SS詳細
白詰草を抱く菫の花
登場人物一覧
「おねーさん、四つ葉のクローバー探すの手伝ってくれよ!」
わたしの視線の先、書生服を身にまとった少年は年相応の、まだ声変わりもしていない声で頼み事をぶつけてくる。
「くろぉばぁ、ですか……?」
思わず聞き返してしまったのは、それが何か分からなかった訳では無い。
「そうだよ、クローバー。知らないの?」
害獣の駆除依頼としてこの地へ赴いたわたしは来て間もなく花探しを頼まれるとは思わなかった。
「いえ、くろぉばぁは存じ上げておりますが……いきなりだったもので驚いてしまいました。申し訳御座いません。一緒に探すのは良いのですけれど、只今別件で来てまして」
「それ、害獣退治のやつだろ?」
どうして知っているかと思えばこの少年、依頼者の孫だという。その後、話を聞いてみれば急用で隣村に出掛けており、帰ってくるのは夜明けになるらしい。依頼の内容も害獣の外見も手配書に記載されていたので任務に支障はないのだが、事前に話を通しておいた方がトラブルも少なかろうという考えだったので少し困ったことになった。と言っても待つしかないのだが。
「じいちゃんから今日は家に泊まってくれって伝言頼まれてたんだった。だからおねーさん今暇なら手伝っておくれよ」
成程、それならなんの問題も無い。特段急ぎで終わらせないといけないものでも無いと聞いていたのでこういう事もあろうと納得する。午後も回ったばかり、この少年の言う通りまだまだ時間はある。それまで彼が満足するまで付き合ってあげるのも良いだろうと。
「そういう事なら、わたしでよろしければお手伝いします!」
「どうして四つ葉のくろぉばぁを?」
村から少し離れた川辺の野原、一面に咲く白詰草の中をわたしと少年は掻き分け捜していた。
ふと、どうしてこの子が四つ葉のクローバーを探しているのか聞いてなかったと思い、時間潰しがてら尋ねてみる。
「……えぇと。その……」
ここまで快活に喋っていた少年が口をまごつかせているのを感じて、これはいけなかったかと口を挟もうとした時。
「あ、無理に話さなくと……」
「好きな奴が、居るんだ」
振り向き顔を見てみれば炊いた火のように紅潮した頬をして俯いている。
「でもあいつは別な奴が好きで、でも諦められなくて……」
やり場の無い気持ちというのが嫌なのだろう。結果を急ぎたがるのは未だこの子の心が成熟しきっていないが故の衝動か。
「四つ葉のクローバーを集めて渡して言うんだ。俺を見てくれって」
白詰草……葉の数によって変わる花言葉がある。この子が渡したい言葉は。
「わたしのものになって、ですか」
えっ。と少年がわたしの顔を驚いたように見る。幸福を祈る、愛を誓う等の善い言葉では無いのは気質もあるのだろうがなにより必死なのだろう。振り向いて欲しい、此方を見て欲しいという強い想いがこの花を選ばせたのかもしれない。
「四つ葉のくろぉばぁの花言葉ですね」
そよそよと吹く風が頬を撫でる。いつの間にか互いに並んで座り、休憩する流れとなっていた。
「おねーさんはその、好きな人とかいねーの?」
揺れる草花の擦れる音だけが流れていた空間、沈黙を破ったのは少年だった。
好きな人、と問われれば沢山居る。
この時なんて返したのかいまいち覚えが無い。
わたしに良くしてくれた人。
わたしに優しくしてくれた人。
わたしに厳しくしてくれた人。
わたしとお喋りしてくれた人。
わたしと一緒にご飯を食べてくれた人。
わたしに何かを教えてくれた人。
わたしに感情を向けてくれた人。
わたしを見てくれた人。
わたしが其処に居る事を許してくれる人。
全員が全員、
「それでは、愛とは……?」
無意識に独りごちた言葉に少年が声を掛けてくるも、この時のわたしは気づけない。
愛とはなんなのだろうか。同じ好きという言葉でも意味が違うのはわかる。だからこそ己は永遠の愛を求めて今を生きている。
此の身体に価値は失われてしまったとしても、意思はあり欲も出る。生きる為にこの身を使う事も厭わなかった。
『おまえは生まれるべきではなかった』
この言霊の主が今どうしているのかは知らないし知ろうとも思わない。わたしの人生からは外れた者なのだから。
だがこれがわたしの拭えない刻印となっているのは自分でも理解出来る。逃げられないし逃げるつもりも無い、背負い往く荷物だ。
生まれるべきではなかったらしい自分が
だが皮肉だろうがなんだろうが、求める物は、永遠に此方を見てくれる愛が欲しいならば自分で創ってしまった方が早いのも事実。そこに後悔は無いしこれからも続けていく命題だ。
「なぁおねーさん、おねーさんは好きな奴が居るのにソイツを好きになるってダメだと思う?」
少年の言に口を噤む。物語の中でも横恋慕が上手く事を運べたことなんて少ない。現実でも倫理やその後の事を考えれば諦めた方が良いと言ってあげた方が良いのかもしれない。
「……そうですね」
「そっか……」
俯く少年に淡い憐憫、同調の微笑みを向けて。
「好きになっちゃったものは仕方ないのではないでしょうか」
「え……」
この子がどんな想いでその少女に恋するようになったかは分からない。邪なものなのかもしれないし純粋に見目麗しさに心惹かれたのかもしれない。はたまた優しい心根に恋を覚えた可能性もある。
