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押し花に込めて
登場人物一覧
大きな窓の外に広がるアジュール・ブルーは高く、陽光は朗らかに降り注いでいた。
室内には紅茶の香りが立ちこめて、時折カップとソーサーが重なる音が響く。
シャルティエ・F・クラリウスは、窓から振り向いてこの応接室の主であるリオン・カルセインに視線を向けた。いつもと変わらぬリオンの横顔にシャルティエは金色の目を細める。
「平和だねぇ」
「まあな。この前の事件が特別大事だったんだ。普段は何も無い長閑な場所だよ。ここは」
シャルティエとリオンが共同で管理するカルセイン領は、春頃魔物の群れに襲われた。
それも、自身が雇い入れたメイドの手引きによってだ。
結果としてメイドは貴族の奴隷でスパイだった事が発覚する。
シャルティエは呪いを掛けられ虐げられている奴隷――リル・ランパートを救う為立ち上がった。
王家が所有する笛の音が鳴り響き、巨人の封印が解かれた古廟。そこから溢れた魔物たちは街を一つ丸ごと飲み込んで幻想国を恐怖へと陥れた。自分達の目的の為暗躍する貴族、そして封印を解かれた巨人の脅威。
それを救ったのが今代の勇者達――つまりイレギュラーズだ。
幻想国王までもが挙兵したこの戦いを『ヴィーグリーズ会戦』と呼んだ。
シャルティエも仲間と共に戦った――
最初は『自分なんか』に他人が救えるのかと不安であった。
実際に救えなかった者も居たからだ。膝を着いて自分の無力さに心を掻きむしられた。
それでも、自分の手の届く範囲で誰かが助けを求めるならば、救いたい。
救えなかったからこそ。今度は必ず救ってみせるとシャルティエは立ち上がった。
その成長を傍で見て居たリオンは親友の可能性に目を瞠ったと後に教えてくれた。
シャルティエ自身は未だ実感は無いけれど、リルを救えたという事実があり。
リルの笑顔にシャルティエも救われたのだ。
――ところが最近。
何処かリルの様子が変なのだ。
彼女はこのカルセイン領のメイドとして正式に迎え入れ、また親が子供に施す学業や教養も望むままに与えている。子供時代から奴隷として働いていたリルにはきちんとした『遊び』を体験してほしいという思いもあり、休みも多く取らせていた。
そのリルが最近、よそよそしく。物憂げな雰囲気を纏っている。
「まさか……また事件に巻き込まれているのか――ッ!?」
「どうした?」
突然大声を発したシャルティエにリオンが視線を向けた。
「最近リルの様子がおかしいんだ。何だか避けられているような」
何か事件に巻き込まれているのではないかと眉を下げるシャルティエの肩を叩くリオン。
「……それは、あれじゃないか? 思春期とか反抗期?」
「え?」
シャルティエはふらりとソファに座り込み、指を組んで口元を隠す。
反抗期。子供のアイデンティティの確立と共に訪れる成長の証だ。
「あの素直なリルが……いやでも、保護者という立場としては喜ばしい事」
形式上ではあるが、シャルティエはリルの保護者、つまり『親』となっている。
彼女の養育はシャルティエの責任なのだ。そのリルが反抗期とあらば動揺も頷けるだろう。
「だが、事件に巻き込まれている可能性は否定出来ないからな」
「そうだね。心配だなぁ。……今日は街に出かけるって言ってたし」
居ても立っても居られない様子のシャルティエに、リオンは眉を下げた。
少し前までは、挫けそうな顔で憂いていたというのに、今はもう『子供』の心配をする程になったのだ。
長命種であるリオンにとってシャルティエ達の成長は一瞬だ。
「そんなに心配なら、様子を見てくると良い。今日は街で収穫祭をやっているらしいからな。シャルティエも久々に祭りを楽しんでおいで」
「うん、そうだね。少し見てくるよ」
駆け出して行くシャルティエの後ろ姿に目を細めるリオン。
――――
――
