SS詳細
狂えない錆びた黒
登場人物一覧
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かくして空の茜色は、完全なる闇に食われてしまった。
其処に月明かりも、星明かりも無く。只々のっぺりと墨でも落としたかのような天井が広がるだけ。
星の代わりに着くものがあるといえば、練達の巨大なビル施設の屋上で、ビル頭が闇に紛れぬように航空障害灯が点滅を繰り返すだけだ――とは言え、こんな気味が悪い夜に好き好んで飛ぶ奴なんて居るものか――有翼人だって趣味じゃあないだろう。
『神に抗う者』シュバルツ=リッケンハルト(p3p000837)は、酒の入った小瓶を傾けながら、ビル屋上の夜風に当たっていた――風が強すぎるが、へばりつくような暑さが飛んでいくのなら丁度良いくらいだ。
ビルから見下ろす景色は格別で、人の営みを象徴する光が天の川のように広がっている。成程、混沌の中でも旅人が多く、そして異文化が化学反応を起こした先進国は、木や草や花に囲まれた閉鎖的な国や、あまり好みでは無いが沁みを赦さぬ白亜の宗教国家よりは馴染み安い気がした。
「さて」
程良くアルコールが躰を廻った頃、シュバルツは一度欠神をした。空の瓶を投げ捨て、割れる音は風に攫われていく。
「元の世界でやり残した仕事をするか」
ビル屋上の柵を乗り越え、両手で天を抱くように広げながら躰を右に半回転。
ビルの端より、シュバルツの躰が背中から――飲み込まれるように、落ちていった。
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ビルの中は不思議にも、ひんやりと冷えていた。
人の音は聞こえず、静寂が落ち切っている。
最初は警戒しながら歩を進めていたシュバルツだが、そのうち廊下を堂々と歩いてみても――誰一人、そしてねずみ一匹たりとも音沙汰無し。存在を示すようなアクションが全く発生しなかった。
時計の短い針がてっぺんを超えているのだから、居住する事が出来ないビル内部に人がいないのは当たり前だ。
代わりに、それなりの警備が敷かれていると思ったのだがそういう事も無いらしい。
(どうやらそんなにも、自信があるようだな)
それは逆に、この夜長の摩天楼には強大な虎が住んでいる事を意味している。
成程、それなりに楽しめそうじゃあないか―――壁に寄りかかったシュバルツは、影に溶け込むようにその存在を希薄に落としていった――。
くすくすくす。
豪華な硝子の陶器に入っているウィスキーを傾け、ロックグラスの中の氷が鳴る。
全身を受け止める豪勢な社長椅子に躰を預けて書類を広げている男がいた。
彼は、昼の顔は中規模物流会社の社長であるのだが、夜の顔は悪徳な貴族や闇に住む者たちや、公にはされていない汚れ仕事を受け持つ暗殺者に必要な武器や道具を売る商人なのだ。
武器の取り扱いから使い方、その手の者たちの育成まで手厚く行っているからか、彼はいつしか罪人教師(トラブルメーカー)と呼ばれるまでに出世していた。
発端として、罪人教師は金儲けが好きなのだ。
金を集める事、其処に善悪は無い。
特に武器の売買は金の入りが良かった。戦争や戦闘があって、賊の類が暴れる為に武器を売れば、金が入る。保身が大好きな貴族は”悪い事”をする裏で身のために武器を買っていったし、呪われた武具呪具を集めているコレクターなんかは入荷の旅に札束を置いていく――武器の流通の為、物流会社の皮を被るのも納得は言えよう。
元は旅人であるのだが、あのアンラックセブンの一人、戦争屋と同じ世界から来たらしい。それは遠からずシュバルツと縁があるとも言えよう。
くすくすくす。
罪人教師の喉元にナイフが当たった。
壁から煙のように出てきて躰の輪郭が徐々に浮き出てくるシュバルツが、そのまま手を引けば罪人教師の首は落ちただろう。だが刹那、苦無のようなものがシュバルツのナイフを弾く――。
「お兄さんいやだなあ、足音しなかったよ」
「……」
天井のシャンデリアに膝をかけて、逆さまにぶら下がった女がいた。
両手の五指の間に苦無を挟みながら、瞬時、それがシュバルツ目掛けて飛んで来るーー再び壁に消えたシュバルツ。壁にシュバルツの影を追うようにして、苦無が刺さった。
シャンデリアから回転して地面に足をつけた女の長い黒髪がふわりと重力に従う。気づけば、罪人教師がいるこの部屋は死体がいくつか転がっていた。どうやら罪人教師を倒そうとして来たのはシュバルツだけでは無いらしい。その度に、この女が返り討ちにしたのだろう。
言われてみれば、罪人教師たるもの、命を狙われているのが慣れているのか。この状況に何一つ動じずにウィスキーを傾けている。まるで、金以外に関心が無いように。
「つまりお兄さんも罪人教師(マスター)を殺しに来た」
成程、この虎穴の虎はきっとこの女であるのだろう。
「だから殺されても仕方ないよね、くすくすくす」
突如女は傍らの大剣を投げた。壁に突き刺さり、轟音が響く。その大剣の着地点の真横に、シュバルツが立っていた。波の如く響いた衝撃に動じず、腕を組んだシュバルツ。
