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あとがたり

登場人物一覧

鹿王院 ミコト(p3p009843)
合法BBA
鹿王院 ミコトの関係者
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 年の瀬の頃。
 その日を何の皮切りとしたのかはしらないが、早朝に布団から這い出て身震いのひとつもすれば、その予感通り、えらく冬らしい日となった。
 外を見やれば雪。天の何者かが夜間の内に張り切ったのか、既に十分というほど降り積もり、はらりはらりと落ちてくるそれらは、風情と呼べるくらいには、ゆうたりとしたものとなっていた。
「餓鬼の頃は、雪と見るとはしゃいで、それこそ犬コロのように駆け回ったものじゃが、大人になると、感動よりもこの寒さに身も顔も固まる思いよの」
 窓の外、雪の重みで枝を垂らせた木々を見て、ミコトはいう。逐一覚えてはいないが、きっと昨年の同じ頃、同じ話をしたのだろう。天気の話に時節の話。大人になるとはこういうことだ。
「そうですね。やはり雪玉を投げたり、転がしたりする歳でもありませんし。しかし、幼い頃、父には雪の日に外で遊んでもらった記憶があります。子を持つと、感想もまた変わるのでしょうか」
 特に返答を期待していたわけではなかったが、律儀にも、孫のナナセは言葉を返してくれる。
「そういや、あの婿殿はどこいったんじゃ?」
 ナナセの言う『父』。ミコトからすれば、娘の婿。彼ならば今の会話、どう返すだろう。そんな事を考えて、内心で苦虫を噛み潰した。きっといつもどおり、にこにこと温和な顔をしながら、「先代様が子供の頃といいますと、神話の時代でしょうか」などと含ませもせずに毒を吐くに決まっている。そのような強かさを持たずして、鹿王院の婿養子になどなれるはずもないが。
 その男が近くに居ない。それほど自分は雪景色に熱中していただろうか。不思議になって、思わず首を傾げた。
「父なら、西の離れに向かいました。呪詛のない紙類は、そちらに纏めるからと」
 確かに、そのものに術式効果を含まない書物や書類関係は、ひとところに寄せてしまっても影響はない。家外に持ち出されては困るような内容なら、自分で判断して選り分けるだろう。その程度の気配りと、判断するに足る実力を、あの男は持ち合わせている。
「それで、お祖母様、こちらの桐箱はどちらに?」
 彼女らがやっていることは、とどのつまり、大掃除である。基本的なあれそれは家の者が行ってはいるが、この術具倉庫だけはそうもいかなかった。
 術式に長けた者でなければ手に取ることも敵わないような代物もあり、中には鹿王院の機密に関するものも多少は含んでいた。
 故に、家図でも上位に来るものか、信頼に足るものしか扱うわけにはいかず、ナナセの父を含めた三名のみで取り扱うこととなったのである。
 厳密にはイチカを含めた四名で執り行うこととなっていたが、朝起きたら屋敷のどこにもいなかった。きっちりと先週から、この日は大掃除をするのだと伝えてあったにも関わらずだ。やつは逃亡犯である。
 故に三名。今ひとり外しているので、この場はミコトとナナセだけに任されていた。
「おや、神前酒じゃの。懐かしい。そんなところにあったとは」
「神前酒? 酒ですか―――あ、ちょっと」
 落とさぬように抱えたナナセから桐箱をひったくる。抗議の声など耳も貸さず、ミコトは封札を乱暴に剥がし、蓋に手を付けた。
「良いのですか?」
 呪言の書かれた札をあっさりと破いたミコトに、不思議そうな顔をするナナセ。術式の中にまで目を通しては居ないが、封術の類ではあったはずだ。たちの悪い呪いではないということだろうか。
「ん? あー……構わん構わん。これは使い方を知らねば危ういが、呪詛が込もっておるわけではないのじゃ。むしろ、半端に物事を知っておる方が危険やもしれぬ」
 そう聞くと、ますます安心など出来ない。しかし、ミコトはナナセの不安など他所に、開封を進め、中からそれを取り出した。
 それは酒と言っていた通り、琥珀に影を落としたような色をした、一升瓶だった。ラベルのようなものはなく、シンプルと言うより質素なものにも見えてくる。
「どうじゃ、桐箱の中にあるには、ステレオじゃろう?」
「……中身が、無いように見えますが」
 そう、ナナセにはその酒瓶の中には何も入っていないように見えた。半透明の一升瓶。その中に揺れているような水面が見えない。ただの空っぽだ。それでは酒とは言えない。ただの酒瓶である。
 しかしナナセは気づく。中身が空っぽであるはずの一升瓶にはしっかりとコルクがはめ込まれ、何もないにしては厳重すぎる―――それこそ、先の桐箱を凌ぐほどの封札が幾重にも施され、生半可な力では開封できないようにされている。
「見えぬか、ナナセ。それで良い。儂にも見えんのじゃ。見えてはならぬ。しかし、この中には確かにそれがあるのじゃよ」
 見えないが、たしかにそこにあるもの。謎掛けのようだとナナセは思う。祖母に、謎掛けを受けているようだと。この中には見えず、認識できないが、封をするだけの価値があるものが秘められているのだと。


