SS詳細
Nice to meet you, My beloved.
登場人物一覧
しんしんと降り積もった静謐に、ぽん、ぽん、ぽんと。ひとりぶんの
時折、ふるふると寒さに身震いした樹々が身に纏った雪を落とす以外に其処に音は無く、秋頃迄は見掛ける事の出来た花々や動物達は次に来る春の朝を待って睡りに就いているのでしょう。
色に名前を付けた人は屹度、雪の事を指して『白』としたに違いないのです。甚振る有りと有らゆるものから世界を守る様に、此の寒い季節に全てを覆い尽くして一旦、境界を引き直す為の色。大いなる母、或いは恐ろしい簒奪者の色。其れが『白』。
若しくは、彼女であれば戀人の髪と其の無垢さを想って、そして逢いたい気持ちに弾む息の色を『白』と名付けていたかも識れません。
ほんの気持ち、駆け足で。家路を辿る少女が此処にもひとり。びゅうびゅうと湖畔を吹き抜ける風を小さな軀いっぱいに浴びて、頭の上の冬
さくさく、きゅっきゅ。踏み締めた雪の軋む音が小気味良く、何だかもう少しで逢える気がして、ひとりで寒い思いをしていないかとそう思うと走り出してしまう始末。
トクトクと跳ねる心臓に澄んだ冷たい空気が心地良くて、心の中で何度も名前を呼んで。
「なあに、タント。……――そんなに呼ばれると、何だか照れ臭いや」
「ジェック様! まあ、わたくしってば何時の間にか口に出していたみたいですわ!」
小高い丘から臨むのは、小さな乙女が懐くのが似合いの煌びやかな
「此のお家はシチューかな、暖かそうだ。こっちは……」
「チキンですわ! 七面鳥の丸焼きを分け合いますの」
「ま、丸焼き」
ギョ、と
「わたくしでも作って差し上げられると思いましてよ?」
「い、いや。其れは気持ちだけで大丈夫かな。食べきれなさそうじゃない……?」
『だってこーんなに大きいんでしょ』と腕を広げるのを垣間見るに、頭の天辺から足の先っぽ迄がオーブンに入ってこんがりと焼かれている所を
「では、お家に帰ってからのお楽しみと云う事で!」
『可食部だけなら大分小さいのですわ』なんて種明かしをするのは、其の時まで取っておこうと。そんな細やかな意地悪で笑って、組んだ細腕を引き寄せます。
「何たってわたくし、今日は御馳走を仕込み済みですもの! ふふ、初めてともなれば腕が鳴りましたわ!」
軈て見えたふたりの家には、何時の間に飾りつけたのか。出迎えてくれたのは歩いて来た街並みに負けない位可愛らしく飾り付けられた
『ただいま』と他の人には聴かせた事の無い、若しくは
『おかえりなさいませ』と、ホット・ミルクにぽとんと薔薇のエッセンスを垂らした様な
「ジェック様、ただいま、戻りましたわ!」
「うん。おかえりなさい、タント」
「……で、本当に凄い御馳走だね此れは」
ずらりと並んだ、色とりどりの
「仕込んであると申し上げましたでしょう?」
その量は其れほど多くありません、いっそふたり分にしては少ないでしょう。だってねぇ? 初めての聖夜にお残しなんてそんな勿体無いこと。
「此れはケーキ、なんだろうけど変わった形だね」
成程! そう思って改めて見れば見れば、丸い茶色に入った筋や断面は年輪や樹皮。この葉っぱだけはそこに生えないだろうとは思ったけれど、様式美であり御愛嬌に違いないのでした。
「本当はケーキは最後に取っておくのですけど、本日は気になったものからお好きに摘んでくださいな。楽しい時間に礼儀作法は邪魔なだけでしてよ」
「そう。……――丸焼きは?」
「あらあら。存外期待なさってましたのね。ええ、焼くと致しましょう。凡その処理は済ませてありますから、あとは表面をパリパリに、焦げ目をつけて熱々を頂くだけですの。
こくりと頷いたジェックに任せ、冷室から急いで調理済みの七面鳥を持ってきたタントは、火を吹きそうな竈門を目にしてふるふると長い睫毛を震わせます。両手が塞がっていなければ手で口を抑えていたかも、と、くふふと笑い声を押し殺して
「其れでは丸焦げに成ってしまいますわ、ジェック様」
「火力が強ければ短時間で出来上がるんじゃないのかい?」
「初心者にありがちな勘違いですわね。これから一緒に学んでいきましょう」
「……――これから。一緒に」
「そうです。今日はとっても素敵な日。食卓を囲み、甘くて塩辛くて、たまに苦かったり、酸っぱかったり。味ではなく心で覚えて頂けたら嬉しいのですわ!」
「実はさ、一緒に
「まあ! 大歓迎ですわ、ひとりよりふたり。そうとなればエプロンをもう一枚、用意しなければですわね」
火加減が弱くなったところで七面鳥を竈門に滑り込みます。既に中まで火は通してあるので、本当に温めて焼き目をつけるだけの作業です。
サラダと言うと今までのジェックにとっては『野菜を混合した味』以上でも以下でもありませんでした。栄養を摂取するのに効率が良かったし、流動食にいちいちブロッコリー味であるとか人参味だのがあるわけでもなし。だから目の前のボウルに入った瑞々しい野菜にソースが掛かった其れが、一つ一つ味も食感も違うのは何だかおかしくて。
フォークでザクっと葉と茎と実を串刺しにして口に含む。
「サラダって、雪みたいにやわらかいよね」
「ふふ。やわらかい、をサラダに当てはめる方は中々居ないでしょうね」
そうして、あれは此れはと歓談している間に、ハーブとスパイスの効いた肉の焦げる馨が漂って来ました。
「ささ、メインディッシュですわよ!」
「複雑なにおい……」
「ローズマリーやローリエの馨の事ですかしら? 其れはもう、じっくりと仕込みましたのよ!」
目の前に差し出された、まぁるい皿に乗っかった七面鳥の半分。どうやって食べるのか、まさか骨ごと?
「こうやって端を持つんですの」
タントは紙ナプキンを七面鳥の骨張った部分に巻いて持ち上げる。其れに倣ってジェックもやってみた。タントが豪快に齧り付いたのは面食らったけど、頬張るタントの顔は幸せに満ちている。ジェックも意を決してがぶり。
「――如何ですか? 初めての七面鳥は」
「そうだね、これはーー」
癖になりそう、なんて。
「後でプレゼントの交換も致しましょうね、ジェック様!」
「勿論。嗚呼、じゃあ改めて――……」
「「輝かんばかりの、此の夜に!」」