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一護一会
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- 鹿ノ子の関係者
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まだ、無垢だった思い出。
幸せだったかもしれない過去。
ぼやけたままの記憶を縁取ろう。
これは、あなたの一部だったはずの物語。
切り取ったフレームの外側。あなたが忘れてしまった
ベイビードントクライ。
少女の涙を拭う光の話。
●
はじめまして。あっはは、僕とは初めましてじゃないって? でも僕は初めましてなんだなあ。ふふ!
これは僕の記憶の物語。いつか思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれない。
けれど、これはあなたが知っていてくれればいい。そんな物語。
僕の名前は鹿ノ子。ううん。そうだなあ、幼い日の鹿ノ子って認識してもらった方がいいかもしれない。
だって、今ここで、あなたに語り掛ける『僕』は、あなたが知っている『鹿ノ子』ではないんだから。
ふふ、まぁわかんないよね。わかってくれなくたって、いいよ。
だってこれはただの気まぐれ。いつかあなたは当然のように今日の出逢いを忘れるだろうし、僕も君を忘れるだろう。
だから、それでいい。
ただの気まぐれ。風が吹いたような一瞬の、ほんのひと時の出来事。
風にいちいち「あ、何月何日何時何分何秒にあっちの方角からこれくらいの強さで風が吹いてきたな」なんて思ったり考えたりはしないでしょう?
あ、笑ったな? もう、僕は真剣だっていうのにさ!
こほん、ともかく。この記憶の幕間の話。『僕』にとってはだいじだけど、君にとっては些細事。そんな話。
それでも君は、知りたいと思ってくれる?
……そう! それなら歓迎。ふふ、歓迎なんかしなくたって、君なら頷いてくれると思ってた。なんちゃって!
と、も、か、く。
それじゃあ、僕が見せてあげるね。
『鹿ノ子』の過去のお話。眠りを拒んだ今の鹿ノ子を搔き乱す、オルゴールの音色。僕の宝物のお話を。
●
よいしょっと。ついて来れてる? はは、うん、良かった。
じゃあ、ちょっとだけ遠くから、僕の記憶を見守ろう。ほらこっち。茂みに隠れて!
……ふう、よし。こうしたほうが、なんか雰囲気があるでしょう?
さて、何から話そうかな。
……よし、うん。まずはね、僕は孤児院に預けられた、所謂孤児だったんだ。お父さんとお母さん? 覚えてないなあ。この記憶のころはまだ幼かったでしょ。っていうか、こうやって話してあげてる僕だって小さいんだから、覚えてるはずも、思い出すはずもないでしょ!
思い出したらまた話してあげる。……それに、生き別れた妹は居たとしたって、ここにはいない。だから孤児と表現するのが正しいだろう。今のところね。
え、寂しくないのかって? ま、まあそりゃ、寂しくないといわれれば嘘になるけどさあ……でも、ほら。あいにく僕は
あ、この場合のお姉ちゃんっていうのは、血の繋がりとかじゃなくて、年齢のこと。わかるよね?
だからそうだな。僕より小さい子が多かったってこと。
あ、ほら。あそこみてよ。これもまあ、記憶ってやつなんだけど。
◇
「おねえちゃん! これって、なあに?」
「あっ、危ない! ハサミはまだ触っちゃダメだから、おいといて。僕が運ぶから!」
銀に光るハサミ。一歩間違えれば怪我をしてしまうから、大人のひとと一緒の時に。
鹿ノ子が母親役からきつく言いつけられていたことだ。
まだ幼い弟妹が充分に理解できるとは思えなかった。だからこそ簡潔に告げた。のに。
「な、なんで……ううっ、うー……」
みるみる目に涙をためて。しまいには泣き出してしまった。
「ああ、もう、泣かないでったら!」
◇
……ちょ、ちょっと。何笑ってるのさ。狼狽えてる? そりゃあそうでしょ。だって、注意しただけで泣いちゃうなんて思ってなかったんだから。
まぁともかく。僕は頼られるお姉ちゃんだったってこと。見てわかったでしょ?