「罪人教師の雇われか」
「いやいや、私利私欲だよ。
私は戦闘が好き、あっちは武器を売るのが好き、んで私がそれを買う、あっちは武力を買う。
あっちは日々狙われているからここにいれば戦闘には事欠かないから私は楽しい。向こうは生きながらえて嬉しい。つまりウィンウィン!」
「商人お得意の需要と供給か」
「そうだね。
まあ見てみなよ、貴方のようなお客様(ゲスト)が来ても、金儲けのリストから目を外さないあいつをさ。
昼夜惜しんであの様だよ。頭オカシイって! 私らまるで眼中に無い! 殺すの気が失せたりしない?」
「……」
シュバルツは構える、饒舌な女を倒さなければ罪人教師を処理出来ない為に。
「……訳アリかなあ。はー、わかった。殺すのは趣味じゃあないんだけど、そういう事ならやろうか」
キシ、と女の口から涎が零れる。
「はやく、早くヤろう、早く早く早く――イかせてよ絶頂迎えるこの死線のスリル――貴方なら何処まで楽しめるの」
「よくねえ薬でもキメたか?」
シュバルツは女の後方へと回り込む、秒にも満たない時間で。だが女はぎりぎりスピードに着いてきた。差し込むナイフを寸前で躱し、代わりに回転する勢いを力に変換した拳が飛んできた。
躰を反らしてそれを躱すシュバルツだが、その拳が岩さえ砕く威力を秘めているのは拳が纏った風が伝える。
一度距離を取ったシュバルツに、着いてくるように女は右ストレートを繰り出す――殴ったのはシュバルツの残像だ、側面から出現したシュバルツに女は目を見開いた。
「――あ、すごっ」
横腹を思い切り蹴り抜いた――横に曲がった躰のまま女の躰はワンバウンドしてから壁に激突した。
咳き込みながら起き上がる女だが、この状況でも笑っている。戦闘が好きというのは、本当らしい。好きのタイプが振り切れているが――再び女は前に出る。拳のラッシュが女から繰り出され、その一発一発が重い。ついにその一撃を右頬に受けた時、顎が飛ぶかと思う程の衝撃が来た。脳震盪に視界が揺れるのを耐えつつ、シュバルツは足に力を込めた。
「休憩なんてさせないよ!」
「よく喋る女だな」
振り切った女の拳――トン、と床を蹴ったシュバルツが、女を通り越して足にブレーキをかけた。
『?』と頭に浮かべた女。一瞬首筋に衝撃はあったが体の痛みは無い――無いはず、だった。
「きゃっ!?」
刹那、無数の切り傷から血を噴出す女の躰。背中を見せて顔だけ後方を見て女が倒れるのを見ていたシュバルツ――だがしぶとい。なんのと起き上がった女は壁に刺さった剣を抜いてシュバルツへ投げた。
砲弾のように弾けた床、直前で位置を移動したシュバルツに女は――シュバルツの肩を掴んで罪人教師から遠い方へと軽々シュバルツを投げたのだ。
よくもまあその傷でふんばるものだ。顔を上げたシュバルツ、剣を持った女、そして―――。
ふとその時。
罪人教師が顔を上げた。
「そろそろ次のゲストが来る時間だ。行かねば」
「へ?」
「あ?」
罪人教師が椅子の手もたれにあった小さなボタンを押した瞬間、部屋に真っ白な煙が充満していく。
「なんでいつもそうやって邪魔するのーー!? 覚えてなさいよー! 次はアンタの大切な人を人質にしても最後まで戦ってもらうんだからー!!」
大切な人――そんなの。
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「――あまりり、」
「……」
小鳥の囀りと、秋の風がふく庭でメルトリリス (p3p007295)の膝に頭を乗っけたシュバルツが居た。
編まれたカゴの中にはサンドイッチと果物が入っており、陽気もいいのでちょっとした庭先で昼食を取っていた後なのだ。
「……」
頭の上に怒りマークをつけたメルトリリスは、シュバルツの頬を勢いよく抓った。
「――いっ!!」
飛び起きたシュバルツはメルトリリスを見て、元から冷たい視線を投げてくる少女だが、絶対零度くらいに拗ねた瞳で見られている。
「俺は何か言っていたか?」
「いえ別に」
「いや言ってたんだろ」
「いーーえーーー別にーーーー」
頬をぷくーっと膨らまして、ぷいとそっぽを向いたメルトリリスは地面の草を抜いては投げて抜いては投げて何かを訴えているようだ。鼻で笑うシュバルツがメルトリリスを小さな頭をぽんぽんと撫でながら、指で頬のを突けば膨らんでいた空気はあっけなく抜けていく。
「先日はどちらに行ってたのですか」
「ちょっと……元の世界の野暮用でな」
「用事は終わりました?」
シュバルツは苦笑いをしながら。
「いや……まだ、長くなりそうだ」
最近元の世界からの来報が多いように感じている。今更元の世界がどうなったかなんて興味は無いが――この世界でもまだまだ武器を置く事ができるのは先になるのだろう。
「ま、ゆっくり殺ってくさ」
「不正義です、神様は悪い言葉使いは駄目だぞっておっしゃいました。なので、せめてむかつくから生かしてやらないくらいに言葉を変えましょ」
「同じ意味じゃねえか!」