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零と武器商人の話~プレッシャー~
登場人物一覧
行こうと思えば遠ざかり、踵を返せば扉を開ける。この複合機能神殿は本当に持ち主の性格を表していると零は思う。
暗闇をひたひたと歩いていけば、羽の生えたカンテラが突然落ちてきた。それは中空で姿勢をキープし、零を奥へ誘う。
「案内ごくろうさん」
この程度の不思議には既に慣れてしまった。零はカンテラが飛んでいく方向へてこてこと進んでいく。
ガシャン。
唐突に左の壁から幾本もの槍が飛び出してきた。
「わひいいいいい!」
思わず反対方向へ身を反らせた零は、右の壁から飛び出してきた槍にみごとに貫かれた。
「い、で……」
完全に想定外だった。まさかトラップが二重にかけられているとは。幸いにも急所ははずれているが、このままだと出血多量でお陀仏だろう。なにより……痛い。常人なら発狂しているレベルだ。戦場において苦痛は第二の敵だ。たやすく思考を奪い、士気を下げ、お荷物になる。死者よりも傷病兵のほうが扱いは難しいのだ。それでも零が落ち着いているのは。
「師匠。見てないで早く治してくださいよぉ」
不自由な首を曲げて零は視界の端に映る扉へ向けて言った。
だが反応はない。
(え……これ、マジでアレでソレなやつ?)
血の気が引く音を聞いた零はなんとか脱出しようと試みた。だが槍には返しがついていて簡単に抜けない。体を動かすだけでも激痛が走るのだ。神経を破裂させるような激痛が。
「い、いいい、いだい、いだい、いだだだだだ……」
もがく零の足元には深い血溜まりができていた。人間は体内の3分の2の血液を失うと死ぬと言う。その前にこのトラップから這い出て師匠の部屋にたどりつかなければ一巻の終わりだ。いやだ、こんなところで果てたくはない。自分には守るべき人がいるのだ。その人のために強くならなくては。こんなところで無様に果ててなるものか。
「強化魔術・耐」
短く文言を唱え、意識を集中する。言葉に意味はない。言葉にすることに意味があるのだ。特にこういう、パニックに陥りそうなときは有効だ。己が何をしようとしているのか、思考を整理するために。零は強引に罠を抜けるべく両足を踏ん張った。
「ぬ、ぬぎぎぎぎぎぎ……ぎぎ、ぎ……!」
槍の返しが傷を引き裂く。ぼたぼたと血が溢れ、裂けた肌の下から筋繊維が見えた。
「ぎぎぎ……ぎ、ぐ、ぐああああああ……!」
槍がずっぽりと抜け、零は血溜まりへ倒れ伏しそうになった。だが直前で体勢を立て直し、扉目指してダッシュする。
「師匠! 師匠! あけてください! 俺死ぬ! このままだと死ぬ!」
最後の力でドアを拳でガンガン打ち鳴らしわめいていると、突然扉が内側へ開いた。べちゃっと床に伏す零。
「うーん、残念。そこで立っていられたら今日は100点だったんだが」
笑みを含んだ声が毛足の長いラグ越しに伝わってくる。
しゅうしゅうと音を立ててほのかな煙が零の全身から立ち上っている。同時に苦痛が潮を引くように消えていく。体が修復されているのだ。助かった、と零は思った。
「油断しない」
ぶぎゅる。
カンテラに頭を踏まれた零は憮然とした表情で立ち上がった。服もきれいになっており、先程までの惨状はみごとに失せてなくなっていた。それが目の前の師匠の仕業だと、零にはわかっていた。
武器商人。大召喚によってこの混沌へ流れ着いた畏怖。誰ともつかぬものである。ソレが零の師匠だった。
その武器商人は零のことなど見向きもせず机に向かって書き物をしている。コピー紙、羊皮紙、上質紙、よくわからない言語が書かれたたくさんの書類。
「やれやれ。まったく。『至急』だの『緊急』だの、魔法の言葉だとでも思っているのかね。それによって失われる我(アタシ)の時間を考えてほしいものだよ」
封蝋の施された手紙を裂き、中身を取り出してざっと目を通すと、興味を失ったのか処理済みと書かれた棚の中へ放り込んだ。
「もっと書類を精査するよう下の者に言っておかないとね」
椅子が自主的に動いて零の方を向く。武器商人は立ち上がると、気をつけの姿勢をしている零の頬へ触れた。やわらかく、つやつやしている。若い者特有の張りが武器商人の指先を楽しませた。
「最近、甘えが出ているようだね。何があっても我(アタシ)が治すと思ってるんじゃないかい?」
急に心の底を見抜かれ、零はびくりと震えた。
「え、あ、そんなことは、まあ、ちょっとあるけど」
「それがいけない。今日はひとつ回復なしでやってみようか」
「へ? いやいやいや、死ぬ、死ぬって」
「死にそうだから強くなれるんだろう? 火事場の馬鹿力といえば聞こえはいいが、教え子、キミはまだ自身にリミッターを課している。今日はそれを打ち破ろうねぇ」
口元で三日月を作る師匠には、何を言っても無駄だと経験で知っている。零はうなずくしかなかった。
武器商人が椅子を引くと、なぜそこに隠れていたと言いたくなるような地下への階段があらわれた。
階段を降りていくと、ドーム状の稽古場へ出る。ここは見覚えがある。暇を見つけてはここで鍛錬しているのだ。師匠が言うにはこの稽古場自体が魔術の力場によって覆われていて、『死ににくく』なっているのだそうだ。
ただし痛みはそのままというあたり、魔術を仕掛けた本人の性格が出ていると思う。
師匠いわく「死に近いところで死に慣れさせる」らしいのだが、半分は趣味だろうと零は睨んでいる。ここで零と組手をする時の武器商人は生き生きしているように見えるからだ。とはいえ、そんな相手に師事すると決めたのは自分なのだし、実践的な稽古はじつに役に立つ。
「さァ、始めようか」
武器商人はどこからともなく銀のアセイミを取り出した。零も両腕を開いて刀を召喚する。ここまではいつもどおり。問題はここから。
じわりと零の肌へ汗があふれる。武者震いどころではない。完全に雰囲気に押し負けている。今日は回復がない。つまり、一撃でも致命傷を貰えばそこで終わりだ。
(ならどうする? 逃げ回るか?)
