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あの日見上げた空
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――ある日見上げた空はとても綺麗だった。
空中庭園。それは、イレギュラーズとして召喚された者らが集う地。
外なる世界より。或いはこの混沌の何処かより……
エルラもまた、その地へある日召喚された。
「わぁ……!」
自らの周囲に水の泡が形成される。
それはエルラに宿りしギフトであったのだが……元々は海で普通のイカの様に暮らしていた彼にとっては、この日が初めて己が『祝福』に気付いた日でもあったと言えるか。
小さな海と言えるその水泡が彼の息吹を地上でも可能とする。
――初めて見る景色。地上はエルラにとって、海の中から眺めるだけの世界だった。
常に水の上にある世界。それが今、己が視界と――並行している。
心の臓が高鳴る。
その鼓動こそ彼の興味の度合いを示し、彼方へ此方へ漂い往く。
「わぁ、わぁ……! 地上って、こんな感じだったんだねぇ……!」
どこを見ても新鮮。どこを見ても己が未知。
広がりし世界を駆ける様にエルラはひたすら歩き回り――
しかし、ふと気付いた時には瞼が重くなっていた。
――寝ながら泳ぐという行為が海にいた時から習慣になっていたからである。
陸に住む人間などにとっては歩きながら寝る、という行為は中々ないだろうが……海を己が世界とする者達の中にはそういう睡眠方法を宿している者達もいるものだ。いつの間にかうとうとと、睡眠の熱が脳髄に伴いて意識が途切れれ、ば。
直後に衝撃。
――おっとっと、どうやらどこぞの民家の窓に直撃してしまった様だ。
「わわわ、大丈夫かい!? え、寝てる……? ねぇどうしたの!?」
「んぁ……? あ、うん、えーとね……むにゃぁ……」
「あれ、また寝た!!?」
さすれば、その家の者が思わず飛び出してくるものである。
それは――飛行種の者。名をラルス・オルビア。
「疲れてるのかなぁ? とにかく家においでよ。そのままじゃまたぶつかっちゃうよ」
「zzz……ぅん……ありが……zzz……とぅ……」
えーと、これって運べるのかな? とラルスは呟きながら、エルラの水の泡をなんとか抱えるようにしつつ家の中へと誘導する――初めて出会ったエルラを放っておけなかったのは、彼の持つ穏やかな気質が故だろうか。やがて落ち着き、エルラの意識が再度覚醒すれば。
「ごめんね……ずっと海の中で暮らしてたから、陸での動きに慣れてなくて……
あっ。ぼくはね……エルラって言うんだ。たすけてくれて……ありがとね……」
「へええ。エル君はずっと海の中にいたんだ! あ、ぼくはラルスだよ、よろしくね!」
互いに自己紹介。これが、彼らにとっての初めての出会いであり。
そして――これより続く友情の始まりでもあった。
「漁師?」
「そうだよ。お父さんは漁師なんだ! いつも朝早くに出かけて、海の方に行くんだ。
もしかしたらエルラとすれ違った事ぐらいはあるかもしれないね」
「ふふっ……そしたらこんな形じゃなくて、網に掛かって引き上げられて……なんて出会いだったかもねぇ」
「あはは! 確かにね! それはそれで面白そうだけど、ぼくは病気がちだから陸じゃないと会えなかったかもなぁ……うん、そうして考えるとずっと海で暮らしてたエル君と会えたのは奇跡みたいな――あれ!? また寝てる!? エル君、エルくーん!!」
不思議だ。初めて会って、まだそんなに経っていないのに会話が弾む。
海での生活、海での記憶をエルラが語れば、ラルスが目を輝かせて聞くからかもしれない。
彼は――漁師の息子ではあるそうだが、しかし体が弱く中々家の外に出られないそうだ。
故に窓の外から海を眺める事は出来ても……実際には往けぬ。
だから、楽しい。エルラの話が。まだ見ぬ世界を知っているエルラの物語が。
「zzz……あわっ、また寝ちゃってた……まぁでも海も大変なんだよ……なにせホラ、ここなんてさ昔サメに食べられちゃったんだ」
「――え、サメに!!?」
「うん。ほら、ここの足だよ足……」
「ひええ……エル君ってそんな生活をずっと昔からしてるのかい!?」
「うんうん。そうだよ……ずっと昔から――あれ?」
と、その時。
かつてサメに襲われた時の一幕をラルスに語っていれば――気付いた。
そういえば己にとっての『昔』とはなんだろうかと。
瞬間。この日、初めてエルラは自覚する。
己は、己の事を何も知らぬと。
サメに足を食べられた記憶はある。だけど、その前は?
