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ゆきどまり
登場人物一覧
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血筋というものに、固執しているつもりはない。
家柄がどうとか、格式がどうとか、正直に言えばそんなもの、面倒でしかないと思っているし、生まれついただけでそんなものを背負っているだなんて、意識したことはなかった。
いつ頃からだったか、母が値踏みするような視線を向けてくるようになったので、公の前で、兄を支えて生きていくのだと、さっさと宣言したものだ。
こういう時、次男坊で良かったと思う。家族仲を見せつければ、後継ぎの候補から一歩引いたとして、なんら違和感はない。
かといって。
かといって、家を出ていこうという気にもならない。独りが良いだとか、世を捨てるだとか、そんな風に達観も出来なかった。
一丁前に、ひとりぼっちは寂しいのだ。
だから、今の立ち位置は気に入っている。当主のお役目だなんて面倒なことは兄に押し付けて、程々に、自分の仕事をしながらここにいる。
「……ッ」
これも、そのひとつだ。
屈強な男がひとり、イチカの右手で首を掴まれ、持ち上げられて宙に浮き、その締め付けによってもがき、苦しんでいる。
何か言いたげに腕を伸ばしてくるが、構わずその首を締め続けていた。
「言っておくけどさ、これ別に拷問じゃないんだ。アンタがどこの誰でどういう経緯でウチを狙ったとか、どうでもいいんだよ」
男は、数日前から本邸の周りを彷徨いていた。観光客である可能性もあったが、術式の類を感知したためにその場で強襲。こうして、制圧と相成った。
「アンタが死ぬのはもう決まっているし、別にこっちから恨みなんてねえや。だから、ようは見せしめだよ」
ゴキリ、と鈍い音が響いて、男の首から力が抜けた。窒息よりも先に、イチカの握力で男の骨が耐えられなかったのだ。
「はい、なむなむ。これに懲りて、ウチに手ぇ出すときはちゃんと覚悟してくるように……ん?」
手を離して、絶命した男をアスファルトに自由落下させる。その際に、視界の隅で何かを捕らえた気がした。
振り向けば、走り去る人影。目撃者か、それとも男の仲間か。傷害の現場を見ても声を上げなかったのだ。後者に決まっている。
「おいおい、せめて人の術式くらい調べてから来いよ」
頭を掻くイチカ。言う間にも、人影は遠くで角を曲がり、既に視界から消えている。イチカので、なければだが。
「逃がすわけねえだろ」
イチカの眼球、その虹彩に円がひとつ、追加される。同時にその視界は遥か向こうに飛び、彼の視神経は逃げ出した人影の背中を追っていた。
視覚における距離を無視できるイチカの術式、その前では隠れることは叶わない。その背格好、特徴、性別、振り向けば、顔立ちまで……暗転。
「……ん?」
急に視界が真っ暗になったので、イチカは術式を解除する。戻った視界には、見慣れないものが映っていた。
「…………壁?」
そう、壁だ。イチカが数メートル歩いた先に、壁ができている。正確には塀のようであり、そこから右へ曲がれる、細い路地のようになっていた。
「こんなもん、さっさと飛び越えて―――おいおいおい」
塀に手をかけて駆け上がろうとするが、どれほど跳んでも、塀の縁に手をかけることはかなわない。視覚上は少し飛び上がれば問題がない高さであるはずなのに、どういうわけか、指先を掠めることもできなかった。
慌てて後ろを振り向けば、そちらも閉ざされており、後退もできなくなっている。つまるところ、見えている先にしか道は続いていないのだ。
「くそっ、やられた!」
閉じ込められた。罠にかかったのだと理解して、イチカは思わず悪態をついていた。
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わかったことが、ふたつ。
ひとつ、壁の破壊はできない。少なくとも、イチカ個人で破壊することは不可能だ。
ふたつ、闇雲に進んでも抜け出せない。十字路を適当に曲がりつつ、それなりの距離を経たはずだが、まだ端までたどり着かない。どうやら結界として外界と隔離された空間であるようで、イチカの術式で見通すことも叶わなかった。
「なんなんだよこれ。壊せないし、終わらないし、ンな無敵の結界なんてあんのかよ……?」
いいや、自分の言葉を胸中で否定する。
完全無欠の結界術など存在しない。そのように強固な術を組み上げることができるのなら、わざわざイチカを閉じ込めるだけで済ませるような、悠長なことはしないだろう。
そういえばと、イチカは思い出す。
