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そこに生きて死ぬ誰かのために
登場人物一覧
- 只野・黒子の関係者
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●会議室の暗澹
ずっしりと重くわだかまる空気が、室内を昏く染め上げていた。頬杖をつき、指先で机を叩き続ける者。腕組みをしたまま微動だにせずに、顰めっ面を崩さない者。
こういった空気の中で話題を切り出さねばならなかったことは、決して只野・黒子の記憶の中で初めてのものなんかではない。最初にこうした雰囲気に出会って怖気付いたのは、地方公務員として就職してからそう経たない頃だった筈だ。数年もすればそれらは当たり前の出来事になり、いつの間にか面倒で気の進まない仕事だとは思いながらも淡々と議事を進行できるようになってしまった――と、彼が読み取った記憶は言っている。
まあ、今回の議題に関しては、お歴々が渋い顔になる気持ちも解らないではなかった。既に関係各所への通達と彼らの手元に配られた資料が伝えるように、この試みは多くの予測不能なリスクを伴うものだ。にも拘らず……得られるリターンは必ずしも多くない。領地の安全と信用と天秤に掛けてまで、第三国の内紛に対して人道支援を行なうべきか。少し自身の立場が異なれば、黒子とて決して首を縦に振りたい案件ではなかっただろう。
資料には、『保護少年兵による派兵部隊設立について』なる章題が記されていた。ファルベライズ事件の際に保護した大鴉盗賊団の子供たち――その出自を辿ればかの背徳の街アドラステイアに行き着ける――を、黒子領所属の派兵部隊として編成しようという政策案だ。
実のところこちらの議題は付属的な内容で、主たる議題はこれまで全て黒子自身が決済する必要のあった各種の権限を補佐官たるアトラ・スプリングフィールドに移譲し、同時に彼女に文官育成を任せようという規則改正のほうではあった。ただ、各位が難しい顔を作る理由がそちらではないことは今更語るまでもない。
「年少者部隊の派遣権限を年少者が持つ。これは意思決定の流れとしては不適切と承知致すが」
「しかも、事務官殿は素性の知れぬ奴隷、少年兵は偽りの神を奉るなるアドラステイアの尖兵ではおじゃらぬか。あな恐ろしや……この町にも、何時如何なる災いが降り掛かるものやら!」
最初の発言は武官――黒子領の兵を預かる棟梁の一人で、後者は荘官として農地を管理する出向貴族だったが、いずれもなるほど全くもって妥当な懸念ではあった。だがそれらの表明がただのパフォーマンスでしかないことを、黒子は全て知っている。
「図2-3をご覧下さい。この通り、スプリングフィールドの代行権は内政分野に限定されております。兵站の移送等に関して権限が及ぶことは確かですが、派兵自体に関する意思決定権を濫用することは出来ません。条文上の根拠が必要であれば次ページ改正案の……」
本来、そんな長々とした説明は、とうの昔に根回しの中で済ませていた筈だったのだが。いや……根回し済みのはずの議題をいちいち暗愚のふりをして蒸し返す。それこそが反対者たちの真の目的だと考えるべきだろう。こうして無益な遣り取りに時間を費やせば、決まる話も決まらず現状維持という結果を勝ち取れるのだから。
(悪い手ではないのですがね)
ただ、黒子は内心苦笑していた。正論ではなくそういった手札を切ってきたという時点で、彼らが此度の案を論理により覆す術を手に入れられなかった証拠ではないか。実際、アトラの試算は多少の希望的観測も含むものでこそあれ、杜撰な精査では――あるいは杜撰な精査でしか――根底の間違いを指摘することなど叶うまい。
「だが、その案の通りに派兵したとして、彼らが裏切らぬという保証は何処にある。肝心の時に役に立たぬばかりか、いざという時に怖気付いて寝返ったでは、我ら領兵一同、泣くに泣けぬぞ?」
「然様。多少腕が立ったところで、
●あの子らを
下は十から上は十五。いや、保護して気付けば一年経ったから、もう一つずつ年を重ねた子供たち一人ひとりの顔を、しばし黒子は思い出していた。
危ういほどに素直であったが故に、アドラステイアの色にも染まっていた子供たち。それを浅知恵と呼ぶのであれば、それも否定はできぬのだろう。
だが保護した時から今までの間に、彼らも随分と精強になった。かつてはただ恐怖から逃れるために戦っていた彼らが、今では自分たちのいる保護施設の負担を減らすため、率先して武器を取り野山を駆けて、アドラステイア時代に仕込まれた戦い方を用い、鹿やら猪やらを狩りに行っている。そんな彼らをして『ものを知らぬ童』と見做すのは、はたして正しい見方であるのだろうか――?
「今、童、と仰いましたが」
黒子は心底不思議そうに首を傾げてみせた。
「ここ神威神楽において、彼らは決して元服でもおかしくない年頃ではございませんか? しかも彼らは、謂わば
「だが、元服しようとも初陣を経ようとも、後見が必要な年の頃には変わりあるまい」
「ですので領兵の皆様にご後見いただきたいのです。そちらの案にございます『領兵と訓練を共にし、領兵に随伴して作戦行動を行なう』とは、まさにそのことを指しているとご理解いただければ」
そこまで頼られていると判れば、棟梁も唸ったきり異論を挟めずにいた。
「これ! 何か起これば窮地に陥るのはそなたであるぞ!?」
荘官が慌てて何か抗弁するよう促すが……ようやく口を開いた棟梁の台詞はこうだった。
「……我らが斯様な片田舎より童どもを連れて出ねばならぬような事態、ただ我らが居れば済むような話ではあるまい? どうせ先鋒は神使の方々が務めるほどの大事であろう。後詰めが童の裏切り如きで崩れるようであれば、それは童らの責を問う以前に、我らの不徳を恥じるべきであろうな」
棟梁にまでそう言われてしまうと……荘官にできるのはただ一言、こう尋ねてみることくらいだ。
「領主殿。当の童らは如何様に考えておじゃる?」
●どこまでも晴れ渡る冬空の下で
秋蒔き小麦の眠る畑の傍らの畦で、少年たちは背筋を伸ばして整列していた。
「派兵って、危ないことだと思うけど……自分たちで行きたいって言ったって本当?」
こてんと小首を傾げるアトラに、一人の少年が答えてみせる。
「アドラステイアには、まだ、俺たちが知ってる奴だって残ってるんだ……そいつらは本当に心からファルマコンを信じてるわけじゃなくて、騙されたり脅されたりして戦わされてるだけだ。俺たち自身がそうだったんだから」
元は、大人の代わりとして命を使い潰すよう言われた子供たち。それが一転して子供として庇護されるばかりになったことには、彼らもどことなく居心地の悪さを感じていたに違いなかった。
だけど折角領主代行としての地位を貰うことになっている自分がいるのだから、その権限でより安全な文官にもしてあげられるのに……またまた首を傾げるアトラ。
でも、彼らの決意が変わることはない。彼は広がる畑を見渡して、それから、一歩前に進み出る。
「別によ、この町が嫌だとか、そういうんじゃないんだ。でも俺たちは仲間を助けてやりたいし、この町も外貨を稼げるに越したことはないわけだろ? アドラステイアでやらされてきた訓練のお蔭でそんな利害の一致ができるってのなら、俺たちを散々苦しめてきた奴らに一泡吹かせてやれるってもんさ!」