PandoraPartyProject

SS詳細

飛蝗食いの蜘蛛

登場人物一覧

ナイジェル=シン(p3p003705)
謎めいた牧師
ナイジェル=シンの関係者
→ イラスト



『冒険者様! ばあばが、ばあばが……!』

 幼い少女がそう言って、とある村に逗留していた彼女の元へと駆け込んできたのはつい先日の事だ。
それ以上の言葉は嗚咽に飲まれて聞き取ることが出来なかったが、その子と共に祖母を訪ねた姉の証言によれば、兼ねこのような事だった。

──私達、お母さんからのお使いで、お婆ちゃんに会いに行ったんです。お母さんが焼いたケーキを手土産にして、お婆ちゃんが育てた野菜を持ち帰るのが、お決まりになってました。
だけど、この日は何かが違っていました。外の畑も荒れ放題で、お婆ちゃんが大事に育ててたお花も、散ってしまってて。
そのお婆ちゃんも何時もなら、外で畑仕事をしてるか、家の中から野菜を切る音なり、何かを洗う音が聞こえてくるのに、静かで、何も聞こえなくって、嫌な予感がして。妹が扉を開けたら、お婆ちゃん、冷たく、なっていて。
……そういえば、お父さん、言ってました。最近あの山に『盗賊』が居着いたっていうから、一度町に降りてくるよう伝えてくれないか、って。……もしかしてお婆ちゃん、そいつらに……?

 少女からの(正式なものではないとはいえ)依頼を受けた彼女は、早々に『そいつら』の正体へと行き着いた。連中の名は飛蝗グラスホッパー。その名の通り、軽やかな足取りで素早く、人々の住居の尽くを荒らし、奪っていく。その跡には何も残らず、その足で次なる餌場へと飛び立っていくのだ。当然、このような行いは許しがたい。入念に準備を整え、彼女は今現在、彼らのアジトとなっている山……より正確に言うならば、その中腹ほどの地点にある洞窟へと赴いたのだった。

しかし、件の洞窟に近づいても、見張りの一人も見当たらないのだ。
隠れてこちらの様子を窺っているのかもしれない、そう思い一度足を止めてみるが、己が歩みを止めれば、草の音も止む。否、風の音が僅かに木々や木の葉を揺らすが、人の足音や息遣い一つすらも聞こえてこないのだ。
賊は皆、狩りへと出払っているのだろうか? 否、とある情報筋から、奴らは狩りに行くにも酒盛りをするにも、必ず外に見張りを置くと聞いた。それに、飛蝗の構成員は、たった一人を除き皆年若い男達だと言う。それにしてはあまりにも、あの暗く深い穴から活気が感じられないのだ。

先の少女の言葉を借りるようではあるが、『何かが違う』、そう思えて仕方がない。
それでも、老婆の命を奪ったのが彼等ならば。それ以上に、彼らが『賊』と呼ばれる存在であるならば、尚更、引き下がる訳には行くまい。

エダは、静かに拳を握りしめた。



 練達で用立てた暗視用ゴーグルを装着したエダは、洞窟内部を探索する。
そこには、燃え残った松明、スープの入った鍋、ひっくり返った皿、簡素に組み立てられたとおぼしきベッド等、人の居た痕跡は確かにあるのだ。
そこから人間だけが忽然と消えてしまったかのような冷たい静寂が、この場を支配している。

余計な音を鳴らさぬよう気を配りながらも、エダは洞窟の最奥部、その目前まで辿り着いた。ここに来るまで、終に誰にも行き合う事が無かったが、本当にここが飛蝗の根城なのだろうか?
否、途中の食堂とおぼしき箇所、その壁にデカデカと、連中の旗印が飾られていたではないか。ここが奴等の居所に間違いないのだ。

最後の扉にそっと耳を当て、気配を確かめる。……微かに、何かが動く音がしている。
ここに来るまでに余計な動きをした覚えはないが、エダの経験則から言えば、虫の知らせが働いたか、下っ端中の下っ端が、奥の奥、隅の隅に一人縮こまって隠れていることも往々にしてあるのだ。
だが、そんなことをしても無駄だ。【賊狩り】たる私を欺き通せると思うな!
意を決し、木の扉をぶち破る。

瞬間、人影が一直線に、彼女の元へと降りかかる。それは、ナイフを握った長髪の人影。勿論、不意打ちへの警戒を怠るエダではない。襲いかかってきたナイフを最小限の動きでかわし、お返しとばかりに容赦なく切りつける。ドサリ、と人影はあっけなくその場に崩れ落ちた。

並の賊、しかも下っ端程度に、今更遅れを取る等あり得ない。しかし、それにしては余りにも手応えがないのだ。
先程切り捨てた人物の正体を確かめようと、うつ伏せた人物の身体を仰向けへとひっくり返した。赤いバンダナを頭に巻いた、見目麗しい、ナイフ使いの茶髪の女。既に事切れている、この女の正体は。

