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十七夜を越えて

登場人物一覧

夜式・十七号(p3p008363)
蒼き燕

 実力だけが支配する。錆鉄と廃油の匂いが蔓延したスチールグラードで一人の少女は過ごしていた。
 まだ10にもなったばかりの少女は何不自由ない暮らしを送っている。栄光の闘技場『ラド・バウ』のA級闘士である父の試合観戦に出掛けては、いつかは自分をもと心を躍らせる普通の鉄帝人だ。父、ウェイン・アイゼンナハトはファイターとしての人気も高い。軍人である母も父の試合がある度に必ず休暇を取りプラチナチケットで『家族への特等席』へと彼女を連れて行く程に、順風満帆な家庭と呼ぶべきであっただろう。
 ――だが、唐突に訪れた不幸はウェインのランクマッチでの事だった。何時も通り少女は母に連れられてラド・バウへと訪れた。プラチナチケットを受付に渡して父の用意した特等席に着席した娘が感じたのは言葉にするのも難しい程度の違和感だった。
「インガさん! ああ、良かった。実は、ウェインが――」
 闘技場で聞かされたのは父が事故に遭ったこと。懸命なる治療は行われているが助かる見込みは薄いという。直ぐに病院へ行くと叫んだ母に静止の声を掛けたのは闘技場へと飛び込んできた友人の「もうだめだ」の一声だけだった。

 少女にとっての日常が崩れ落ちたのはそれが始まりだったのだろう。傷心の母はそれでも娘を育むためにと任務へと赴いた。
「無事に帰ってくるから」
 その言葉だけを頼りに少女は待ち続けた――待ち続けたが、彼女は帰っては来なかった。任務に同行した軍人達に母が姿を消したこと、同時期に魔種の活動が見られた事から『魔種に転じた恐れがある』事が手土産のように少女へと届けられたのだ。
 母の失踪を受け、未だ幼い少女の身の上を不憫に思った鉄帝軍人達は保護を申し出た。だが、少女は首を振ったのだ。『もしかすると母が帰ってくるかも知れない』と毎晩、自宅には暖かな光を灯し、母の帰宅を待ち続けるのだと。無言の帰宅となった父を思うからこそ、母の無事を願わずには居られなかったのだろう。
 不憫な娘を思い、軍人達はある程度の支援を行うと申し出た。少女にとっては有り難い申し出であった。何処かの養子になるという選択肢もあったが、それでも大切な家族と共に過ごしていたかったのだ。
 軍部からの支援で得た銭を僅かばかりか握りしめて買い出しに出た少女は曇天の空を眺め見遣った。今にも愚図り出しそうな空はのっぺりとインキでも塗りたくったかのような有様だ。少女はスチールグラードの裏路地を足早に歩んでいる。雨が降り出す前に買い出しを終えて、帰宅せねばならない。これだけの曇天だ、雨の気配を感じた母が帰ってくるかも知れない。そんな僅かな期待に胸を躍らせた少女はぴたりと足を止めた。
「――――」
 聞き覚えのある、声だ。
「――――」
 それが、己の名前である事に気付いて少女はゆっくりと振り返る。僅か、風が吹いたと感じたのは数える間もないほどの事だ。風圧を感じた刹那に少女は自身の抱きかかえていた紙袋が裏路地に投げ出された事に気付いた。落ちたトマトがぐしゃりと潰れた音がする。トマトを見下ろした少女は「あ」と小さく声を漏らしてから激痛に呻いた。
 声にもならぬ苦痛。膝を突いた少女は震える指先で痛みを訴えた肩を抱こうとして――気付いた。肩であった筈の場所には、そう呼ぶべき部位がない。腕と呼ぶべきパーツそのものが消え失せ、触れた右指には赤い液体がべたりと付着している。血だ、と感じた時に少女の脳内を支配したのは恐怖であった。何故、どうして、並べ立てた意味の無い言葉に理不尽な痛みを携えた少女は消え失せた左腕を探すようにのろのろと顔を上げ、気付いた。
「ああ、やっと会えたな」
 少女は顔を上げた。漆黒の髪を高く結わえ上げた女。そのかんばせに浮かんだ笑みは恍惚に溢れている。少女は少なくとも彼女が誰なのかを知っていた。
 待ち望んでいた帰還。だが、それはこの様な出会い方ではない。幼い少女の唇は恐怖に戦慄きながらも懸命に音を紡ぐ。
「お母――さん」
 たったその文字列を絞り出すだけでどれ程の恐怖を感じただろうか。少なくとも、目の前に母が立っているだけならば歓喜に溢れた筈だ。彼女が自身の左腕を握りしめていなければ。
「……見つけた。漸く見つけたぞ。私の可愛い愛娘」
 母の手にしている刃から滴る血潮の明るさに。鮮血と呼ぶべき其れが自身の物であることに気付いた少女は後ずさる。激痛を走らせた体さえも気にはならぬ程に身を包んだ恐怖が彼女にそうさせたのだろう。
「どうした?」
「……お、お母さんじゃ……」
「いいや、母だ。見間違える訳がないだろう?」
 震える脚を鼓舞して少女は逃げださんとした。立ち上がろうとした少女の頭を、無理にでも掴み固い地面へと押し付ける。後頭部に走った衝撃が、眼前に光を散らせ少女の意識を僅かに奪い去る。手足から力が抜け、喉奥から漏れたのは呼気の音。
「さあ、愛娘よ」
 ――そこから、少女にとっては『どう』なったのかは覚えていない。勢いよく眼窩へと向けられた指先が己の左目を抉りだした事も。その眼球をまじまじと見遣って幸福そうに微笑んだ母のかんばせを眺めたことも。自分の腕を遠くに放り投げ、母の視線が逸れた隙に逃げ出したことだって。少女にとってはどのようにそうしたのかは分からないのだ。
 ただ、金切り声にも似た叫び声を上げ「助けて」と絞り出した言葉を耳にした女と出会った事だけは覚えている。命辛々路地を一つ曲がった所に立っていたルベル・アクイラは「逃げるよ」と少女の体を抱え上げたのだ。

