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愛なんて

登場人物一覧

ヘルミーネ・フォン・ニヴルヘイム(p3p010212)
凶狼

 愛なんて、形のないものだ。縋ろうとしても、指の間からすり抜けていく。

「もう一度お母さんに会いたいの」

 だから分からないし、信じられない。

「わたしは悪い子だからいっぱい怒らせちゃったけど、大好きなの」

 謝りたくて。目の前の人形が、すいとこちらを見つめる。少女と視線が絡んだとき、ヘルミーネの胸に何か冷たいものが触れた。

 人形の身体に歪に住み着いた魂。その心残りをなくして、魂を解放することが、今回の目的。本来なら、少女の言葉に笑って応えるべきなのだろう。だけど、ヘルミーネは口の端を吊り上げることすらできなかった。

 ぱき、ぱき。心臓が凍り付いていくようだった。心だけがひどく冷たいのに、身体の端は炎に当てられているかのように熱い。ぐらぐらと揺れていく身体の中心に、棘が絡みついていく。

「ヘルちゃんが、君の願い事を叶えてあげるのだ」

 やっと口にした言葉は、思っていたよりも重たい。少女の顔がほころんだとき、心のどこかで、ぱきりと大きな音がした。
 足元に、砕けた氷が散らばっているような気がした。


   ***


 いつだって、母――スピカは優しくなかった。彼女はこちらのことを見ようとしなかった。それどころか、子どもを育てていくために必要なことだってしてくれなかった。

「あっち行ってて」

 褒めてくれなかった。頭を撫でてくれなかった。抱きしめてくれなかった。好きと言ってくれなかった。
 手をとってもらいたくても、差し出される手がない。だから手を伸ばしても、その手は空を掴む。仕方なしにもう片方の手で温めているうちに、心が凍り付いていくような気分を味わうのだった。

「ロキエル、どうして」

 ヘルミーネの名前は呼ばれない。呼ばれるのは、父らしき男の名前ばかり。

 そんな男なんか、どうでもいいだろうに。自分を捨てた男なんて放っておけばよかったのに。一体何に縋ろうとしていたのか。なんて、馬鹿馬鹿しいのだろう。

「母ちゃん」

 スピカに向けようとした言葉が、じわり熱を持っていく。ひとつひとつを正しく伝えようにも、口にする端から消えてしまうから、何も伝わらない。それに彼女はきっと、聞こうとすらしていない。

 温かい言葉がほしかった。しかし、与えられたのはこちらを傷つける言葉だけ。

「私が捨てられたのは、お前を身籠った所為よ」

 彼女にとって、ヘルミーネとは何だったのだろう。

「ロキエルに全く似てない……。私にばっかり似てる癖に、炎魔法の才だけ受け継いで……。これ以上、私を惨めにするな」

 子どもは、愛するものではなかったのか。

「死んでちょうだい」

 ああ、でも。少なくとも、彼女にとって、自分は要らないものだったらしい。

 豹変した彼女が、こちらに襲い掛かる。そこにいるのは焦がれていた母ではなくて、ただ愛を取り違えたであろう誰かだった。

 他の誰かのように、母と手を繋ぎたかった。愛されたかった。そう思ったことすら、間違っていると言うのなら。なんて惨めで、滑稽なのだろう。

 心に巣食っていた氷が、炎に当てられる。一瞬のうちにそれは蒸気となり、消えた。


   ***


「お母さんたちのいるお家、分かりそう?」
「心配することないのだ。ちゃんと、向かっているのだ」

 少女のことを考えていたせいだろうか。ちらちらと昔のことが頭に蘇る。それらはふっと鮮やかに思い浮かんでは、弾けて消えていく。それこそ、火花が散っていくようだった。

「この道をまっすぐ行けば着くって、さっき街の人が言っていたのだ」

 火花はいつか消える。だけど、火傷の痕までは消してくれない。

「君は、お母さんに謝って、それからどうしたいのだ」

 街の人から聞いたのは、ただ暗い話ばかりだった。
 少女は、両親に虐待されていた。毎日のように殴られ、蹴られ、罵倒を浴びせられ、食事も満足に与えられもしなかったとか。そして、殴られたときに身体を強く打ったせいで、亡くなったらしい。