「これが『お姫様』……?」

そう、情報屋が口にしていた、たった一人の例外。確か、彼女はこの団の事実上の首領と読んでもいい人物の筈だ。
やれ首領とは毎晩略奪した品を肴に酒盛りをしているだとか、やれ他の構成員とも懇ろになっていただとか、様々な話を聞いたが……そんな話は今はどうでもいい。
それよりも目を引くのは、彼女の身体。その顔からも窺える美しい肌に対して、四肢が醜く爛れており、腹だけが、異様に丸々と膨れているのだ。

四肢と言えば、彼女の手足にも、何か白いものが纏わりついている。触れてみれば、革の手袋にも粘っこくへばりつく、白く細い糸のようなもの。
振り返れば、先程エダが蹴破ったばかりの木戸、その裏側にも同様の物質がくっついている事がわかる。しかし、開けた勢いで千切れたのか、天からも、糸が何本も垂れ下がっていた。

それから察するに、恐らく何者かに四肢を拘束されたお姫様は、エダが扉を開けた勢いで、そのまま天井から降ってきたのだろう。
少なくとも、あの虚ろな目からは、明確な殺意を持ってこちらを襲ってきた風には思えない。
しかし、その天井にあるものは。

「……ッ!!」

彼女は絶句した。
まるで糸が服を着ているかのように、幾人もの亡骸が、洞窟の中に張り巡らされている。
下っ端の下っ端が切るような、植物の繊維を編んで作ったような服。中堅以上の構成員のみが身に付けることを許される、飛蝗が描かれた腕章。
そして何より、首領の特徴。どこぞより掻っ払って来たのだろう豪勢な装飾品が、肉なき手腕に通されていた。
大食らいの飛蝗共は、もはや見る影もなく、入り口から吹き込んできたのであろう風が、骨となった彼らをカタカタと揺らした。
だが、驚いてばかりもいられない。彼らを壊滅させたものの正体は、果たして何なのか。それを見極めなければならない。
それに、あの光景を見たエダには、もう一つ疑問が生まれていた。

他の者は欠片も残らず食われているというのに、何故お姫様は五体満足で拘束されていたのだ?
何故、彼女の亡骸はそのままに放置されていたのだ?

その時、ビクンと女王様の身体が跳ねた。エダは素早く得物を手に、彼女に向き直る。馬鹿な、彼女は既に息をして居ない。それはこの目で確かめた筈だ。

その時、ぶち、ぶちぶちぶち、と嫌な音を立てて、何かが女の血肉を破り出てくる。掌に乗るほど大きさの蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛。それが夥しく、エダの足元を埋め尽くしていく。

「ここは、飛蝗の住処なんかじゃない……!」

そう、ここは人食い蜘蛛の巣穴。
その中に足を踏み入れてしまったエダ。このままここにいては、嗚呼。

彼女の足は、出口に向けて駆け出していた。



 この洞窟も、そう深いものではない。これだけ出口に近づけば、外の光も見えてくる筈だ。しかし、何者かが逆光となり、外の日差しを阻む。

出口を塞ぐのは、黒光りする巨体。そこに母の胸に飛び込む幼児のように、子蜘蛛がわらわらと寄ってくる。事実これが母蜘蛛なのだろう、子蜘蛛とそれはとてもよく似ていた。

「このまま見逃して、くれないわよね……!」

お姫様を苗床へと貶めた女王様は、返事の代わりに泡立つ液を吐きかける。
彼らの蓄えだったのだろう干し肉が、ジュウジュウ音を立てて崩れていく。先程の彼らもあのように蛋白質を柔らかく溶かされ、骨になるまで食われたに違いない。

「こ、のっ……!」

エダが振り上げた剣は、鉄と鉄を打ち合わせたような音に弾かれる。彼女の腕よりも細い蜘蛛の足は存外に硬く、用意に斬らせてくれそうにはない。どちらも譲らぬ鍔迫り合いの末に、エダは後方へ飛び退く、が。

「あっ……!」

首に絡み付く、白い糸。子蜘蛛が母を守ろうと吐いたのか、それとも既に仕掛けられた罠だったのか。
そのまま、見えない力に引っ張りあげられ、からん、と剣を落としたエダは、宙へと垂れ下がり。ぎりぎり、締め上げられていく。

「く、ううっ……!」

首が絞まらぬよう、何とか首と糸の合間に指を滑り込ませるエダ。その指先に、赤い血が滞っていく。
宙ぶらりんのエダを追うようにフシュルルと音を立てて、蜘蛛は彼女の真正面まで上がってくる。硬い硬い足が、冷たく食い込み、その肌を傷つけ、肉へと食い込ませていく。じわり、服に朱が点々と滲む。
そして先程の一纏まりとは違い、今度は彼女の足目掛け、スプレー状に液を吹き掛けた。

「い、やっ……!」

当然、蜘蛛に囚われた彼女にそれを避ける術など無い。膝から下を中心に、衣服には焼け焦げたような穴が空き、瑞々しい下肢、その表面から水分が失われ、皮膚が爛れていくのがわかった。
ごく僅かに目にも飛沫が飛ぶが、それだけでも涙腺をひどく刺激し、直接これを目に注がれたなら、失明してもおかしくないだろう。

それに飽き足らず、蜘蛛は諦めろ、手を離せとばかりに、絞首に抵抗するその手の甲にまで、酸を足で塗りつけてくる。
手の甲にもじくじくした痛みが広がり、それと共に酸っぱいような焦げ臭いような匂い、そんな匂いを間近で嗅いでしまった事による吐き気、それがエダを襲うが、それでもこの手を離すわけには行かない。
だって、自分は見たじゃないか。この洞窟にいた女の末路を。この蜘蛛に出逢った者の運命を。

──まだ、仇を討てていないのに。その顔を思い出せてすら居ないのに、ここで果てるわけには、行かないのよ……!

