PandoraPartyProject

SS詳細

血の盃を交わす

登場人物一覧

郷田 貴道(p3p000401)
竜拳
郷田 貴道の関係者
→ イラスト


「来てくれたの! 今お茶出すね、さあ、入って入って!」
 燃ゆる炎のように元気な少女――ウルスラ・ハワードは満面の笑みで扉の手前から手を振っていた。
 彼女の視線の先には、洗練された体躯を持つ『拳闘者』郷田 貴道(p3p000401)が立っており、対して痒くも無い後頭部を掻きながら家の扉を潜った。
 楽し気に長い髪を揺らすウルスラは茶を淹れに家の奥へと入って行ったが、その足取りはどこかスキップをしている様子である。
 そんな後ろ姿を見送ったウルスラの父、アスラは大きくため息を吐いた。
「全く、良い年頃なのに家の中で踊るとは」
「え、今踊ってた!? ミーにはそう見えなかったが……」
「ははは、朴念仁め」
 アスラの手前で頭を下げた貴道に、畏まった挨拶など不要であるとアスラは手を横に振った。
 直後、アスラは大きな咳を数度した。咄嗟に貴道は曲がった背中を擦りつつ瞳を細める。咳をするアスラの姿は、町の一般的な老人と変わらないようだ。それが貴道にとっては残念であるように思えたが、しかし口にはしない。
 恐らく一番無念に思っているのは、アスラ本人なのだから。
 奥から飛び出てきたウルスラはアスラの薬を持って来ながら、表情を強張らせている。先ほどまでの明るさはどこかに置いてきたかのように。
「もう! そろそろ薬も切れかかってたし、お茶の葉も無かったから一度買い出しへ行ってくるよ!
 タカミチ! まだ家にいるよね? ちょっとだけお留守番お願いしていい? 夕飯食べていくっしょ!」
「あ、ああ、それくらいならミーは構わないよ。夕飯も楽しみにしているネ」
「ありがと! 約束ね、ちゃんと家にいてよ~!」
「OK!」
 女性らしい細い指と、貴道のぼこぼこした指が結ばれてから解けた。


 やがて、ウルスラは元気よく家を出発し――暫くしてからだ。
「俺に何か言いたい事でもあるようだが」
「ははは、近頃、そういった気を抑える事もままならないとは、これが病であろうか」
 元からアスラの声は低く響くものであったが、出会った頃に比べて掠れ、喉の奥から絞り出すような声色へと変わっていた。最早、病が進行し音を出すのさえ厳しいのだろう。
「躰が悲鳴を上げおるわ。なあ、だがこうやってまだ時間は間に合ってくれている。わかるだろう?」
 貴道の眉間にシワが寄った。
「HAHAHA、何を言い出すのかと思えば」
 例えば明日死ぬとして。何がしたいと聞かれたら、アスラはそうしたいと願うのだろう。
 その意を汲んでいたが、貴道から笑顔がす――っと失せた。
「考え直してくれ」
 貴道はアスラに瞳を合わせる事が出来なかった。自分が何を言っているのか理解しているが故に。
「それは、ウルスラの為か」
「イエス――娘よりもそっちの道が大事なのかもしれない。考えている事は理解している。それでも止めさせてくれ」
「先短い命だ、何も言うな。判っている」
「……ダメだ」
「そうか、なら仕方ない」
 刹那、貴道の頬を何かが掠めた。
 直前で顔を傾け回避した、顔の隣に伸びていたアスラの腕と鋭利なガントレッドーー。
「ノーと、言っているだろ!!」
「今更そんなものが通じるものか!!」
 苦虫をかみつぶしたように貴道の表情は強張った。
 やらねばならぬのか、受け入れなければいけないのか。戦う事とは、そんなにも大事な事であると知っている。
 だが、それが娘よりも大事なものなのか――貴道の正義と倫理的なものが葛藤していた。
 迷いからか、アスラの拳をまともにボディで受けた。腹部の硬くして受け止めるより先に入ったパンチの威力に、貴道の身体は家の壁を突き抜けて庭を転がる。胃の中身がせりあがってくるのを喉で止めつつ、貴道は広い場所へと奔った。
 その後ろを着いてくるように、アスラは追ってきた。
「それでいい貴道よ」
「何がいいものか!! アスラ――お前にはウルスラが――ッ」
 それ以上は言えなかった。これは、嘘偽りの無い闘い。やっている行動とは裏腹に、アスラの瞳は爛々と輝いていたのだ。宝石よりも美しい色どりを魅せた瞳に、貴道がそれ以上言える事は無い。
 まるで若き頃、いや魔種さえ脅かした現役の頃に戻っているよう――猛烈に襲い掛かってくる拳のラッシュを、最小限の動きで避けた貴道。
 僅かなカウンターの隙を探し、差し込むように顎へと拳を繰り出す。
 しかし俊敏に後方へと跳躍したアスラに、貴道の長い腕をもってしても届かない。
 お互いに一定の距離を作り、構えた。その構えが、どこかしら似ている――。
「そうだ、これを求めていた」
「……」
「最初は混沌肯定で拳もままならぬ餓鬼が、よくぞ此処まで――比類無き才能だ」
 間合いを詰めた貴道――全ての返事を拳に乗せ、懇親の右ストレートを放った。疾く、そして重い一撃を。
 しかし腕をクロスしたアスラは、正面からそれを受け止めた。反動と勢いを足元へ流して数メートル地面を抉りながら後退していく。
 前へ進まぬものに勝利は無い――即座に体勢を立て直し、アスラは貴道へ一発を放った。風を切る強烈な一発だ、常人から頭蓋骨が粉々に砕ける程であろう。
 受けず、交わす貴道。
 瞬時、カウンターとして腹部に蹴りを叩き込んだ。これがクリティカルヒットしたのだ。先程のお返しようにして、今度はアスラがくの字に曲がって、血を吐いた。
 苦しむ表情は一切無い、代わりにアスラは笑っていた。最後の宴を、楽しむように――。
「まだだ、まだ此処からだ。そうだろうアスラ」
「ああ。我が命、此の混沌の最強の座には就けなかったが、嗚呼、今はそれでいい、それでもいい」

