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アンダー・ザ・ローズ

Cathedral

登場人物一覧

ラクリマ・イース(p3p004247)
白き歌
ラクリマ・イースの関係者
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 白き歌が聞こえる。
 白き森に咲く、白き薔薇の。

 内乱後の荒廃とした大地の上に、歌は雪のように降り積もる。
 痛みを忘れさせるように、そっと戦禍の疵を白で覆い隠して。

 刃に切り裂かれ流した血の、黒い固まりを隠す包帯のように。
 炎に焼き殺されて墨と化した人を、天へ送る白い灰のように。

 口唇から詩を紡ぎ終えると、『白き歌』ラクリマ・イース(p3p004247)は己の右目に咲く薔薇へと触れた。

 それは瞼から咲くように見えて、命も根も無き作り物の花。
 それは土たる瞼の下に、球根という眼の無きことを隠す檻。

 夜明け間近の白んだ闇の中、ラクリマは白い薔薇の眼帯を外した。
 生まれながらに眼球の欠落した瞼は、闇を蓋して閉ざされている。

 双つの碧玉の片割れは、今どこにあるのだろう。

 瞼を擡げればそこにあるのは暗黒の空洞。
 凜然と気高く白を纏うラクリマの、誰にも触れさせない疵、誰にも見せない深淵がそこにあった。


 白き神が祀られている。
 白き森に鳴く、白き梟の。

 神聖な森の奥深くに咲く薔薇は、何者にも染まらず清らかで。
 疵ごと秘密を覆い隠して、そっと痛みも悲しみも閉じ込める。

「白き歌を捧げているのですね。変わらぬようで何よりです」

 籠もれ日のようなステンドグラスの光が降り注ぐ中、フォルター・カルデローネは呟いて眼差しを眇めた。
 聖なる泉の水を湛えた水盤、その仄かに碧に染まった水面に映るのは白薔薇の名を冠した見め麗しき青年。

 もしフォルターの過去を知る者がいれば、若い頃に瓜二つだと言うだろう。
 それほどまでにその青年は彼に酷似していた。
 ただ白薔薇の眼帯をしていることを除いては。

「報告ご苦労様でした。このまま監視だけ続けてください。心の傷を癒すには時が必要です。それにこれは彼にとっても、教団にとっても、必要な試練なのですから」

 フォルターはローレットに送った『梟の目』の報告を受け、使徒を下がらせると再び水盤を覗き込む。
 そして水面に映る青年の頬へと触れると、波紋を描いて面影は揺らぎ、青年は幼子の姿へと変わった。


 白き手が重ねられる。
 白き男の手に、白き花嫁の。

「おいでなさい。貴方は神の花嫁に選ばれ、私は白き神の依代としてここに在ります」

 フォルターは差し出した手に娘の手が重なると、優しく握って奮える身を抱き寄せた。
 神の花嫁となる栄誉を賜ったとしても、男を知らぬ生娘なれば打ち震えるのも当然と。

 白薔薇の花冠の娘の頤を指で掬うと、フォルターは眦に口付けて泣かなくていいと涙を吸い取った。
 娘が「カルデローネ様」と教主としての男の名を紡ぐと、口唇を重ねてそれ以上は言うなと封じた。

 神との婚姻、人と神との交わりの儀は、神殿の中で厳かに執り行われる。
 やがて娘は男の種を腹に宿し、その命と引き替えに赤子を生み落とした。

「ああ、白き神よ。私に子を与え、イースの血を残せと仰せなのですね」

 フォルターは白い産着に包まれた子を抱き上げると、泣きじゃくる幼子の涙を口唇で拭った。
 己の目にも涙が溜まり、熱く潤んで行くのを感じながら。
 そして生まれた我が子にラクリマ──『涙』と名付けた。


 白き衣が集っている。
 白き男の元に、白き信徒の。

「神は新たな悪の存在をお示しになられました。白の使徒達よ、安寧を脅かす悪を排除するのです」

 無辜なる混沌が七ヶ国の一つ、深淵なる神秘の国、『新緑』。
 幻想種の住まう森の奥、ラサとの国境にその教団はあった。

 ──エルムの梟。

 崇めるのは叡智と真理を司る白き梟の神、クラウソラス。
 フォルターはその教主としてハーモニア達を率いていた。

 組織作りの秘訣は二つある。
 一つは信徒同士、互いを親子兄弟と見なして親愛と連帯を育むこと。
 もう一つはフォルターの持つ預言の書に記された悪を粛清すること。

 それは不満や怒りの捌け口を外へ向けさせ、内部の闘争を回避する手管。
 閉塞した組織で不和が起こると、決まって預言の書は悪の存在を告げた。

 その書が何者によって記されたのか、知るのは預言の書を持つ教主だけ。
 フォルターは他の子と区別せず育てられた我が子に教主として命を下す。

「クレド・ティネケ、貴方はラサに赴き悪の芽を断ちなさい。捨て置けばやがて国境を越え、傭兵崩れのならず者が森を蹂躙するでしょう」

 教団の中でラクリマは『クレド・ティネケ』と呼ばれていた。
 クレドは信条を意味し、ティネケは白薔薇の名の一つである。
 抜きん出た才を持ち粛清を行う27人の一人を示す銘として。