自分は一体どこで生まれてどこで育って、どうしてここにいるんだろう?
「……あれれ?」
物心ついた頃には海で一人で暮らしていた。それが普通だと思っていた。
海の中で生活して、海の者として海を漂い、そして今の今までずっとずっと……
「うーん、うーん思い出せないなぁ……」
「えっ。じゃあエル君の『エルラ』って名前は、誰が付けてくれたの?」
であればとラルスは問う。
彼の名前は一体どこの誰が付けたのだろうかと。
親か、それとも育てた者か、或いは自分か……?
しかし、それも分からない。
誰かが『エルラ』という名前をつけてくれたはずだが。
その時のことも一切記憶にない。その人物の面影すら、記憶の片隅にすら思い出せぬ……
そして今までに――疑問に思った事すらなかった。
「うーん……不思議だね。そういえばどうしてぼくは『エルラ』なんだろう……
まぁ、いいんじゃあないかなぁ……」
「――いいの? エル君」
「うん? うん……だってあんまり関係ないしね」
仮に。『エルラ』と名付けてくれた人が思い出せなくても。
何の困りもしなかった。
だってずっとソレで生きてきたのだから。ずっとずっと一人で――
あれ?
「どうしたの、ラルスくん……?」
さすれば、微かにラルスが『難しい顔』をしている気がした。
どうしたんだろう。ぼくは何か変な事を言ったかな?
エルラの頭に疑問符が浮かぶ――けれど、反対にラルスは何か閃いたようで。
「――ねぇねぇエル君! エル君ってさ、それなら行く所ってあるの?」
「行く所……? うーん、あんまり考えてないかなぁ……海に戻るかどうかってぐらいだけど……どうして?」
「そうだ! なら、ぼくの家に泊まりなよ! エル君なら大歓迎だからさ!」
「……ええ? いいの?」
いいよいいよ! ラルスはそう言うが――しかしご両親は大丈夫なのかと。
けれどラルスはもう決めていた。事情を話せば両親も納得してくれると思っていたし、なにより。
――一人ぼっちなエル君を放っておきたくはなかったのだ。
だって。生まれてからずっと自分以外を知らないなんて、そんなの寂しいよ。
――だって。ずっとぼくは病気で家にいた。
優しい家族がいなければ、きっとぼくは一人では生きていけなかったんだ。
エル君はぼくよりもずっとずっと、海の事を知っている。
ぼくに色んなことを教えてくれた。
――だから今度は、僕がお返しする番だ。
「エル君。ずっといてもいいんだからね! エル君は一人ぼっちなんかじゃないんだから!」
「うん……? ありがとう。安全な場所で暮らせるなら……ぼくもありがたいしね……」
一人ではない世界を、エル君にも知ってほしいんだ。
微笑むラルス。ちょっぴり困惑しながらも申し出をありがたく受けるエルラ――
……それからエルラはラルスの家で暮らすようになった。
陸での生活は今までの全てが一変していて、分からないことも多いけれど。
「……なんだろう。前よりずっと、ずっと……」
ぽかぽかするんだと、晴れやかなる青空をエルラは眺めていた。
――海では常に捕食者に注意せねばならなかった。
眠っている時を襲われれば一溜りもないから。
だから眠りは浅く、緊張の糸を常に張り巡らせていた――それが海での生活。
何処までも、誰しもを包んでくれる……美しくも冷たく、厳しい世界。
……だけど此処は違う。
色んな人がいて。青空とお日様が近くて。友達も出来る――暖かな世界。
周りの皆が自分のことを大切に思ってくれているのがよく分かる。
もしも、自らに。あの深海でも『家族』がいたのなら……こうだったのだろうか?
「こういうのを愛されてるっていうのかな」
あぁ今日もとっても眩しい一日だ――
さぁ帰ろう。きっと家ではラルスが首を長くして待っているから。
水の泡に浮かぶエルラ。その歩みは、自らの帰るべき場所へと一直線に……
一人ぼっちの世界に、微かな光が――生まれた気がした。