以前に、祖母がこのようなことを言い出したのだ。
「のうイチカ、絶対に破れない結界の張り方を知っておるか?」
昼下がり、そろそろ小腹も空いて、何かつまもうかと腰を上げかけた矢先、畳部屋に顔を出した祖母がそんなことを言い出したのだ。
絶対に破れない結界。そんなもの、存在しない。だから、イチカは彼なりの解答で返すことにしたのだ。
「え、ババアもうボケたの?」
「ボケとらんわ! んでババア言うなし! もちと可愛げある風にはできんのか!?」
祖母、激高する。うむ、正解を引いたようだ。しかし、自分にかけられた声はもうひとつあった。
「そうですよ、イチカ。仮にも先代さまであらせられるのです。もっと敬意を込めて、丁寧な言葉を使いなさい」
イチカをそう窘めたのは父である。両方の瞼を閉じて、いつもどおりの柔和な笑みを浮かべながら。
「そう、ここは心を込めて、痴呆を患いあそばれた、と」
「お主も欠片も敬意こめとらんわ! おのれ、婿養子の木っ端道士が分際で! 本家の引導くれてやろうか!?」
「ああなるほど、義母様はここで私を誅すと。わかりました。それでは家内にお伝え下さい。先逝く不幸を許し、どうぞ今後は義母様を頼るようにと」
怒り狂った祖母の威圧にも平然と、父は言葉を返している。そしてそれが急所だったのか、祖母の放つ圧迫感はピタリとナリを潜めていた。
「……それ、卑怯過ぎんか?」
「いえいえ、所詮は婿養子の木っ端道士。義母様の手では如何ようともなりましょう。ほらほら、遠慮なさらずすぱっと」
「ぐぬぬぬぬぬ……こ、今回は勘弁しておいてやる。だから、あ、アヤツのことは、お主に任せた。よいな!?」
イチカからすればいつもの光景に過ぎないふたりのやりとり。しかし、先程の祖母の言葉が引っかかった。
「で、ホントのとこ、どうなの?」
「何がじゃ?」
「絶対に破れない結界」
「おお、それな。あるとも。正確には、物理的・術式的手段での欠損を限りなく不可能に知覚した結界、じゃがの」
気になったので、口は挟まない。腹の虫はこの際、鳴くがままにさせてやろう。黙って、続きを促した。
「簡単じゃ。解き方を作ってやれば良いのよ」
「……はあ? それじゃあ、解けちゃうじゃん」
「正しくは、条件付をするのです」
祖母の言葉では不十分としたのか。父の補足が入る。
「一定の行動をとった場合のみ解呪される結界。定められたルールが容易であるほど、結界は強固さを増します。弱点を晒す代わりに、力押しへの体制を得る、というわけですよ」
それをさらに祖母が繋げた。
「加えて、解呪手段のヒントを得られるようにしておくのじゃ。無論、易易と気づかれるようなところにはないがの。ルール付けとその開示。それらが、絶対に破れない結界を作り出すのじゃ」
「だからイチカ、覚えておきなさい。力押しでどうにもならない結界が現れた時、どこかにルールへのヒントがあるはずです。それを探しなさい。いいですね?」
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「で、探してんだけど……ねえんだよなあ」
イチカは術式を再展開。結界で閉ざされていて外部へのアクセスはできないが、一定距離ならばその場から動かずとも視界を巡らせることはできる。
しかし隅々まで探し回ってみても、それらしいヒントはどこにも見当たらなかった。
「くっそ、まさか本当にただの強すぎる結界なのか? いや、そんなわけ―――お?」
規則的な音と、振動。イチカのポケットにある、端末のバイブレーション機能である。それの意味するところはもちろん、着信だ。
「……えっ、ケータイ通じんの!?」
小休止にとその場で横になっていた姿勢を慌てて起こす。思えば、外部と連絡を取ることは試みていなかった。盲点である。イチカの術式で外部へと視界が送れない以上、通信のたぐいも不可能だと思いこんでいたのだ。
見れば、着信相手は兄である。
「もしもし―――ああ、そうなんだ。帰ったら伝えておくよ―――いや、それがさ」
今起きている問題を話せと兄に促され、仔細を伝えた。脱出できない、この現状を。
藁にも縋る思いだったのだが、兄は少し考えたあと、奇妙な提案をしてきたのだ。
『十字路があったと言いましたね。それをこれからいう順路で進んでみてください。右、左、右、右』
それを言い終えると同時、通信が途絶えた。何事かと端末を覗くと、いまさら、圏外表示となっている。
もう一度と通信を試みても、メールひとつ送れはしなかった。
「なんなんだよ、一体……」
頭を掻きながら、それでも言われた通りに十字路を進む。
他でもない、兄の言葉だ。その解式が彼の憶測に過ぎないのだとしても、それでもなぜだか、うまくいくような気がしていた。