蜘蛛の酸を少しでも避けようと身動ぎした時眼下に見えたのは、松明だ。そうだ、虫の弱点と言えばやはり火ではないか?
幸い、冒険者足るものとして、火口になるものは常に持ち合わせている。今は手が塞がっていて使えないけれど。

その時エダの肩口を、蜘蛛の足がじゅぷ、と抉っていく。苦痛に表情を歪めるが、剣と同等の切れ味を持つこの足だ、うまく使えば、この糸を切り落としてくれるのではないか?
機が来たのは、そう遠いことではなかった。蜘蛛が足を振りかぶったその時、エダはわざと身体を大きく揺すった。突然の事に蜘蛛も対応できず、狙いが逸れ。
首に糸のような細い赤を刻みながら、糸を切り落とし。地に落ちたエダは、晴れて自由の身となった。

だが急げ、時間はない。また捕まれば、二度と生きて地を踏めまい!

洞窟の壁に思いっきり器具を打ち付ければ、ちろりと小さな火花が飛び。例え小さな火花でも、燃えるものがあれば広がるのは容易だ。火花が糸まで至ったなら、張り巡らされた糸が導火線となって、洞窟中に燃え広がっていく。その上に立つ蜘蛛には、当然逃げ場など無い。

その隙に出口まで駆け抜け、はあ、はあ、と荒く息をするエダ。飛蝗の住処は、蜘蛛の巣窟から一転、地獄の釜へと変じたのだ。

その死の間際、火に包まれた蜘蛛はブルブルブル、と震え……キャヒ、と甲高い音を立てたきり、動かなくなった。
こうしてエダの飛蝗駆除……否、蜘蛛退治は終わりを告げたのだった。




「それは大変だったなあ」
「もう、他人事みたいに笑って。こっちは命懸けだったんですからね」

そんなエダの苦労話を、ナイジェルは笑い飛ばす。
件の蜘蛛退治から数日、エダの傷はすっかり完治し、こうしていつものように酒を飲み交わせるまでになっていた。

「で、結局、依頼人にはどう報告したのかね?」
「……一応、もう悪い人達は来ないよ、というのと、村に火を絶やさないよう伝えました」
「まあ、それが良いだろうなあ。君も蜘蛛には気を付けるといい」
「出来れば、二度と会いたくありませんけどね……」

そう言って、ふと天井を見上げたその時。端っこに居たのは、掌程の、黒い、

「ひゃっ!?」
「ん、どうした」

ナイジェルがそこを見上げた時に見えたものは、掌程に黒くかびた、雨漏りの跡だった。

「ああ……ここも建物が古いからなあ。一応、修繕を店主に勧めてみるよ」
「……お願い、します」

ああ、単なる見間違いか。そうやってほっと肩を下ろす女の背を。
カチカチ口を鳴らしながら、赤い瞳の子蜘蛛が一匹、じいっと、ずうっと見つめていた。

おまけSS『黒い未亡人』



生息地:不明(混沌各地に目撃例が少数ずつ)
全長:胴体部分だけで二メートル、足部分だけで三メートル……とされているが、個体差が大きく、詳細不明。
外見:赤い瞳を持つ、黒い巨体の蜘蛛。個体によっては背部に独自の赤い模様を持つと言う。

通称黒い未亡人ブラック・ウィドウ

この蜘蛛が君の住むすぐ近くで目撃されたなら、男も女もすぐに逃げるべきだ。何故なら、男は食い物に、女は産み腹にされてしまうから。

すぐに食い殺されるならまだいい方、糸で手足を縛ったり、視界を奪った上で、酸で肉を焼いたり、柔らかく溶かして食べてくるんだ。
場合によっては、首吊り状態や、逆さ釣り状態で息絶えるまで放置されるものもいると言う。

……とにかく、君が腕の立つ冒険者であったとしてもだ。一人で立ち向かおうとしてはいけない。
一人、運良く生き延びた女性がいると聞くがね。こいつのことは、まだまだわかってないことも多いのさ。

やれ、魔種だとかその配下だとか、練達が作った生物兵器だとか、門外漢も皆して好き勝手言っているからね。

ところで、お嬢さん。そのブローチ、素敵だね。まるでオニキスのような黒に、カーネルのような赤に……何よりもリアルなその造形。さぞ名のある細工師の作なんだろう。いいなあ、僕もいつか、こういうコレクションを家に……。

……ん、今それ、動かなかった?

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