現時点の力量差を考えればそれが最適解。だが、師匠がそれで満足するかと言われれば……。
(向かっていくしかない……!)
零が床を蹴る。一本だけの刀へ全力で魔力を注ぎ込み、硬度と鋭さを上げる。これなら多少の反撃はねじ伏せられるはずだ。
「ほぅ、いい出だしだ。魔力操作も申し分ない」
突進から繰り出されるは、突き。一直線に武器商人の胸を狙っている。
武器商人は手に持っていたアセイミを、突きを食らう直前で手放した。見えない力がアセイミの頂点と零の突きを相殺する。その瞬間を狙ってもう一本のアセイミを生成。切っ先が零の首筋へ吸い込まれていく。
「来るとおもってたぜ!」
新たに顕現した刀がアセイミを弾き飛ばした。
「硬度、反応速度、どちらもけっこう。いい動きになったね、教え子」
「だてに場数は踏んでないんで……!」
「そう、それだよ。そこがよろしくない」
武器商人が一歩踏み出す。零は刀を弾かれ、大きく後退した。
「動きが我(アタシ)専用になってきてるのさ。それじゃ戦場で通用しない」
思ってもいないところを突かれ、零は驚愕した。その一瞬の間隙へ武器商人はアセイミをねじ込んだ。
「わわっ!」
顔面を狙う攻撃。ガードするので精一杯だった。零はさらに後退していく。
「そんなに消極的でいいのかい?」
いきなり耳元で囁かれ、零はぞっとした。
「師匠がふたり、いや、さんにん!?」
チェスターコートの色だけが微妙に違う武器商人たち。
「いや、師匠、3対1はひきょ……!」
「なにがだい、戦場ではひとりで多くの相手をするのは当たり前になってるよ」
「……そ、そうだけども!」
零は思考を巡らせる。わざわざ分裂したということは、ひとりくらいは倒せということだ。普段どおりの行動パターンなら師匠は攻撃をかわさないし、おそらく分身の体力は低下させてあるだろう。そこに賭けるしかない。
右から左から、武器商人たちの攻撃が迫る。そのどれもが致命傷になりうるものだ。
(どれが分身だ?)
死角からくる攻撃をさばきながら零は血眼で印を探す。最後はもう勘だった。
「でええりゃああああ!」
再び魔力をこめた刀を呼び出し、投擲。武器商人のひとりが嗤いながらそれを受ける、だが突き刺さったその直後、刀が破裂した。肉片が宙を飛び、上半身をずたずたに切り裂かれたソレが感嘆の表情を浮かべて倒れる。その後ろからすっと現れた本体であろう武器商人がゆっくりと拍手をする。
「よくできたねえ。点ではなく面の攻撃か」
「へへっ、これなら肉に刃が食い込んで再生も難し……おぐ」
「油断しない」
いつのまにか後ろへ回り込んでいた、もう一体の武器商人が、零の背へ刃を突き立てていた。ギリギリ心臓ではない位置だ。だが肺に穴が空き、出血によって急速に内側から侵されていく。
「ぐっ、げほっ!」
「いまのはご褒美ではずしたんだよ。次はこうはいかないからね」
「ああ、ごほっ、のぞむ、ところ、だ……」
背後に実体化させた刀で分身の動きを誘導。行く先にもう一本出現させて串刺しにした。零がくらったトラップの原理だ。その状態のまま三本目の刀が首をはねる。どうと倒れた分身が消えていくのを横目で確認し、零は血反吐を吐き捨てた。呼吸は阻害され、苦痛は全身に及んでいる。だが正面の武器商人から漆黒の鍼の群れが迫る。本能が避けろと叫んだが、零はあえて刀を実体化し、盾とした。あんのじょう鍼は盾へ突き刺さらず、軌道を変えて零の背中を狙う。その鍼が一点へ集まった瞬間を狙って硬度に特化した刀で叩き切る。
(死のギリギリを見極めろ、痛みに止まるな、思考も手も止めちゃだめだ、止まれば死ぬぞ……ッ!!)
応えるように歌うように武器商人が紡ぐ。
「死に慣れろ、痛みに慣れろ、思考を止めるな、手を止めるな」
死闘は続く。踊るように。戯れるように。