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いつか、特別が当たり前になる日に
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ふうわり、と柔らかな風が吹いて、その心地よさに思わず目を細めた。今日は天気がいい。行ったことのない花畑に行くにはぴったりの日で、晴れ晴れとした気分だった。
今でこそ風を心地よく感じられるけれど、本来風は危険なものだ。とくに嵐なんて最悪で、アタシたちを根こそぎ巻き上げて枯らしてしまう。今でこそこうして風に安らぎを感じることができるけど、それも余裕があるからね……。もちろん、追われている時に背中を押してくれたことだって幾度となくあるから、助けられてはいるんだけど。
少なくとも、優しくアタシの花弁を揺らすことを気持ちよく感じることはなかった。……なんだか、歌でも歌いたい気分だ。
「レンゲ タノシイ?」
思わず鼻歌がこぼれると、自身の下から音――これは声なんだけど――が聞こえた。下にいるフリークライ――フリックには見えもしないのに、思わず口を手で塞いだ。昼間に堂々と歌を歌うなんて、前のアタシなら絶対にしていない。それが命取りになることを、アタシはよく知っている。そう、だからこれは命の危険があまりないことに安心しているだけ。決して気を抜いているわけじゃないんだから!
「楽しくない、わよ」
「ソッカ」と呟いてフリックは花畑の真ん中に腰を下ろした。
空は柔らかな青色で、思わず眠くなってしまうような陽気だ。あたたかで気持ちよくて、うとうとしてしまう。それでも、このまま眠ってしまうのはなんだか癪なような、もったいないような心地がして、アタシはフリックの頭から飛び降りた。
――それにしても、綺麗な花畑ね。小高い丘になっているこの場所は隙間なく花に彩られていて、その下には広大な海がどこまでも続いている。花々はどれも歌うように揺られていて、どこまでも優しい音色に囲まれていた。
そのまま花畑を飛んでいたら、鮮やかに色付く花々たちの間に、ふと白い花が落ちているのが目に入った。周りを見渡してみても、同じ花は見つからない。きっと、鳥が運んできたのだろう。
まだ生命の残り香がする柔らかいそれをそっと持ち上げて、アタシは目を瞑った。花は何も喋らない。なんだか、いつか人間たちに捕まって、オークションにかけられた時のことを思い出した。
あの時は、本当にもうダメだと思ったのだ。人間たちにいいようにされるのが惨めで、悔しくて。アタシのことを売り飛ばそうとする奴になんて絶対負けてなんかやらないと思っていたけど、結局耐えきれなくて。あの時フリックが助けてくれなかったら、どこに行ったってロクな扱いはされなかったと思う。綺麗なままに落ちてしまった花は、まるで昔のアタシを見ているみたい。
「レンゲ」
パッと顔を上げると、目の前にフリックが立っていた。心配そうにしゃがみ込んだフリックを見ていると、なんだか不思議な、おかしな気持ちになる。――なんて顔してるのよ、もう。
「何でもない」
「……ソノ花」
フリックはアタシの手元を見て、何となく事情を察したみたいだった。
「弔ウ?」
「いいわ」
花とは、落ちてなお愛でられるモノ。アタシたちは誰よりそれを知っている。どう生きようと、人間にとっては関係ないことも。美しく有用であれば、生きていても死んでいてもどちらでもいいのだ。アタシたちはそういうものに晒されて生きている。だから花は精一杯生きて、後悔を残さないようにする。この花がどうであったかは分からないけれど、きっと必死に生きただろうから。
アタシは花を元の場所に置くと、フリックの頭に飛び乗った。柔らかく体に馴染む土壌は、今までいたどんな場所よりも心地いい。
……そういえば、こいつと出会って半年以上経ってるのよね。あの時売られるはずだったアタシがこうして生きていることは、紛れもない奇跡だ。絶対言ってなんかあげないけど、アタシはフリックに感謝してるし、返しきれない恩がある。あの時出会ったのがフリックじゃなければ、アタシはこんな風に過ごせていなかった。一つの場所にとどまっているわけではなく、それでも帰る場所があること。そのことにどれだけ救われているか、きっとアンタは知らないだろうけれど。
アタシがこんなにも一つの場所に居着くなんて、あり得ないことだった。オークションの時も、今も。いつだってこいつはアタシの「あり得ない」を軽々と超えていく。
だから、つい。
「ねえ、フリック。アンタはさ」
「ン。レンゲ ドウシタノ?」
――アタシとの一周年も、お祝いしてくれる?
「……ううん。なんでもない」
「ン。分カッタ。イツデモ 言ッテネ」
できるかも分からない約束はしたくない。そう思って、アタシは言葉の続きを心の中に仕舞った。
もし、一年が過ぎたら、その時はまた言ってあげてもいいかも――って、いたっ!
頭上を見上げれば、青い鳥たちがアタシの頭をツンツンとつついていた。「なんで言わないの?」とでも言いたげな雰囲気で、ちょっと、なんかおかしくない⁉︎
「何するのよ⁉︎ ちょっと、こら、つつくなー‼︎」
アタシが叫ぶと、鳥たちは笑うように上に散っていった。なんなのよ、もう!
「レンゲ 鳥サン達 仲イイ」
「そんなんじゃないわよ‼︎」
つい強く否定しちゃったけど、フリックは楽しそうに揺れるばかりだ。本当にもう、こいつらと一緒にいると調子が狂うのよ。ぴぃ、と鳴く鳥たちを睨むけれど、その実なんの効果もないことをアタシは知っている。
肩で息をしているアタシが落ち着くのを待って、フリックは声を出す。
「ソウイエバ」
「何よ」
「サッキノ花 昔 教エテモラッタ」
「さっきの、白い花?」
「ソウ」
どことなく、昔を懐かしむような雰囲気と共に、フリックはゆっくりと言葉を続けた。
「スズラン。幸セヲ運ブ花 ラシイ」
幸せ。それはまるで今みたいな……そう考えて、首を振る。アタシはまだ、そこまで平和ボケしているわけじゃない。
「幸セナ約束 トイウ意味。ソウ聞イタ」
――それでも、人間たちが勝手に持たせた意味に喜びを覚えるのは、アンタのせいって言ってもいい?
「レンゲ シアワセ?」
「……アンタがアタシを守ってよ。アタシが不幸にならないように。約束しなさい」
「ン。分カッタ」
そしたら、いつか、アンタに伝えるから。あの時、助けてくれて嬉しかった。これからもよろしく――そんな、当たり前の感謝を。