りだった。
「ぎゅ~!! 温泉楽しみでね、早く今日になって欲しかったんだ!」
ソアの美しい尾が左右に揺れ動く。
「ソア」
エストレーリャは言った。愛が溢れ、唇から愛しい音を出した。
「ん? エスト、どうしたの?」
ソアは言った。エストレーリャに名前を呼ばれる度に嬉しくて、幸せな気持ちになった。エストレーリャは黙ったまま、ソアの髪を撫でようと金色の髪に手を伸ばし、気が付く。
「ううん、今はこっちの方がいいね」
エストレーリャは呟いた。ソアの髪を乱したくなかった。何度も結びなおしていたのをエストレーリャは見ていたから。
「え?」
ソアはきょとんとした。エストレーリャの言葉の意味がソアには解らなかった。それでも、ソアが不安になることはなかった。ソアは静かにエストレーリャを待っていた。
「大好きだよ、愛してる」
エストレーリャは髪を撫でることを止め、ソアの髪に口づけた。
「……」
エストレーリャは驚く。ソアの髪がとても甘かった、から。
「うん、ボクもだよ、エスト」
ソアは頬を染め、声を震わせた。なんだろう、もっと欲しいと強く思ってしまう。
「ソア、可愛い」
エストレーリャは微笑し、今度はソアの唇に自らの唇を触れあわせた。
「……ソア、旅館に入ってもいいかな?」
「……うん」
エストレーリャはソアとともに鶯色の暖簾の先に進む。
「ようこそ、こんにちは」
仲居達が穏やかな笑みを浮かべている。
「こんにちは! 凄いね、エスト」
ソアは真っ赤な顔で叫んだ。玄関には畳が敷かれ、賑やかで絢爛とした和空間が広がっている。エストレーリャは頷き、こんにちはと目を細めた。ロビーを見渡せば、寛ぎ、浴衣姿で談笑する人々の姿があった。
「ボク、エストの隣!」
ソアはこたつで暖を取っているエストレーリャの隣に座った。こたつは大きく、隣に座っても窮屈にはならなかった。ソアはエストレーリャに身体を寄せ、時折、熱いほうじ茶を飲む。
「楽しいね、ソア」
「うん! でね? 今日はエストをひとりじめするんだ! えへ~!」
ソアはエストレーリャの頬に自らの頬をくっつける。大好きだから、こうしていたいと思った。
「うん、離さないで? ソアに見つめられていたいな」
エストレーリャは微笑み、木製の菓子器に入った蒸し饅頭を見つける。
「ねぇ、ソア。あ~んして?」
「いいの!?」
「勿論だよ。ソア、あ~ん?」
エストレーリャはソアを見つめる。
「うん、たべる!」
ソアは大きく口を開け、饅頭とエストレーリャの指を口に含んだ。
「ソア? 僕の指まで食べてるよ?」
「だぁって~、エスト美味しいんだもん!」
「ふふ、お饅頭よりも?」
「うん! お饅頭もおいしいけどエストが一番おいしい!」
「そっか。僕もソアが美味しくて大好きだよ」
エストレーリャは目を細め、ソアの唇の端に付いた饅頭の皮を舌先で舐めとった。皮は甘く、ソアの味がした。
夕食は部屋食というものだった。
「えっ、凄い! エスト! 全部、ボク達が食べていいの!?」
こたつのテーブルに名産品のムラサキサメが並べられていく。酢味噌で食べる煮凝り、サメの刺身、ムニエル、タルタルソース付きのサメのフライ、サメ入りのおでんにフカヒレの真っ白スープ、最後にレモンのカヌレが届けられる。
「うん、そうだよ、ソア。美味しそうでワクワクするね。でも、急に食べたらお腹がびっくりするからゆっくり食べようね」
「うん、そうするんだ! このあと、お風呂だからゆっくりたべる!」
言いながら、ソアは煮凝りを食べ、目を瞬かせた。食べたことのない不思議な酸味と肉の甘味。美味しいと思った。
「ソアは偉いね。お風呂まで時間はまだまだあるし、焦らなくていいのが嬉しいね」
エストレーリャは刺身を食べ、美味しいと呟いた。臭みも脂のしつこさもなく、舌が甘い脂の味を知った途端、魔法のように溶けていった。口内に旨味だけが残った。
「うん、エストたくさん褒めてくれるから嬉しい! それにお風呂はエストと二人!」
ソアはタルタルソースをたっぷりとつけ、サクサクのサメのフライを頬張り、美味しさにハッとする。
「そうだね、貸切露天風呂だね。広いお風呂が二人だけのものになるんだね」
エストレーリャは笑う。とても幸せなことだと思った。
「あっ! 泳いでも怒られない?」
「ソアの好きにして大丈夫だよ。ただ、のぼせないようにしようね」
エストレーリャは微笑む。ソアの笑顔が何よりも嬉しかった。
湯気がゆらゆらと月に昇っていく。巨石をくりぬき、作られた露天風呂は星空に囲まれ、エメラルドグリーンの湯から硫黄の香りがどこまでも広がる。
「はぁ~エスト、気持ちいいねぇ~~!」
湯につかり、頭の上にタオルを乗せたソアとエストレーリャは手を繋ぎ、柔らかな笑みを浮かべる。
「そうだね。とっても、あったまるね。ソアと一緒に温泉に入れて嬉しいな」
エストレーリャは言った。湯口から流れる熱い湯が、こぽこぽと優しい音を作り冷たい風が剥き出しの肩や顔を撫でていく。
「ねっ、当たってよかった! それとね、エストと行きたい場所が沢山あるんだ!」
笑いながら両足をばたつかせるソア。湯が盛大に飛び跳ね、湯気が散っていく。ただ、今日だけは特別で自由だった。
「何処だろう?」
「まずはキャンプ! エストとご飯を一緒に作ったり、お喋りしたいなぁって」
「それはいいね、もう行きたくなってきちゃった」
「え~? エスト、気が早い~!」
ソアは嬉しそうに笑った。
「ふふ、ソアだからだよ。そういえば、泳がないの?」
「あっ、忘れてた! でも、今は……エストと手を繋ぎたい気分……」
ソアはエストレーリャを見つめ、唇を重ねあわせた。それから、ソアとエストレーリャは二人だけの時間を過ごした。
「あ~、あったまったねぇ! さっぱりした~!」
ソアは髪を下ろし、エストレーリャと部屋に戻った。すると、そこにはふとんが二組敷かれていた。エストレーリャは途端に穏やかな眠気を感じた。
「エスト、あのね!」
「どうしたの、ソア?」
エストレーリャはソアを見つめる。
「ボク、エストと一緒に寝る! だって、一緒が良いんだもん!」
「うん、一緒に寝よう? 今日、ソアと一緒に寝るって決めていたんだよ」
エストレーリャはソアの髪を撫で、ゆっくりと抱き寄せる。