「…………まさか、好奇心の少女の箱ですか?」
 喉をごくりと鳴らし、そう問うた孫に、祖母はきょとんとした顔を見せると、次の瞬間大声で笑い出した。
 何がおかしいのか、腹を抱えてその場に寝転がり、足をジタバタさせて笑い転げている。ナナセのことを馬鹿にしているのではなく、ただおかしくてたまらないという風に、ただとにかく爆笑するものだから、ナナセとしては、その行為に腹が立つはずもなく、「嗚呼そのあたりは、まだ埃を払っていないのになあ」と思うばかりだった。
 ひとしきり笑うと、ミコトは目尻に溜まった涙を拭いながら、荒くなった呼吸を整えて、答えてくれる。
「それこそ、まさかじゃ。そんな大それたもの、鷲の手には負えんわ。実際にあるかも知らぬ。それは神前酒だと言ったろうに」
 神前酒。神の前の酒。字はわかるが。そこから意味を読み取ることは難しい。ナナセにも、その言葉が表すものが、その価値が、いまいちピンと来ないでいる。
 この、何も入っていない一升瓶が、神などと大それたものと、何の関わりがあるというのだろう。
 見た目の割に頑丈に封がなされたその殻瓶を、ミコトは覗き込むように掲げてみせる。
「これをこさえた連中が言うにはのう、この中身を飲みほせば、今儂らがおるこの場所よりも、高次元の領域に達せるのだと。そこには儂らの想像もつかぬ高位の存在―――きゃつらが言うには、神じゃな―――がおって、そういう者に会いに行けるのだそうだ」
 まさか、と笑い飛ばしたくなるような話だ。飲むだけで高次元に至る、そんなうまい話があるわけがない。そもそもが、高次元というのも怪しいものだ。
 このような世界に生きていて言うべくではないが、それこそファンタジー。それもSFの領域にまで踏み込んでいる。
 しかし、とナナセは不安になる。この世界にいるからこそわかる。どこまでがあって、どこまでがないのか。そんなもの、まるでわかっちゃいない。誰も、本当に法則のすべてを知りはしないのだ。
 だから、嘘をついている様子でない祖母に、少し心配になった。
「…………まさか、本当に?」
「お前は、良い孫じゃのう」
 肩透かしを食らった気分だ。自分は一抹の不安を抱え、ともすれば緊張さえしながらその解を待ったというのに。
「あの、お祖母様?」
「知らんよ。高次元だ、神だと言われても、儂にもそんなもの、感知できん。理解できぬ。故に知るすべがない。これが本物か、紛い物か、そもそも空の酒瓶をどうやって飲むのか。なぁんにもわかっておらんのじゃ」
 少しだけ、ほっとする。それくらいには緊張していたのだと、自覚を持った。
 ならば、今の所そんな話はただの与太だ。ただの空瓶にしか見えていない祖母孫がふたり、不思議そうにそれを眺めているに過ぎない。理解できていない以上、理解する術がない以上、異常は異常ではないのだから。
「じゃがな」と、祖母は続ける。その顔にはこちらを脅かすような意図はない。ただ事実、実際であることを、理解できる上での現象のみを伝えてくれる。
「これを盃になみなみ注ぎ、中身を飲み干した者を、儂は確かに見たのじゃよ。そやつは喉を鳴らし切ると、忽然と消えよった」
 だからそれは、感知できることだけを述べたもの。理解できること、実際であったことだけを語るもの。
「光りはせぬ。徐々に透明になったりもせぬ。ただ、ふっと消えよった」
 飲み干したものは、たしかにその場から姿を消したのだ。この世界から、いなくなったのだ。
「では、その酒は本物なのですか? 飲んだものが、高位に至る瞬間を見たと?」
「だから、知らんよそんなことは」
 肩を竦め、両手を持ち上げて、なんというか、祖母にしては珍しく洋風なジェスチャーで「さっぱり」を伝えてくれる。
「高位の次元などというものになったかはしらん。儂にはそんなもの、観測できんしの。これを作った団体とは敵対したが、
高次元に至ったなんぞという坊主共が襲ってきたことはない。だから、そのから瓶を持って酒を注ぐような動きをし、飲んだような黙劇をして、姿を消した物がおった。それだけじゃ」
 謎の手順を踏めば、なぜか人が消える酒瓶。それだけのことだと祖母はいう。
 しかし、ナナセは気になった。気になってしまった。だからまるで箱をあけた少女のように、好奇心に任せてその先を尋ねたのだ。
「では、どうしてここまで封をしているのです?」
 そうだ、神前酒によって高位に至るという事実はない。その結果にたどり着いた実例が存在しない。だが何故、どうして、祖母はこの空の瓶を、手には取れど、空けられぬように封をしたのか。
 祖母はこの神前酒に、「まさか」という気持ちを抱え続けているのではないのか。
 だから、だから厳重な封印を施して―――。
「話のスケールがでかくなったせいじゃな」
 しかし祖母は、二転三転するこちらの表情に、呆れたような顔を見せた。しっかりしろと、言われたような気分になる。
「認識の線引がズレておる。人間をあっさり消してしまう異物じゃぞ? そんなもの、危なっかしくてお天道様の下にさらせるわけないじゃろうが」