しかしどんな理由であれ少年は少女に情を覚えてしまったのだ。この事実は誰にも否定出来ない。
この場だけの出逢いであるわたしに責任は持てない。だからわたしはこう答えたのだ。
「それはとても厳しい道のりなのかもしれません、もしくはこれから辛い気持ちになってしまうのかもしれない。でも、でも好きになってしまった事だけは」
わたしの理想はどんな想いで愛を育んだのか。頭に浮かんだウェディングドレス姿の有り得た可能性が浮かんでくる。
––どうしようもないことですから。
彼がこの後どの様な選択肢を取るのかは分からない、だからせめて安らかな笑みを浮かべられるような未来を祈るしか無い。
「…………そっか、そうだよな。仕方ないよな」
少年が勢いよくその場から立ち上がれば、また草花の群れのところまで進んでいく。
長く感じた休憩を終え、わたしもクローバー探しを継続する。
不快では無さそうだが、まだ難しかったかもしれない。だけど本当に愛や恋という感情は難しいのだから仕方ない。
もっと自分を見て欲しい。
特別扱いは自分だけにして欲しい。
騙される貴女が悪いんだ。
数々の出逢いとその数だけの別れがあった。
わたしは貴方を見ていた。
特別だから婚姻届も用意して式場も押さえた。ハネムーンの計画まで説明したではないか。
騙されたとしても、貴方が少しでもわたしを見てくれるのであれば。
だがそう言っても誰もわたしの元へ残ってはくれなかった。
それならば、残ってくれる人が居ないのならば、理想の旦那様を自身で創ろうと思い立ったのだ。
誰も不幸にならず、不要なんて無い幸福の錬金術を。
「みーつけた!」
日も沈みかけた時刻、後ろからこれまでに聞いたことの無い嬉々とした声音が聞こえる。
「見て見て! これ! 四つ葉のクローバー!」
歳相応の笑顔は何とも可愛らしい童の表情だ。心の底から嬉しいという気持ちが伝わってくるのは此方としても喜ばしい。
「おめでとうございます! これで贈り物捜索も解決ですね」
手を合わせ共に喜びを分かち合うが、何やら先程とは打って変わって少年がまごついている。
「どうかしたのですか?」
風に当たって体調でも崩したか。早く家に戻った方がと顔を覗かせようとした時。
「こ、これあげる!」
上擦った声と同時に差し出されたそれは。
「七つ葉……?」
滅多に見られない七つ葉が付いたシロツメクサの葉。どのくらい珍しいのかなんて考えたことも無いほどのそれは偶然発見したというのならば豪運どころではない。
「今日一日付き合ってくれたお礼、渡してなかったから」
「そんな……でしたらそれは想い人様にお渡しになった方が」
「おねーさん、どっか寂しそうな顔してたから……いいの!」
自身の過去が頭を過ぎった時か、彼に仕方ないと笑いかけた時か。それとも
彼は今この時だけはわたしを見て、感情を想像し、想ってくれたのだ。その感情が憐憫かどうかまではわからないが、分かるのは。
「優しい人、ですね」
わたしが紡ぐ言葉にも喜の感情が籠っている事を自覚できた。ゆっくりと贈り物を受け取れば、その場で頭を下げて。
「ありがとう、ございます。贈り物、大事にさせて頂きますね」
少年が照れくさそうに頷き、背中を向ける。中々の照れ屋さんなようだ。
「日も暮れそうです。帰りましょうか」
クスクスと笑みを浮かべながらわたしは彼と並んで村へと戻る。
まだ思う事はあれど、今此処に居るわたしは楽しいと思える日々を過ごせている。
理想は遥か遠いのかもしれない。
でもそれを掴む事を諦めるにはまだ早いのかなと思う。
今はまだ、囁かな幸福感で満足しようではないか。
花嫁としての道はこれからも続いているのだから。
「そうだ、三つ葉も押し花にして差し上げましょうか」
「え? 三つ葉? そんな沢山咲いてるのに」
ええ、ですが三つ葉も良いものですよ。
込められた言葉、それは。
「紫の菫と同じ意味を持つ愛。そして……私を思い出して」
今日一番の笑顔を隣で歩く少年に向けながら。
「想い人には、何時までもわたしという存在を刻みつけたいじゃないですか」
おまけSS『菫の花、愛の言葉は貞淑に』
「ひっ……ま、まもの!?」
「これは手配書の……」
夕暮れの帰り道、揺れる草むらから影が飛び出す。犬より大きく、小型の熊ほどの魔物は唸り声を上げながら此方の喉笛に狙いを定めている。
少年が震えながらわたしの前に出ようとしているのがわかる。だがここはどうか任せてほしい。
確かにわたしはか弱い乙女であるが––
「はぁ〜とぉ……」
彼の肩を優しく抑え、そのまま前に踏み込み魔物との距離を詰める。力を込めた脚が土を抉り、身体全体が膂力のバネと成った。
握り拳を振り抜いた人体の槌は魔物の意識を容易く刈り取って。
「きゃっちぃ!!」
揺らいだ巨体に向けて懐から取り出した懐刀をそのまま押し込むと、刀身に彫られた蘿蔔の花が鈍く輝きながら魔物の体内にするりと潜り込むように裂かれていく。
何秒経ったか、絶命した魔物の身体が崩れるように地に倒れると、安全を確認してわたしは討伐の証として身体の一部を剥ぎ取っていく。彼は無事だろうかと振り返ってみると。
「す、すげ〜!」
目を輝かせてわたしを見ていた。
「ふふ、花嫁たるものこれくらいは当然です!」
「花嫁ってすげ〜!」
これも花嫁修業の一環。未来の旦那様の為に磨きあげられた技なのですよ。