それから僕は『お姉ちゃんでないといけなかった』ってこと。ほら、見て。僕、泣きそうな顔してる。でも弟の頭を撫でてるんだあ。へへ、偉いでしょ。
んとね、だから、あんまり……っていうか、ほんとうに、ぜんぜん、泣くってことができなかったんだ。
あ、驚いた?
このころの僕は、まだ『泣く』をすることができたんだ。
今の僕とは違って、ね。だから、痛かったら普通に泣くし、不安になったりしても泣いていたんだ。秘密だよ。
あ! 僕がどっかいっちゃう。追いかけるよ、ほら!
……ここは、お家。の、裏辺りかな。よく覚えてないんだけど。
ここは、弟妹には見つからない最高の秘密基地だったんだ。だから泣くにはうってつけってわけ。
あ、ほら。泣いてる! ふふ、泣いてる。……な、なにさ。泣いてるって笑わなきゃ、僕だって説明するのも恥ずかしいんだからね、まったく!
とーにーかーく! ここで泣いてるのが、僕のいつもだったってことなの。おっけー?
……ほら、来た。あれが……あれっていうのも失礼だな。
彼が、僕ら兄妹のなかで一番の年上の那岐。
◇
「おい」
「……なに」
しゃがみ込んだ鹿ノ子の隣に腰掛けた那岐は、背中をとんとんと叩いた。あやすように。よりそうように。
「泣きたくなったら呼べって言っただろ」
一向に目線を合わせる気配はない。というか、するつもりもないのだろう。あくまでぶっきらぼうに言い放つ。
三角座りで腕で顔を覆い、ずびずびと鼻を鳴らす鹿ノ子。
「うるさい……」
不機嫌そうな声も一向に気にせず、那岐は鹿ノ子の頭を乱雑に撫でて。
「チビ共に見せられないって気持ちはわかる」
「……」
「でも俺はお前より年上なんだから、俺には、俺にだけは隠すなよ」
「うるさいぃ……」
「うるさくない。何回言えばわかるんだよ……ひとりで泣くな」
「だって……」
「だってじゃない。お前、こうでも言わないと甘えないだろ」
「うー……」
「はぁ……好きにしろ」
とん、とん、と一定のリズムで。次第に落ち着いたのか、那岐の腕に凭れ掛かった鹿ノ子。
那岐はそれを見ると、小さく歌を口ずさんだ。
◇
……良い歌だよね。
これ、僕好きなんだ。心が落ち着く。まぁ、今の僕はどうかしらないけどさあ。
綺麗な歌だよね。僕はこんなにうまく歌えないし……。
那岐が歌ってくれると、僕も落ち着いてさ。ほら、泣き止んでるでしょ。だから、あの歌が僕にとっても大切なことは間違いないんだ。
……その筈なんだけど、うーん。今の僕は、思い出すことを怖がってるから。
手掛かりになりそうなことのひとつだもんねえ。ま、怖がる気持ちもわからなくはないけどさ!
っと、ほら。次の記憶へいくみたい。手を握って。さ、往こう!
●
あ、家の中だ。それに……夜だ。真っ暗だあ。ふふ。
なんだかわくわくしない? 暗い中の探検ってさ! 暗いときはもう寝てたのもあるけど、あんまりうろうろしてたら怒られちゃうし、なんだかあんまり記憶が無いな。
え、わくわくしない? ふうん……あっそう。別に僕だけでもいいですよぉーだ。べー!
ま、それはともかく。なんで夜なんだろう。少し周りを見てみようか。
……あ、あれ。なんだか、泣き声が、聞こえない?
い、いや気のせいかな。わかんない。ど、どうしよう、僕まで泣きそう……い、いや、まだ泣かない! 大丈夫!
あなたが傍に居る限りは、記憶のエスコートをしっかりつとめますとも。ね!
こ、これって泣き声のところまでいかなきゃいけないのかなあ。いや、うーん……そうだよなあ。うん。いこう。
ちょ、ちょっと! 階段って軋みやすいんだから、慎重に登ってよね。
ほら、静かに。誰か起きちゃうかもしれないでしょ! え、記憶だから起きないって?
