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栄光の鋼鉄
登場人物一覧
嗚呼、本当に面倒臭い。誰かがそう呟いたのが聞こえれば、それに賛同せんとするため息が研究所に重々しく響き渡る。研究というものは確かに裏方の華ともいわれ、成功すれば報告書という物を失敗したときの数倍書かなければならないことを、研究員たちはよく理解していた。けれども日々溜まっていく未処理の紙の束が今にも机の上から雪崩れていかんとする光景を前にすれば、愚痴の一つや二つは言いたくなるものだ。
白衣を椅子の背もたれにだらしなく掛けながら、男はすっかり冷めてしまった珈琲を啜りながら、エルキドゥ・アハトの義肢開発で成功した瞬間を思い出していた。爆発的なスピードと、凄まじいパワー。もちろん、それらはエルキドゥの凄まじい演算能力があってこそ活かされる物なのだが、βテスト段階で見たその戦闘力は一種の芸術性すら孕んでいた物だ。闘技場なるものに惹かれる観客の気持ちを生まれて初めてあの時理解したものだ、と口角を上げる。
完成してからもメンテナンスは欠かさず行っているエルキドゥを見ては、それまで失敗しては傷を作っていた彼女の努力がようやく報われたのだという事実に新人研究員達の士気が上がったのは言うまでもない。さらなる技術の向上を心に誓い、各々の技に磨きをかける技術者の多かったこと。
「にやにやしてないでサインしてくださいよ。動体視力追分析装置の許諾申請、まだまだあるんですから」
「わーってるよ。……ったく、ちょっとくらい思いを馳せていたって罰はあたらないだろうに。口うるさい同僚を持つと苦労するなぁ」
そう口にしたのは、何日前の事だっただろうか。
今、研究員と技術者たちの前にあるのは、栄光を齎した研究成果。――魔種をも打倒する性能を発揮した義肢の無残な姿だった。
何故だ、と低い声で呟いてしまった自分を呪い殺してしまいたい。そんなこと、ここに居る者全てが思っていただろう。修復できるレベルのものではない。つまり、それほどの腕前を持った敵がいるという事だ。エルキドゥの演算能力と、自分たちの技術、それらですらたどり着けなかった境地にいる者がこの世に存在するということだ。
「……あの人は?」
「命に別状はないとの報告を受けています、でも……」
「嗚呼、わかってる。これは、直せない。……直したところで、壊される可能性がある」
生まれつき右腕と両脚が無く、不自由を強いられていたエルキドゥが自分たちの技術を見込み、信頼してくれた絆そのものであり、努力の結晶が壊されるのをもう一度、味わえというのか。自分たちだけではない、彼女――エルキドゥにまで。
肩を落とし、絶望の色を灯した瞳が床に伏せられ、視界が滲みかけた。その時だった。プシュウという空気音と共に開かれた扉と、カラカラという車輪の音の後、凛とした声が響き渡った。
「さっそく新たな手足と瞳を開発しよう」
バッと顔を上げるメンバー達。もちろんそれは男も例外ではない。そこに居たのは四肢全てを失い、片目を失い、けれど、――意志はけして錆びていない強い女の姿であった。
「何を惚けている。元々左腕一本しか無かったのが全部無くなっただけだろう。大した変化では無い」
嗚呼、と男は嗤う。この人は鉄の女だ。練達に住まう自分たちが何より信頼して止まない、鋼鉄の女だ。ならば、自分たちはその鋼鉄を動かすための動力機関となろう。大丈夫だ、だって――。
「得難い経験だった。そして、私はまだ生きている。私は何も失ってはいない!」
自分たちは今、熱意に満ち溢れている。
*
「動作異常無し。ふむ……期待通りの性能だ、テストへの協力感謝する」
季節が夏から秋へと替わって数日後。エルキドゥの眼前には上半身を吹き飛ばされた名もなき魔種の姿があった。その個体は確かに強かった。何より、雷の如き素早さにはモニター越しに見ていた者も息を呑んだほどだ。けれど、打ち倒した。
瞳も丁度いい。私の眼ではあの男の動きを捉え切れなかった、故に強化すると指示をした彼女の期待に応えることが出来た研究員と技術者たちは喜びの声を上げる。
――嗚呼、研究と技術の栄光は再びここに君臨した!