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零とアニーの話~ゼロ距離~
登場人物一覧
プロポーズ、してくれた。親に会いにまでいってくれた。なのに、なんでなの? どうしてなの?
さみしいよ、零くん……。わたし、さみしいよ……。
「かんぱーい!」
打ち合わせたグラス、かろんと氷が鳴る。ジンで割った柑橘サワーは爽やかでのどごしも良く、零は一息に飲んでしまった。
「やー、美味しいな。アニーの作ったシロップ」
「えへへ、実家の両親がオレンジをたくさん送ってくれたの」
「いやほんと美味しいよこれ、ノンアルでもいけるんじゃないか?」
「試してみる?」
つまみ代わりの、アヒージョへスライスしたフランスパンを漬けて、アニーの作ったサワーを飲む。こんな贅沢な晩酌があっていいんだろうか。マドラーでくるくるとグラスの中身をかき混ぜるアニーの腕にはチトリーノの輝き。
言っちゃったんだよなあ。「結婚してください!」。頭の中で何度も何度もセリフを練って、人気のないところで予行演習までして、「俺は、これからも君と一緒に人生を歩みたい、今以上に……一緒に、幸せになりたい、そして……これからも、ずっと愛し続ける事を、誓います」って。
アニー自身の了承も、両親への挨拶も済ませた。あとは時を待つだけ。あと一歩、もう一歩、楽しみ、尽きることなく日々過ごすなか、ひとさじのマリッジブルー。「俺、ちゃんとアニーを幸せにできてるかな?」。それすらも頭をぽんやりさせるスパイス。いいや、してる。してみせる。やることたくさん、やりたいこともっとたくさん。毎日が矢のように過ぎていく、アニーと出会ったころはここまでとは夢にも思わなかった。めぐりめぐる思い出。にやつく頬。なんとか抑えようと酒のせいにしてみる。
「はい零くん、おかわりだよ」
本当にそのオレンジサワーは、幸せの味がしたのだ。ジュースみたいに飲みやすくって、気がつくと二瓶目のジンを開けていて……。
「れいくーん」
「なんだーあにー」
さっきからそれから言っていない。ふたりともアルコールはそこまで強くない。強くないのだが、ついつい杯を重ねてしまった。あたまぽわぽわ、からだはふわふわ。おかおはまっかで、のーみそプリン。いまならきっと羽ばたけるはず。月の裏までレッツゴー。
「れいくーん」
「なんだーあにー」
「れいくーん」
「あにー」
零はぎゅっとアニーを抱きしめた。ゼロ距離の密着。ちゅうーっぽんっ!
「へへっ、あにー」
ほっぺたにのこされたうすーい赤の痕。アニーはそれを撫でて赤面した。もとから顔が赤いから、あまり変わりはしなかったけれど。べろべろに酔っている零は気づいていない。自分がいつになく積極的だってこと。今なら、とアニーは考えた。零は慎重なところがある。格式張ったところもある。だからゆっくり、ゆっくりと気持ちを育ててきた。だけど今の零くんなら、ずっと心に隠していた思いをぶつけても……いけるんじゃないかな!? だって、ちゅうを、ちゅうを! してくれたんだもん!!!
あんなに遠回りまでして、やっとした口づけ。
お風呂で流した背中。
少しずつだけど、近づけてきた距離。
それを一気に飛び越えるような、ほっぺちゅう。あと一歩踏み出したっていいんじゃないかなあ。ねえ、零くん、そうだよね。わたしたちもうすぐ結婚するんだよね? 零の腕の中、アニーは決心した。
――今夜こそ、一線を、超える!
アニーは燃える瞳で零をみあげた。
「れいくーん」
「んんー? なんだーあにー」
「わたしたち、フィアンセだよね?」
「ん? そうだけど?」
零は相変わらずにこにこしたまま首を傾げている。まるでアニーの変化に気づいていない。そのことにアニーはちょっぴりむっとした。
「零くん」
「なに、どうしたアニー」
ここに来てようやくアニーの態度に気づいたのか、零はまばたきをした。三白眼だけど、その瞳は間近で見ると吸いこまれそうだ。アニーは流されそうな自分をしっかり持って、自分から零の首へ腕を回した。服の上からでもわかるたっぷりとした豊満な胸が零へぬくもりと柔らかさを伝える。とたんにわたわたと離れようとする零。そのことに傷ついた眼差しを見せ、アニーは零へ言い募った。
「どうして……手を出してくれないの?」
「へ? 手?」
「どうして抱いてくれないの?」
「う、うおおおお、ストレート直球来たなあ!? アニーこそどうしちゃったんだよ。今夜のアニーはなんか変だぞ」
「ううん、変なんかじゃない。前から思ってたの。どうして零くんはわたしから逃げるんだろうって……!」
「に、逃げてなんか」
「逃げてるじゃない!」
目を背ける零に、すがりつくアニー。
「どうしてなの零くん、わたし、そんなに魅力ない……かな……」
アニーの瞳に薄い膜がはり、みるみるうちに分厚くなって涙となりこぼれ落ちる。かわいらしいブラウスの襟元に円が描かれた。