なんかこう、あれだよ。ロマンが足りないでしょ、ロマンが!
……ふう。えっと、あっちのほうから聞こえるね。あ、そういえばあっちって、僕の部屋もあるんだよ。ついでに見ていこうか。
……あ。
もしかして、泣き声の正体って、僕?
だ、だって。ここ。ほら、僕の名前。暗くてよく見えない? もー! しっかりしてったら!
え? おっきな声を出すなって? 記憶だから起きないよ、誰も!
…………いーいーの! もう! ほら、ドア開けるよ! もう!
……僕だ。
あ、起きてる。でもまあ見えてないから。うん。おーい! ……ほら。
泣き声の正体は僕だったんだ。でもなんで泣いてるんだろう、覚えてないなあ。
……あれ、ノックだ。ほら、そっち寄って。誰かドア開けるでしょ!
◇
扉を二回ノック。ひ、と怯える声を響かせた鹿ノ子。
毛布をかぶって、ぐすぐすと泣き声を漏らしながら小さくなって。
ノックの主は躊躇いなく布団に近付いて、布団をはがす。
「おい、泣いてんの」
怖がって泣いていた鹿ノ子。布団をはがした主が那岐だと知ると、また安心して涙をぼろぼろと零して。
「う、っ、う~~~~~~」
「…………悪い、驚かせたな。俺だ、那岐」
「な、那岐ぃ……」
「なんで泣いてんの。……隣、良い?」
「うん……」
一緒に布団に入って。鹿ノ子はぎゅっと那岐に抱き着いて、周りを見ようとはしない。
「おばけがね、」
「うん」
「おばけが、みんな食べちゃう夢をみたんだ」
「……俺が守ってやるから、大丈夫だ」
「ほんと? 那岐は、つよい?」
「強い。だからお化けなんかやっつけてやる。寝ろ」
「……僕がおばけに連れ去られたら、見つけてくれる?」
やけに真剣な声で鹿ノ子が言うものだから、那岐はふっと微笑んで。
「ああ。見つける。どれだけ遠くに離れても……絶対に見つける。それに、大人になったって、どれだけ時間がかかったって、絶対に迎えに行く。約束だ」
「……早く見つけてね。じゃないと、僕もう結婚とかしてるかもしれないよ」
「おばけと?」
「意地悪しないでよ……」
「もう、泣くなって……」
とんとんといつものように頭を撫でられる。鹿ノ子はそれに甘えて。縋って。
「僕らみたいな子供が、」
「うん」
「本当に……、外で生きていけるのかな……」
「わからない。でも、生きていくしかないんだ」
「……那岐だって……そろそろここを出て行く準備をするんでしょ?」
「まぁ、そうなるな。でも、大丈夫だ。俺と鹿ノ子はどれだけ遠くにいたって、繋がってる」
「でも、糸なんてないよ。なにも、繋がってる証拠なんてない」
「……心が、繋がってるんだ。それから、想いも」
「こころ? おもい?」
「ああ。だから心配するな。……歌ってやるから、寝ろ」
小さく頷いて目を閉じた鹿ノ子。
けれど、またその瞳を開いて、那岐に問うた。
それは弟妹に見せる姉の顔では無くて、那岐にだけ見せる妹の表情で。
「……ねぇ」
「うん?」
「いつも歌ってくれるその歌、なんていうの?」
突然の質問に那岐は瞬いた。
けれど、少し考えて。鹿ノ子の頭を珍しく乱雑に撫でて、こういうのだ。
「…………――――――」
やがて。鹿ノ子が眠りについたのを確認すると、ごそごそと己の服の中から箱をまさぐって、そっと枕元に置いていく。
ねじをまかれ、流れ出したその曲。それは、那岐が鹿ノ子へと歌うあのメロディと同じだった。
◇
え、聞いてなかったの?
あの歌の名前は――ベイビードントクライ。
ふふ。いい名前でしょ。
っと、そろそろ記憶から出る時間だよ。ほら、準備して。
なんで急かすのかって? そんなの、僕からは言えないよ。ふふ、意地悪だからね、僕。
――それじゃあ、またね。