「――どこだ!」

 母――否、『母であったもの』――の呼ぶ声がする。ルベルに抱き上げられて少女はその場を後にする。今は出来るだけ遠くに。雑踏に紛れても良い。傷を癒やさねばならない。
 一部始終を眺めていたルベルは彼女と『女』の関係性を理解していたのだろう。家には帰せぬとスチールグラード内にある狭苦しいルベルの隠れ家へと雪崩れるように逃げ込んで、彼女の伝手の医者を呼んで貰った事は覚えている。腕を失ったことより、目を抉られたことよりも、母と呼ぶべき存在の変わり果てた姿が何よりも少女にとっては恐ろしかったのだ。
 次に目が覚めたときに彼女は「ルベル。ルベル・アクイラだ」と笑顔で挨拶をしてくれた。燃えるような赤毛の彼女は年齢は不詳だが、腕の良い機械技師なのだそうだ。旅人としてこの地に流れ着いてからはラド・バウのお抱え技師をしているらしい。茫然自失といった様子の少女の傷の手当てや世話を甲斐甲斐しく行うルベルは少女の名も、年齢も詳しくは知らなかった。それでも1年余りの療養で少女がルベルに心を開いたのは、彼女の甲斐甲斐しさと優しさを受けてのことだろう。
「十七夜」
「……?」
 首を傾いだ少女をルベルはそう呼んでいた。言葉を失ったように表情一つ動かさなかった少女に『夜式・十七号』という名を与えたのはルベルであった。流石の彼女も幼い少女にその様な名前はと感じたのか、後には『十七夜』とニックネームを付けて呼ぶようにもなった。喪った腕と目で不便しているだろうと義手と義眼を用意し、慣れるようにとリハビリにも付き合った。
 始めは外に出るのも恐れた十七夜はルベルと買い物に出掛けられる程度には回復した。母の影もひっそりと形を潜め、平穏と呼ぶべき日常がやってきた。
 ルベルの仕事を手伝いながら義眼や義手の改良を行い、時には食事にも気を遣わぬルベルの為の買い出しも買って出た。「十七夜が居ると助かる」と笑ったルベルにささやかな幸福を感じて十七号は微笑んだ。

 そうして、何時までも続いていくと思ったのだ。
 激しい雨が降り続けた日の話だ。朝より曇天の空は光を射すこともなく、明かりを灯したルベルの工房で十七号は暇を持て余す。
 雨の音に紛れて聞こえたノックに「はい」と返事をした少女は扉を開いてから、喉奥から引きつった声を漏らした。
「ああ、此処に居たのか。愛娘――探したではないか」
 雨に濡れそぼった女が立っている。母だ。その姿に気付いて、十七号が後ずさる。様子を伺っていたルベルは直ぐに気付いてハンマーを手に『彼女』を外へと押し遣った。
「十七夜!」
「―――!」
 違う名前。されとて、それは『自分の名前』であると少女は理解出来る。
 生みの母と命の恩人。その両者が此方を見ている。ハンマーを握りしめたルベルが膝を付いてインガを睨め付けた。太刀の先から滴り落ちた赤い血潮に十七号は息を呑む。
 此の儘ならば、ルベルが死んでしまうのではないか。そんな恐怖に身を震え上がらせた少女にルベルは「本気出すかね」と揶揄うように笑った。
「ルベル、駄目、駄目だ……!」
 絞り出した声に、ルベルは首を振ってから少女の頭をくしゃりと撫でた。出来れば女の子だからと手入れしてやりたいと願った黒髪を、可愛らしく結わえる機会もなかったか。
 忙しさに感けて彼女の世話を怠った事をルベル・アクイラは後悔していた。こんな事になるならば、もっと可愛らしい服やアクセサリーでも買い与えてやれば良かったか。
「……後で追いつくから。先に行っててよ。十七夜」
 高い位置で結わえていた青いリボンを引っ張り、髪を解くルベルは柔らかに笑った。約束だと、青いリボンを手渡す彼女はもう一度ハンマーを担ぎ上げる。
 少女は――『夜式・十七号』はそれ以上は何も言わなかったルベルに、もう一度声を掛けることは叶わなかった。
 彼女が『愛娘』を逃がそうとしていること位、インガにはお見通しだったのだろう。鋭く振り下ろされた太刀をハンマーの束が弾く。
「早く行け!」
 ルベルの声に背を押され、少女は走り出す。
 降り続けるスチールグラードの雨は冷たく、その身を氷のように冷やした。彼女の作った義手の指先から凍り付くような感覚と痛みを覚えて十七号は唯、只管に走り――裏路地に辿り着いてから一人で泣いた。

  • 十七夜を越えて完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2021年12月29日
  • ・夜式・十七号(p3p008363

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