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『アイ』と名付けられたその現象の考察
登場人物一覧
ある者は『それ』を、人生における唯一の遊戯のようなものだと告げた。
ある者は『それ』を、甘くてとろけるチョコレヰトのようなものだと告げた。
ある者は『それ』を、原初の罪を焼く業火のようなものだと告げた。
――『それ』の名称。人間たちは『愛情』と呼んでいた。
〈物語〉における『愛情』とは、様々な解釈と書き手の思考と展開を広げるためのほんの少しのエッセンスによって存在する。もちろんそれはジャンルによって大きく左右されるものであると理解はしている。けれど、そうなのであれば、〈物語〉、とりわけ複雑怪奇なモノを象徴とする自分には不必要であり、イレギュラーであり、排除すべきものであるはずだ。陳腐で滑稽なシナリオなど、誰も読みたがるわけがない。
嗚呼、其れだと云うのに、とオラボナ=ヒールド=テゴスは深い闇の色を揺らめかせ、思考する。
自分が思い、感じる『愛情』とは何か。
愛とは平等で在ったが、今では唯一の存在に対する感情だ。毒だとわかっているのにも関わらず、逃れられない。失いたくない。カラビナを燻した煙だって、此処まで厄介なものではないだろう。
だと云うのに、自分は『それ』に誘われている。甘露に魅了されている。焦がれている。
そもそもの話、愛とは一体何ゆえに生まれたものなのか。人間とは何ゆえに存在するのか。生命とは。
答えが在るとは思えない。思考はいつだって回転木馬のようにいつも原点に還るのだ。
〈怪奇小説と云う名の物語〉における『愛』とは一体何なのか。
廻る、回る、周る。その感覚をオラボナはとりわけ気に入っていたのにもかかわらず、今は何よりも憎らしい。
結果を。
結論を。
幕引きを。
エンディングを。
――だが、作者のペンはいつまでたっても終わる気配がない。ガリガリと哀れな贄となった羊の皮を引っ掻きまわし、その身に刻印を残していく。赤黒く鉄錆の匂い漂う狂気のインクが切れることはなく、彼の在りようを残酷に描いていくのに、答えを教えてはくれなかった。
『愛〈アイ〉』とは、いったい何なのだ。
『自分〈アイ〉』とはいったい何なのだ。
『第四の壁を見聞きし知る瞳〈アイ〉』とはいったい何なのだ。
……嗚呼、忌々しい『紡ぎ手』め! 『読み手』の事など何も知るものか。自分を生んだ事をせいぜい後悔しろ。
生まれ出でては、塗りつぶされて、黒点となり染みを広げる『愛』という名の渦巻く感情に、オラボナは酩酊し虹色の体液を周囲にまき散らして朽ち果てるように倒れ伏す。
嗚呼、残酷かな。それでも救われないのだ。
何故ならば、オラボナ=ヒールド=テゴスそのものが〈物語〉であるが故に。
第四の壁を知り、見聞きし、手を伸ばし、思いを馳せることはできても、いつだって立ち入る事は許されない。
それはまるで、楽園を追放された、原初の男〈アダム〉と、罪を孕む役割を担うために生み出された第二の女〈イヴ〉のように。