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ナイトとあさときの話~ここに居るよ~
登場人物一覧
- 崎守ナイトの関係者
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「今日のシャッチョサンは浮かない顔ね」
「そうですわね、くわばらくわばら」
secretaryとpersonnelは給湯室へ避難した。おかげでナイトはひとりぼっちだ。12坪のワンフロア(妙に落ち着く)で、椅子に座り、組んだ手に顎を乗せて不機嫌な顔をしている。じりじりと時間だけが流れていく。それに比例してナイトの腹の底が煮えてきた。凶暴な感情が度を越す前に、ナイトは自分の両の頬をパンと叩いた。
「あー、ダメダメ。こういうときは、いつものあれ!」
虚空へ右手を差し出し。
「俺の名は崎守ナイト!」
今度は左手で拳を握り。
「悪をぶっ飛ばす正義の社長!」
両手を肩の高さでバッと広げる。
「今日も贅沢(luxury)な仕事(business)を持ってきたのか」
最後にガッツポーズ。
「大変感謝(great ARIGATO)!!!」
しーん。
「はあ……」
手応えのなさにナイトは再び椅子へ崩れ落ちた。ハンディ情報端末を取り出し、アドレス帳をくる。あ、い、う、う、う、うぐるすあさとき。ROOにおけるNPCのひとりだで、自分の兄ということになっている。ROOなんてしょせん何もかもおままごとだ。それでも、すがりそうになってしまうのは……。
「はあ……」
本日何度目かもわからないため息を付いて、ナイトは端末の電源を落とそうとした。そのとき、手がすべり、朝時あての通話をタップしてしまった。
「やべっ!」
あわてて通話を取り消す。いまの情けない自分を見られたくない。意地とプライドの男心の機微は綾織りのように繊細なのだ。
prrrrrr。prrrrrrr。
すぐに返信がかかってきた。たった一回のコール音でも、見逃さないのはさすがと言ったところか。
prrrrrr。prrrrrrr。
ナイトはしばらく腕を組んで放置を決め込んでいたが、コール音が途切れる気配はない。7回目を迎えたところで観念して通話に出た。
「なんの用だ」
自分から電話しておいて、不機嫌丸出しの声に、端末の向こうでくくっと喉のなる気配がした。
「久しぶりに飲みに行かないか」
こういうとき「どうした」などと聞かないのが、兄の優しさなのだと、ナイトは知っていた。
待ち合わせ場所は地下にある小さなバーだった。客はナイトと朝時だけ。落ち着いた雰囲気のジャズが流れ、飴色に光る棚と酒瓶が年月を感じさせる。マスターは初老の男性で、透明な無関心をまとっていた。
ふたりでカウンターに腰掛け、兄はスコッチを、弟はバーボンを頼んだ。注文を受けたマスターが氷をアイスピックで削り始める。その手際の良さ、仕上がった氷の丸さにナイトはほうと吐息を漏らした。朝時はゆったりとグラスを傾ける。
「最近ここが気に入りでね、よく通っているんだ」
「そうかよ」
「ナイトはどうだ? いい店を知っているか?」
「最近は依頼、依頼で、新規開拓する暇がなくて……」
「そういうときもあるな。だが社長たるもの常に余裕があるように見せなくては大きな仕事(big chance)はやってこないぞ」
「わかってらあ」
「ははは」
ほがらかに笑う兄の姿が、現実の思い出に重なる。
いつも一歩先を歩んでいた兄。
憧れの存在だった兄。
魔種に堕ちたのも、信念からだと思っていた。
なのに……。
「なあ、昔話をしていいか」
ナイトがそうふると、朝時は「どうぞ」と返した。丸い氷がグラスの中で揺れる。
