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HELLO WORLD
登場人物一覧
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薄暗い中に、光がある。
一直線の廊下、そこを照らすか細い照明の光だ。歩行に支障は無いが、先を見通すには物足りないと感じる。
無機質な長方形の材質に囲まれたそこは、練達、再現性東京にある一軒家の中だった。
……アーティストって、わかんないっすねぇ。
およそ生活感という物が見えないそこを、浩美は歩いていた。開け放しの玄関から敷居を跨ぎ、以降続く道は何のためにあるのか想像も付かないが、まあ、それこそアーティストだから、なのだろうと納得させていく。
居住地域からも離れたここには隣家もなく、周辺に人の気配が少ない。
恐らく、外界との接点を必要としていない家主なのだろう。
「どうなんすかね」
手に持った資料を確認して呟く。
家主への心配ではなく、これから頼む仕事への憂慮だ。
R.O.O。人為的に構築された疑似世界への第一歩である、もう一人の自分を作り上げる仕事だ。
紹介が無ければここには来なかったであろうし、いやそもそも自力で見付ける事も無かっただろうという確信もある。
「まあでも、そういうもんっすか」
重ねた抽象的な評価は、芸術家という人種への風潮もあり、ただ、事前の情報も相まって浩美の中に浸透している。
「……ミケラ・ジェロ」
家主の名を呟き、資料を見直す。
一番上に重ねられた表紙にあるのは、キャラクターの三面図だった。
黒の線で描かれているそれは、一対の大きな翼を広げた天使。事細かに留意事項が記されていて、製作に相応の情熱が込められているのは疑うべくもない。
……悪いことしたっすよねぇ。
そう、情熱だ。
この絵図を完成させるために浩美は――いや、浩美が依頼をしたイラストレーターは、並々ならぬ想いでこれを仕上げてくれた。
きっと、これまでの仕事でもかなり難問だったはずだ、と、浩美は思う。
なにせ自分は、自分の想像した物を表現する術に乏しい。自覚はあったし、混沌世界へ至る前、触れてきた筈の芸術作品はもう、名前すら記憶から溢れ落ちている。
「それでもなんとか形にしてくれたのは、感謝っすね」
後はそれを、確立してもらうだけだ。
突き当たり、扉のノブに手を掛けて、フッと笑う。
押して開いた隙間から噴き出す光に目を細め、浩美はその中へと足を踏み入れた。
「お……!」
ぐしゃりとした音。
踏み締めた足裏から感じる不揃いの不快感。
そして、目に映った惨状に、浩美は目を瞬かせた。
「これはまた、なんというか」
必要な物も、不要な物も無かった通路とは一転して、その部屋にはモノが溢れている。
床が見えない程にばら蒔かれた紙や衣服。角に固められたごみ袋の山。大きさの合わない机と椅子のコンビが合って、
「ん……?」
ただ中に、寝台がある。
シーツの剥がれたそれは硬そうで、事実、そこに胡座で座る家主と思わしき人物の重みを、凹みもせず受け止めていた。
「こども……?」
それは、小さなヒトだった。
ぼさっとした髪に、着古したぶかぶかシャツ。覗く線は細く頼りなく、日を浴びたことが無いように白い。
宙に浮かばせたモニターに指を走らせ、目まぐるしく移り変わる作業の工程を見なければ、引きこもりか監禁された幼児にしか見えなかっただろう。
だがこれがミケラ・ジェロだ、と。不思議とそう確信が出来て、だから一息。
「依頼に来たっすけど……」
浩美は、前のめりな猫背に声を掛けた。
無視するように作業を続ける背中は振り向かず、と思えば不意に、手だけを差し伸ばされる。
「よこして」
「え」
舌足らずな声だった。意図を読めずに沈黙をしていると、焦れた様に震えた身体が、漸く浩美に向けられる。
「絵。それ」
そうして改めて言われると、持参した資料を指しているのだと気付いた。