「い、いや、そんなことない。そんなことないよアニー。アニーには魅力がありまくるよ! 綺麗だし可愛いし、一緒に居るだけでもすごく楽しいし……」
「一緒にいるだけじゃ嫌なの! 零くんとつながりたい、ひとつになりたいよ!」
「だってその、婚前交渉は親御さんの手前、よくないかなって……」
「零くんはわたしと結婚するの? わたしの親と結婚するの? どっちなの!?」
涙が飛び散って光る。アニーは激しく頭を左右に振り、滂沱の涙を流している。まずアニーを落ち着かせなくては。そのためにはじっくり話を聞いたほうが良さそうだ。零はそう判断すると、アニーを抱きしめ背中をポンポンと叩いた。
「好きだよアニー。好きだよ。大好きだ。ごめんな、俺なにか勘違いしてたみたいだ。よかったら教えてくれよ、な、アニー」
「う、うう、ぐすん、零くんのばかぁ、すき……」
しばらくぐしゅぐしゅと泣き崩れていたアニーだったが、やがてぽつりぽつりと話しはじめた。
世の中の恋人や夫婦は、赤ちゃんを作る以外でも愛を深める方法としてあの同人誌みたいなことをするのだということ。
零は抱きしめてくれるがその先へは行こうとしないのが不満だったこと。
一緒にお風呂に入っても同じ部屋に寝泊まりしてもアニーの体へは一切触れてこなかったことに深く傷ついたこと。
零にならすべて捧げてもいいと、思っていることを……。
「ねえ、零くん。わたしね、わたし……とっても、さみしい、よ……こんなに近くにいるのに、ぜんぜん近づいた気がしないの。越えられない壁があって、ある日突然零くんがふっと消えてしまうんじゃないかって……思って……」
「アニー……」
酔いはすっかり覚めていた。零はアニーの頬を包みこむ。ふたりは至近距離でお互いに見つめ合った。
「俺は、アニーが大事だ。大切にしたい。それだけだったんだ。なのに、さみしい思いをさせていたんだな。ごめんな」
「零くん……」
「だから、そのっ、すげー耐えてる! 今も耐えてる! 俺も! アニーが! ほしい!」
「零くん、わたしうれしい!」
「で、でも正直やり方、わかんないんだよ。知識としては持ってるけどさ、あやふやだし初めては超痛いっていうし、アニーに負担をかけたくないっていうか」
「知識だけじゃわからないよ、実践してみようよ。何事も経験だよ零くん」
「えっ」
いいのか、という言葉を零はのみこんだ。そんなことをしてしまえばまたアニーを傷つけるとわかってしまったからだ。ちくしょう、まさかこんなことになるなんて。事前に経験豊富な先輩方に教えを請うべきだったか。誰が適任だろう、なんて零は現実逃避していた。
「んーと、キスは、もうしたからあ……、次はこう、だったかな?」
はっと意識を引き戻せば、アニーがブラウスの前をはだけている。同人誌で得た知識のようだ。まあたしかにそんな手順ではあった気がする。
「零くんも脱いで」
「あ、ああ」
言われたとおりぷちぷちと前のボタンをはずしていく。夜気が零の胸を撫でた。
「ふわあ、零くんかっこいい。また筋肉ついた?」
「修行してるから」
「すてき……セクシーってこういうのをいうのかな」
アニーの白くなよやかな手が零の胸から腹筋をたどっていく。わずかなおうとつも逃したくないかのように、彼女はやさしく零に触れる。で、一方零といえば爆発寸前だった。アニーに触れられている。求められている。それがたまらなくうれしい。アニーが零の胸、心臓の位置へ口づける。舌を使った濃厚な口づけは零の胸に一点の華となって残った。お返しに、と零もアニーの喉元へ手を添えた。
「ふあ……!」
「あ、アニー!? だいじょうぶか?」
びくんと大きく震えたアニーに、零は思わず手を引っ込めた。
「ん、へいき、気持ちいいよ、もっと続けて……」
そう言われて意を決して両手で胸へ触れる。下から持ち上げるようにすると、もっちりとした感触が両手に余った。これが男の幸福というものか。零はごくりと生唾を飲む。
「あ、あふ、えへへ、えっちな声でちゃった。触られるの、うれしいよ、零くん」
「アニー、アニー!」
零はとうとうアニーを押し倒した。柔らかなラグがふたりを迎え入れる。
「零くん、うれしい……!」
「アニー!」
朱に染まった頬へキスの雨を降らせ、長いスカートをたくしあげ、いちばん大事な部分へ触れようとした……ところで零は異変に気づいた。
「くぅ、くぅ、すや」
「は?」
……寝ている。
「え、えええええええ寝落ち!? 寝落ちするこの状況で!? 嘘だろ神様、冗談やめろよ!!」
しかし上谷零という男は、紳士と書いてヘタレだったのである! アニーをベッドへ運び、パジャマに着替えさせ、自分はトイレにこもること少々。なんというか、神様、たまに積極的になればこれだよ。でもアニーの本心が知れて、一歩前進したかな。なんて大きなため息を吐く零だった。
ちなみにアニーのほうは酔っている間のことは何も覚えてなかった。それがまた零へトドメになったと言う。