「今日こそ、ぎゅっとしてもらうの。いつも、痛いことばっかりだったから」

 この子も、自分と同じだ。
 愛を与えられないことを知りながらも、愛されたかったと思っている。だけど、そのちぐはぐさが自身を歪めていくことに、この子はまだ気が付いていない。

 少女の未練は、強い。愛に飢えたそれは本人の思う以上に膨らんでいて、その身を喰いつくそうとしている。このまま放っておけば、いずれは悪霊になるだろう。

 どこまで、少女の未練を果たせるだろうか。彼女を両親に会わせた姿を思い浮かべるも、少女の身体が投げ捨てられ、踏みつけられるところばかりが思い浮かぶ。このまま会わせたくない。一瞬、そう思ってしまった。


 たどり着いたのは、薄暗い家だった。部屋の明かりは一つもついていないけれど、まだ住人が起きているのは分かった。怒鳴り声がしたからだ。

 お前が子どもの面倒を見ないからだろ。私だって産みたくはなかった。愛さなかったのはお前。それはあんたも一緒。叩いたのはどっちだ。殴ったのはそっち。死んだのは誰のせいだ。

 一つひとつの言葉が、耳を刺し、胸を焼いていく。火傷の痕を掘り起こして、再び傷をつけていく。
 ちらちらと炎が頭の中に浮かぶ。それは氷を溶かして、消して、それでもまだ足りないと全てを燃やしていく。

「ねえ、君」

 影のつきまとう過去を、火にくべる。
 そして少女に問う。願い事はそのままかと。

「お父さんとお母さんに、お仕置きして」

 少女は涙ながらに乞う。その目を見て、ヘルミーネはしっかりと頷いた。


 家の中に飛び込むと、今にも母親が殴られそうになっているところだった。彼らはヘルミーネを見た途端、驚いたような声を上げた。
 何かを喚く二人に、笑いかける。多分、目までは笑えていない。繕ったところで無駄だ。

「てめぇ等が殺した子供に合わせてやるのだ……。精々咽び泣いて再会を祝うといい」

 まずは、少女と同じ目に遭わせてやろうか。殴る蹴る、それだけじゃ足りない。もっともっと痛めつけて、苦しみを与えなければ。
 彼女はずっと痛めつけられてきたのだ。それがこの一瞬でどうして返せるというのだ。痛みも苦しみも全部煮詰めて、この醜い身体に植え付けなければ。

「てめぇ等の娘は、こんな姿になってまで会いにきたのだ」

 なのに、この二人は。

 父親を、母親を痛めつける度に、頭の中に紅い花が咲く。それらが過去の出来事を引きずり出して、現実をかき乱していく。視界が火花で埋め尽くされて、本当の形が分からなくなる。
 怒りや憎しみ、悲しみはこの胸に収まりきらない。だから、こうして心臓を突き破って、身体を内側から壊していくのだろう。


 気が付けば、少女の両親の身体が、動かなくなっていた。血にまみれたそれを見下ろして、ヘルミーネは息を吐く。
 身体から抜け出した魂は、捕えた。易々と解放するつもりはない。

 少女の姿を探すと、別の部屋で身体を丸めて泣いていた。満足したかと問うも、少女は答えない。

「……君の願い事は、叶えたのだ」

 二人分の魂に、少女を引きあわせる。しかし、少女は俯いたままだ。こんな形にしたのは自分なのに、苛立ちのようなものが湧き上がってきて、唇を噛む。
 もう、いい。終わりにしよう。

 鎮魂歌。それは成仏させるために使うものだが、彼らを安らかに眠らそうという気にはなれない。
 せいぜい、地獄でも苦しむがいい。そう思いながら、歌を紡ぐ。

 彼らが消えゆく間際、自分の母の姿が重なって見えた。


   ***


 境界図書館。その一角で、ヘルミーネはカトレアに見つめられていた。

「まずは、お疲れ様。落ち着いたかしら」

 カトレアが差し出したのは、鮮やかな色の紅茶。湯気の立ったそれに、そっと口をつける。

「人の姿、様々よね」

 本題を切り出したのはカトレアだった。カップを置いて、ヘルミーネは頷いた。

 人は醜悪だ。期待をさせるだけさせて、ひとつも報いてはくれない。誰かを知ろうにも理解できない。親子愛なんてものも分からないまま、自分はこの先を過ごしていくのだろう。