「むかし、ある兄弟がいたんだ。兄は品行方正で文武両道、兄弟仲も良かった、だがある日信念の違いで決裂してしまう」
「よくある話だな」
「そしてもう一度出会ったとき、兄の方は手段を選ばぬ極悪人になっていましたとさ、めでたしめでたし」
朝時が小さく吹き出した。
「どこがめでたしめでたしなんだ?」
「時の流れは非情だっていう話だ」
「……それで、兄はどうなったんだ?」
「さあ、この話はいまのところここまでだ」
「そうか」
朝時がすこし身を寄せた。肩がとんとぶつかりあう。
「ナイトは戦っているんだな。俺の知らない戦場で」
「ああ、まあ、な」
重なり合った肩からほのかにぬくもりが流れ込んでくる。それはナイトに幼い頃の戯れを思い起こさせた。
いっしょにトンボを取りに行ったこと。
笹舟を川へ流したこと。
花見の準備に駆り出されたこと。
腰まである白い雪の中をまっすぐに進んでいったこと。
あの蒼穹の美しさよ、先を進む兄の微笑みよ。
ああ春夏秋冬、兄と一緒だった。それ以外の自分は考えられなかった。思い出は次々と脳裏を占拠し、いつしかナイトは涙目になっていた。泣かなかったのは意地に他ならない。そんなナイトを、朝時は優しい瞳で見つめていた。
「なあナイト、俺にはわからない。オマエが何を考えているか、何を思っているか。だがな、考えてみればそれは当然の話だ。俺はオマエじゃないし、オマエは俺じゃない。俺にはマスターが何を考えているかもわからないし、部下ももちろん、街ですれ違う人だってそうだ。ようするに、心の中のことを知覚しようなんざ無理ってことだ。それでも……」
朝時がナイトと視線を合わせる。
「オマエのことは、だいたいわかっているつもりだ」
「兄貴……」
ナイトがしきりに目元をこする。今日は乾燥してるな、なんて言いながら。そんなのは言い訳に過ぎなかったけれど。
朝時は弟の腕を握り、力強い笑みを浮かべた。
「ナイト、何も怖いことはない。俺は、ここに、居る。どっかで誰かがくたばったって、俺はこの世界があるかぎり、ここに居る」
「兄貴ぃ……」
とうとうナイトは決壊した。
――俺達に宿命づけられたのは、無限の闘争だ
――ただの命の取り合いだ。そんな事でどうして世界平和が為せる?
そう言っていたじゃないか、兄上。
――世界を救うには、力が必要なんだ。
――その力の色が白か黒かなんて関係ない。強いものだけが平和をもたらす事が出来るのだから。
――なあ、そうだろう? だからお前だって、強くなってきたんだろう?
違うんだ。俺はただ兄上を止めたかった。その結果が死闘になろうとも、兄上が間違っていると認めさせたかった。そのための力なんだ。
ああ、そうだ。俺はエゴイストだ。兄上のように世のため人のためなんて考えちゃいない。兄上を止めたい。それだけなんだ。
「兄貴……」
「なんだ、ナイト?」
「この歳でわがままなのって、おかしいか?」
「何が? 欲望は原動力だ。飢えているからこそ上を目指せる。そうだろう?」
ナイトは軽く笑い、そうだなと返事した。すこし肩の荷が下りた気がする。
「弱気になるなナイト。そんなんじゃ正義の社長は名乗れないぞ」
「ああわかってる。そうだな、とりあえず、ROOの社長業をこなして、シャーマナイトの経営を見て、それから、気に入らない野郎をとっちめてくる!」
ナイトはにっと笑った。眩しいほどの笑顔だった。
それを見た朝時も切れ長な瞳でゆるく弧を描いた。
(なあ、ナイト。歯がゆいな。大事なオマエが大変なときに、俺には何もできない。俺はしょせんNPCでしかない。できることは限られている。それでもオマエを元気づけられたら……きっと俺はそのために居るんだ。そう思うよ。だからいつでも頼ってくれ、会いに来てくれ。いつも見守っているよ、ナイト)