求められるまま差し出してみると、瞬間、剥ぎ取る様に奪われる。
「出来るっすか、俺っちのアバター」
問い掛けには、やはり無視で返される。だが資料を一目したミケラ・ジェロは、モニターを殴るように消して球体を一つ整形させた。
「はなして。つくりたいきもち」
指を添わせて下に引く。同様に上へ、左右へと幾度か繰り返すと、人の形へ変わり、瞬きの合間にキャラクターの造形へと生まれ変わる。
「気持ち、っすか?」
「そう」
髪の隙間から覗く双眸が浩美を見る。無感動なソレは聞き返しに一つ頷くと、整形へ向き直って続ける。
「キャラクターには、想いがあるの、大きくなりたいとか、かわいくなりたい、とか、そういうきもちが、命になる、だから――」
●
それは、戦いの最中だった。
いつかあった戦場の記憶。物覚えの良くない彼女が色褪せず持つ、鮮明な光景の中だ。
開戦の切っ掛けは相手から。二対の白翼を持つ、天上から見下ろす天使だった。人から鬼へと、自ら変じた浩美を悪だと断罪したかったのだろうと、今ではそう考えている。
「下々に語る言葉は無いってことっすかね」
交わすのは言葉ではなく刃。圧倒的な力量で押し潰してくる相手に、鬼の力で真っ向から立ち向かうしかなかった相対は、苦難としか言い様が無い。
「あの頃は呪いの力頼みだったから、もう大変大変」
致命傷すら修復する再生能力を保持していた頃だ。混沌に渡っては色々と喪われたモノは他にもあるが、当時では多少以上の無茶が通っていた。
結局決着は付かず、以降遇う事も無いまま召喚されてしまったが、
「俺っちには忘れられない」
清廉な気配。実直の眼差し。流麗な太刀筋。
自分とは違う、正しく祝福の徒。
「そう、なりたい、の」
「ん~そうじゃないっすけど」
対極の存在に惹かれない訳ではないが、そう在りたいかと言われると、違う。
「難しいっすね、心ってのは」
「ん」
ミケラ・ジェロは、指で円を描く。真円に光る輪は、アバターの頭上に据えられる。
肩、肘、手。胴、腰から脚、足へ。各部位を握る様に触れると、滑らかな装備が着けられた。
白面に薄紫のラインを刻む事で、どこか機械的な印象を思わせ、同時に褐色の肌と明暗差をハッキリさせる。
「ひゃぁ、すっげえっすね~」
面として見ていたものが立体となって生まれ変わる様に、浩美は素直な感嘆を吐く。
そんな反応は気にしないミケラ・ジェロは、モニターに描き込んだローブを出力し、白のローブを羽織らせる。翼の動きを阻害しない、二つのスリットが入った特製だ。
それから両手で、アバターの頭に触れる。ふわりと山を描くように撫でると、前髪の表示が生まれ、続けて胴を弾いて身体を半回転させると、後頭部を摘まむ動きから腰まで引っ張った。
そうして出来るのは、長い白髪だ。
「紫でいいの」
「っす」
さらにそこから、手を加える。
髪の付け根は毛先へ向かって、鮮やかな色味を付加していく。
白から青味を経て紫へ至るグラデーションだ。
最後にまた正面を向けたアバターの、色が抜け落ちた両目を人差し指でそれぞれ突けば、灰と金の左右で違う瞳が出来上がる。
「……!」
製作しやすいように縮小表示されていた身体が、等身大に拡大されて目の前に置かれる。
対面する、これから命を吹き込まれる身体は、紙面で見るよりもずっと、想像していた以上にもっと。
「いい?」
「っす……あ、まった! 最後にもう一つ!」
こうして実在させて、感じた事があった。
「なんか、こう、周り、チカチカ、きらきら? 光を、欲しいっす!」
上手く言葉に出来ない不器用さが歯痒い。そう感じながらも、ミケラ・ジェロはその言葉から汲み取った表現を加える。
小さな光の欠片だ。
微小な輝きを纏う立ち姿。
それを得て、浩美は大きく頷いて、
「ああ、これが」
これから足を踏み入れる世界。
様々な思惑と悪意、謎を攻略することになる、もう一人の自分を見て笑う。
「楽しみっすね」
ただ素直に、そう思えた。