 ぽかんとした顔の孫を見て、ミコトはやれやれとため息をついた。
「呪われる。怪我をする。病にかかる。心を喪う。そんなものよりよっぽど恐ろしいじゃろう。人間が、消えたんじゃぞ?」
 仮定不明。理解不能。それでも事実、ひとは消えている。
 そんなもの、危なっかしくて世に出せるわけがない。
 だから封印をした。空っぽであっても、中身が見えなくても、使い方がわからぬ道具でも、ひとが消えると、それだけはわかっているから。
 神だなんだと、そんなものは知らないし、知ろうとも思わない。だが、見えている危険だけは、手の届く範囲で管理を―――。
「それで、大掃除はどこまで進みましたか?」
 びっくりして瓶を取り落しそうになった。慌てて抱きかかえる。危ない。本当に危ない。中身が漏れ出したらどうするんだ。
 しかし声の主を放置するわけにもいかず、ぎぎぎと油をさしていない伽羅倶梨のような音を立てながら振り返る。
 そこには盲目の鬼―――否、婿養子がいた。
 どうやら、離れから戻ってきたらしい。
「戻るのが少し遅くなりまして、申し訳ありません。しかし時間も経ちましたから、さぞ掃除も進んで―――おりませんね。どういうことでしょう?」
「いや、あのな? 違うんじゃよ。儂は孫に、これまで溜め込んだ知識をな??」
「はあなるほど、酒瓶を抱えながらですか?」
 この男は盲目でありながら、どうやっているのかものの輪郭を完ぺきにとらえている節がある。どうして見えるのか、など、今更だった。
「待て待て待て待て。これは違うんじゃよ。いいか、お主には見えておらんじゃろうが、ここには厳重すぎる程の封印がなされておってだな―――」
「つまり、それだけ秘蔵の―――」
「違う。いや、違わないけど違う。お主は勘違いをしておる。儂はちゃんと真面目に―――」

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