 ――美しかった。

 初めて貴道がアスラと戯れに拳を交えた昔。
 彼の攻守に流れる肢体を美しいと感じていた。その一撃は、日を追うごとに磨き上げられていた。
 いつしか共に拳を振り、同じ釜の飯を食い、その背中を追うように過ごしていた――混沌に独り落ちた貴道を、家族のように受け入れる、心優しいウルスラと共に。
 だがそれは美しかった過去である。確かに今でも面影はあるが、それは面影以外のなにものでも無い。
 病とはこうまで蝕むものか。その恐ろしさを眼前で強烈に感じなければいけない事に、貴道の心は掴まれたように押さえつけられていた。
 しかし一方で、僅かな楽しみは感じているのだ。
 アスラと本気の一発を交える。
 アスラと本気の死闘を繰り広げる。
 同等ではないが、追い続けた背中が今、己の手前に。真正面から向かって来てくれる。
 それは、例えこの一瞬は。世界に否定される一瞬であっても、かけがえのない時間であるのだ。
「さあ、もっと死合うぞ貴道よ」
「理解かった。迷いはもう――」

 無い。

 奮い立つ闘気がぶつかり合った。
 近いの能力値(ステータス)を持てば長期戦よりも、どちらが先に失敗(ファンブル)するかの打ち合いだ。
 感性を研ぎ澄ませ。
 経験を活かせ。
 CT(イレギュラー)に備えろ。
 痛みは勲章だ。
 精錬された己が腕だけを信じて一撃を放つ。銃弾よりも早く、砲弾よりも重く、炎よりも激しく。
 貴道の拳がアスラの頬に一閃の傷をつけた。腕が交差したとき、貴道の耳にガントレッドは滑った。耳がぱっくりと割れて鮮血が飛んだがなんのその。痛みは感じない、そこに気を集中させていないからだ。痛みなど、戦いが終わったとに感じればいいだけ。
 笑っていた。お互いに、笑っていた。
 想い出を刻み合うように拳は交差した。誰かが見たら、もうやめてと止める程に、体力の限界を越して打ち合った。これが最期の一撃になると、一発一発に魂を込めて。そして。
「ありがとうな貴道」
 これで。
「辛い立ち位置にさせてしまった――が心はお前に置いて逝ける」
 終わりだ。
 アスラに手加減は無かった。たった一つ、拳を繰り出す速度が遅かった、それだけ。殺しに来たアスラの必殺の拳が届くより先に――貴道の拳が先に、命の炎を打ち消す。
「楽しかったか、父よ……」
 アスラは、笑っていた。
 それにつられて、貴道は笑ってしまったのだ……ほんの、少しだけ。


「ふふ」
 ウルスラは赤色の髪の毛を茜色に染まる日を受けつつ、帰路についていた。
 ……思ったより、多くの食材を買い込んでしまった。だって、きっと父も彼も、沢山食べると思ったのだ。
 いつも辿っている帰り道が、どこか長く感じたウルスラはテンポよく両足を動かしていた。
 時折街でスキップをしていたのを変な目で見られていたが、今となっては笑い事だ。
 後日、なんでスキップしていたのか教えてあげようか――帰って、料理を沢山作って、彼と父に沢山食べてもらって。夜は、そういえば、今日は流星が見えるから彼と見るのだ!
 そしたらもう帰る時間は過ぎるだろうから、泊まってもらって、明日の朝は自慢のオムレツを作って食べてもらおう。その後は――なんて考えながら、含み笑いをしている自分に気づいて、ウルスラは頬を叩いた。
 ふと風が彼女の頬を撫でる。
 その風を感じようと瞳を閉じたウルスラであったが、何故だろう、この風……泣いているような気がした。
 一瞬にして、ウルスラは心の奥底にどんよりとした不安が駆けた。何故だろう、何故。
 足早に道を辿った、どうか何も起きて居なように。あらゆる事態を想定したが、彼と父なら大丈夫。

 大丈―――夫、だよね。

「――え」

 最初に見えたのは、彼の太い腕が父の胸を貫いている姿であった。
 沢山の血が、揺れている父の足先から流れ――水溜まりが出来るほどであった。
 貴道は何も言わずに、薄っすら笑っているように見えた。
 何故、何故、何故――。
 買い込んだものを全て地面に落としたウルスラ。そこで音に気付いたのか、彼はこちらを見ている。

 見ていて、それで、それから――。

 心の中の大切なものが、硝子のように全て割れていった。
 遺ったのは、呪いのように焦げ付いた復讐心と、たった一つの失恋慕。

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