 祖母のように、他人を実の子や孫よりも愛してくれる人もいる。だけど、親なのにひどいことをする人もいる。悪霊になってまで、親に執着するような子どももいる。

 どれも、ヘルちゃんには理解できねーのだ。そんな言葉を、口の中で噛み砕く。誤魔化すようにお茶を喉に流した。

「さっき、なんでヘルちゃんのことを優しいなんて言ったのだ」

 突然話を変えたからか、カトレアは一度首を傾げた。

「ああ、あのことね。ええ、それはね、人のために何かをできるから、よ」

 カトレアは、あの惨状を知っている。それでも、ヘルミーネに出くわしてすぐに優しいのねと言ったのだ。その発言の意図を、ヘルミーネは理解するのが難しい。

「あなたの心の底にあるのは、優しさじゃないかしら。悲しみや苦しみでどうしようもないこともあるけれど、きっと」

 暗い想いに、囚われてばかりじゃないはずよ。

 カトレアに微笑まれ、思わず目を逸らす。少し、気まずかった。


 カトレアと別れてから、ヘルミーネはふと空を仰いだ。何もないだけの黒が、広がっている。

 人の心は分からない。理解できるようになるのかも分からない。
 きっと、これからも、自分は何度もあの氷を、燃え盛る炎を思い出すことになるのだろう。そしてその度に思うのだ。あの惨めな生活はあの女のせいで、今の自分が歪んでしまった元凶なのだと。

 ふつり。くすぶっていた火が、近くで色を灯す。自分を成り立たせているのは、この炎だけではない。そうかもしれないけれど、やっぱり自分の中に巣食っているのは確かだ。

 炎の中に影が見えた。あれは、愛を欲しがっている「私」なのだ。そう気が付いたとき、思わず目を伏せた。

 酒でも飲んでいないとやっていられない。思いっきり飲んでしまおうか。そう自分に言い聞かせて、ヘルミーネはゆっくりと息を吐いた。

  • 愛なんて完了
  • NM名花籠しずく
  • 種別SS
  • 納品日2021年12月17日
  • ・ヘルミーネ・フォン・ニヴルヘイム(p3p010212
    ※ おまけSS『傷痕』付き

おまけSS『傷痕』

 ここまで、どうやって歩いてきたかは覚えていない。あの二人を惨たらしく痛めつけて、魂を地獄に送って、それからのことが曖昧だ。

 この世界に来たばかりのときは、空は綺麗に晴れていた。でも今はどんよりと曇って、星を覆い隠している。

 そのうち雪が降るのではないだろうか。そう思って空を仰いだ時、白いものがひらりと舞い降りてきた。

 思わず立ち止まると、そのひとひらがヘルミーネの肩に落ちた。続いて頭、耳、鼻へと、次々に触れては、こちらの体温を奪っていく。

 身体の中で燃えていた炎が、吸い取られていくようだった。先ほどまで身体を灰にするような勢いで燃えていたそれが、端から姿を変えていく。そうして少しずつ小さくなっていってしまえば、後に残るのは燃えた痕だけだ。

 火傷の痕は、炎を恐れる。二度と傷つきたくないとばかりに声を上げる。だけど、ヘルミーネには、その傷痕を治してやることはできない。

 だって、愛なんて不確かなもの、分かりっこないのだから。

「ヘルミーネさん」

 しばらく雪に降られていると、突然声がした。振り返ると、カトレアが立っていた。

 カトレアは傘をさして、じっとこちらを見つめている。ヴェールで隠された視線が、ふっと柔らかくなったような気がした。

「優しいのね、あなた」

 どうして、と聞こうと思った。しかし、それを声に出すよりも、彼女の驚いた声の方が早かった。

「雪だらけね。ほら、風邪ひいちゃうわよ。……失礼かしら、ごめんなさいね」

 カトレアはそう呟きながらも、ヘルミーネを傘に入れて、頭や肩についた雪を払ってくれた。時折頬や首に触れる手が、温かい。

「戻ったらお茶をごちそうしてあげるわ。さ、戻りましょう」

 カトレアに微笑まれ、ヘルミーネは頷く。お礼をすべきかと口を開いたが、彼女は何も言わなくていいとばかりに首を振る。

 来た道を振り返ると、ヘルミーネの足跡を、雪が覆い隠していた。

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