シャルティエは祭りに彩られた町並みを見上げる。
紅葉と銀杏の色彩が散りばめられた街は、明るく温かい。
祭りの露店が並ぶマーケットに足を踏み入れたシャルティエは視線の先に灰色の美しい髪を見つけた。
ピンと尖った耳とふさふさの尻尾――リルだ。
シャルティエは声を掛けようとして、思いとどまる。
リルの隣にはアンジェロ・ラフィリアが居たからだ。
彼もヴィーグリーズ会戦でイレギュラーズに命を救われた奴隷の子供。リルとは同じ奴隷仲間だったこともあり交流が続いているのだろう。
親として子供の交友に割って入るのは気が引ける。アンジェロが居るなら大丈夫だろうとシャルティエは元来た道を帰ろうと振り返った。
「……どうしたの? 浮かない顔をして」
「あ、そのですね。少し悩んでいる事がありまして」
聞こえて来た会話に引かれ思いとどまるシャルティエ。
リルは何に悩んでいるのだろう。
自分が助けられることなら手を差し伸べたいとシャルティエはアンジェロとリルの様子を伺う。
「私は今、とても幸福な生活をしています。以前では考えられなかったような」
それを胸に思うだけで涙が出そうな程に幸福だと感じる。その気持ちは奴隷仲間だったアンジェロも同じだろうとリルは視線を上げた。
「そうだね。分かるよ。僕もアーリアお姉ちゃんの助けで一人暮らししながら学校に行ってる。知識は何においても武器になるからね」
「はい。私もメイドとしてお手伝いさせて貰ってます。改めて戻った時は他のメイドの方達とはギクシャクしてしまいましたが、皆さんいい人ばかりで直ぐに受入れてくれました。こうしてお休みも多く頂けますし」
「へえ! 良いじゃない。住む場所があって、美味しいご飯とあったかいベッドがあって。お金も貰えて。すごく幸せだね」
お互い奴隷だったから、今の環境がとても幸福に思える。
「だから、シャルティエ様に少しでも感謝の気持ちを伝えたいんです。でも、何が好みなのかとか、そういったプライベートな事を聞くのが憚られて」
「遠慮しなくても良いんじゃない? シャルティエは優しいし、リルが聞いたら笑顔で答えてくれるよ!」
そうでしょうかと頬を染めて両手で顔を覆うリルの様子にシャルティエはこみ上げるものがある。
「いいなー、シャルティエは、リルにこんなに想われて」
「でも、アンジェロさんもアーリアさんが大好きでしょう? 同じですよ。この前誕生日にお花をプレゼントしたんですよね? 聞きましたよシャルティエ様から」
「ええ!? 何で知ってるの!? アーリアお姉ちゃんシャルティエに言ったのかな? 照れるし」
お互い一生掛かっても感謝しきれない程の恩がある。
そんな恩人であるシャルティエの為に、自分が出来る事をこの所ずっと考えていたのだ。
「考えこんで、少しぼーっとしてしまって、シャルティエ様にご心配をおかけしたかも」
「あー、シャルティエならありそう。すっごくいい人だもん」
アンジェロはくすりと微笑んで、視線を上げる。
その先に見えた花屋の露店。そして押し花の催しに目を輝かせた。
「ねえ、リル! あれどうかな? シャルティエ喜んでくれそうじゃない? 押し花だといつまでも残しておけるし」
リルの手を引いてアンジェロは駆け出して行く。
その様子を見守ったシャルティエは今度こそ踵を返した。
リルが自分の為にどんな花を選び、送ってくれるのか。楽しみで仕方が無い。
――――
――
数日後、シャルティエの私室の扉が叩かれた。
ドアを開ければ頬を染めたリルの姿がある。
頬を染めたリルが意を決して、差し出した押し花のプレゼント。
「あの、これ感謝の気持ちなんです。その……シャルティエ様の瞳の色に似てるなと思いまして」
高価なものではない。けれど、リルがあの日、花を選び押し花にして気持ちを込めたもの。
カモミーユの押し花。
不屈の剣。いくら挫けても、笑顔と共に自らの足で歩んで行く。
『リルの勇者』を表す花。