 ラクリマには同じく27人の中に名を連ねる親しき友がいた。
 ノエルというその子だけが教主の実子を特別扱いしなかった。

 競い合い、高め合い、粛清者の純白のローブを与えられたのは二人同時。
 求め合い、惹かれ合い、依存し過ぎて拠り所を失うと教団を飛び出した。

 何故教団を裏切り、信徒達を起き去りにするのか
 何故父を裏切り、次期の座を捨て出て行けるのか。

「それほど父よりも友が大切ですか。ああ、貴方は戦うことには慣れていても、心はこんなにも幼子のように頼りないままだったのですね」

 ラクリマの出奔を叛逆と見なす者もいた。
 フォルターも従順な息子の行動に戦いた。

 フォルターはこの時はじめて息子が父よりも友を慕っていたことを知った。
 わざと危険な任務に赴かせ、ラクリマから彼を引き離そうとしていたのに。

「ラクリマ、これは全て白き神のご意志。貴方を堕落させる者から引き離し、精神を鍛え直すため与えられた試練なのです」

 フォルターは水盤の奥底に腕を延ばしながら、悲しみに暮れて彷徨う息子に優しく諭した。
 そして信徒達には預言の書に記された試練と説明し、監視をつけて好きにさせよと命じた。

 沸き上がる赤い炎の如き嫉妬も。
 黒い闇の如き立ちこめる殺意も。
 全ては白い衣の内に正当化して。

「貴方はいよいよ教主への道を歩み始めたのですね。この父と同じように」

 愛する者を失い、傷ついて故郷を離れ、外の世界が如何に不浄かを知ること。
 神の教えを守り、神の声に従い粛清し、森の信仰が如何に正義かを知ること。

 それがラクリマの辿るべき道、フォルターの辿ってきた道なのだと。


 白き国が沈んでいく。
 白き民は死に、白き身は──

 フォルターはイースの民であった。
 新緑に古より存在する水の都・イース。
 今は亡き伝説の、湖の底の街、イース。

 豊かな水源を元に新緑の古都市として栄えたイースは、鉄騎種の頭目が率いる大盗賊団によって滅ぼされた。
 白い衣を纏った民は、ある者は斬られ、ある者は焼かれ、またある者は犯された。
 父は首を落とされ無残に城壁に晒され、母は腹を捌かれ胎児諸共に嬲り殺された。

『私が身代わりになります。フォルター様はお逃げ下さい。最早イースの血を引くのは貴方だけ、生きてイースの血を残すのです』

 幼馴染みの乳母の息子はフォルターを逃がして、一族の王子の身代わりとして死んだ。
 フォルターは言われた通り、水門の堰を切り、敵も民の亡骸も、全てを水底に沈めた。

 家族を奪われ、故郷を失い、彷徨い続けた世界は。
 悪が蔓延り、欲望が渦巻き、汚辱まみれの世界。

 夜毎身を引き裂かれる屈辱の中、フォルターは力を欲した。
 鎖に繋がれた月夜の晩、白き梟は舞い降り彼に語りかける。

『吾、汝より神と崇め奉られんと欲す。さすれば汝と汝の王国を脅かす悪をこの眼が遍く見つめて知らしめよう』


 それは陵辱の後の朦朧とした頭が見せた幻であったかもしれない。
 それは救済を願う若者が抱いた一縷の希望であったかもしれない。

 ただ一つ言えるのは『主人』であった貴族を殺し盗んだその書が、彼の敵を綴り上げたということ。
 それが神の預言ではなく、フォルターが感じ取った危機の予兆を具現化して見せただけだとしても。

 彼は預言の書に記された敵を討ち、同じ境遇にある幻想種達を救い、白き梟を奉じる教主となった。
 だから──

「教主となる前にその身に穢れを受けることも、定められた道なのですよ」

 白い袖を捲り、腕を水盤深く潜らると、フォルターの指先が水底に沈む玉へと触れた。


 白き珠が眠っている。
 白き薔薇の、碧き色の。

「この父が神の声を聞いたように、貴方も痛みを知れば神の声を聞くことになるでしょう」

 フォルターは水底から白い珠を一粒拾い上げると、天井からの光に翳した
 その珠には碧色の光彩があり、それが滲んで水盤を染めていたようだった。

 それは生まれたばかりの我が子から奪った碧玉。
 双つあるものを分けて持つのは半身たる者の証。

 それは如何なる運命に分かたれようとも。
 決して逃れることの適わぬ宿命という鎖。

「この眼が此処にある限り、貴方は私から逃れることは出来ません。貴方は必ず私の元へ戻ってきます。その時、教主として私の後を継ぐ為の仕上げを施しましょう」

 碧の白玉を口唇に寄せて、慈しむように口付けて舌を這わせる。
 かつてフォルターを慰み者にした鉄騎種の男がそうしたように。
 かつて白い肌を嘗め尽くして、赤い汚点で埋め尽くしたように。

 それは身の内側から切り裂く痛み、それは心の内側から汚される苦しみ。
 穿たれた空洞の得も言われぬ疼き、飢え渇きを満たそうと振る舞う本能。

 身体は快楽に慣らされ、心は肉欲に溶かされる。
 白き身に捺されたのは、焼鏝の爛れた黒き薔薇。

「ああ、でも貴方に同じ苦しみを味わって欲しくはないというのも親心なのです。ですから貴方を穢すのではなく、禊ぎとして抱きましょう。優しく慈しみ、内側から清めて、ずっと繋がれ合うのです」

 白い玉を口に含み、赤い舌を巻き付ける。

 それは薔薇の下の密事。
 それが白き薔薇への愛の印。

 それは薔薇の中の狂気。
 それが黒き薔薇の愛の歪み。

 全ては水盤の底に隠された、眼帯の下の秘密だ。

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