SS詳細
遅々たる時、閑日の秋
登場人物一覧
「そうだ釣り、行こう」
昨夜、壮麗たる景色の中……
ではなく、おトイレの中で鈴音は呟いた。
なぜかって? トイレは友達だからさ。「清潔な便所でこそ静思出来る」と鈴音は立ち上がりながら独り言つ。
戦況を見極め、その場の最善を思考し、戦場で右へ左へと指示を出し駆け回るのは体への疲労もそうだが、精神的にもストレスが溜まってくる。そんなときに必要なのが、
「骨休めだネ!」
そう、それが昨夜の事。
体が大きく揺れるのを感じながら鈴音は考えていた。
「川に行くか海に行くか…湖という手もある」
こうしてタイミングよく都合よくいた行商帰りの馬車に乗せられているわけだが、決め難い。
その場の恣意で休日が台無しになっては元も子もない。鈴音の頭の中で戦場を離れても頭の中で思考が右往左往する。
「魚ォ!! 竿ォ!!」
「うわっえっビックリする」
「あごめん」
何を考えていたのか気になったのか、馬車を直進させる行商人に質問されたので、鈴音も気分を変えようかと思い簡潔に話す。すると行商人は穴場を知っているというのだ。景色も良く静かだそうだ。
日頃の行い? いや、便所効果だ。
やはり便所で出たアイデアは至高。行商人を放置して鈴音はまた一つ、便所への信頼度を独り上げていた。
教えられた場所に足を踏み込んでいくと、小さな渓流があった。
上流に湖沼でもあるのだろうかと考えながら、苔の生える足場に注意しながら進む。どうやら奥には小さな滝があるようで、落ち込みの所は特に魚が潜んでいそうな気配がした。川の中を覗き込んでみると、そこそこの深さがあり、魚の姿も確認できたが小さい魚ばかり見える。
鈴音は釣果を期待して釣りに来たわけではない。休日の時間潰しに釣りを選んだだけのことだ。釣れなくてもいいからダラダラしたい――そんな考えだ。荷物を置くのに適当な場所を探して辺りを見渡す。
ここに来るまでに生えていた木々で隠れるように流れる清流と瀑の音を聞きながら、釣りの準備を始める。
椅子! 帽子! 竿! エサ! よし!!
色々足りない気がするが、自由気ままな休日に細かいことは不要。大切なのは時と場所、そこでなにをするか、なのだから。
こんな場所に人はいない! エサをつけて周りを気にせずいざ投擲!(※竿を投げる際は必ず周囲に人がいないことを確認して周りに配慮しましょう)
ノベ竿の先から伸びた糸が飛んで行き、川の落ち込み部分へウキが落ちる。川の流れと共にウキが揺られて徐々に徐々に流さていくが、狙った場所からは離れないよう、鈴音も移動してノベを手元で調整。手頃な石で竿を固定して、折り畳みの椅子に腰を下ろすた後は、ゆっくり流れる時間の流れを味わうのみ。
渓流瀑に流れてくる木の葉は黄色や赤に染まったものが多い。
来る途中の木々に松かさが大きく実っていた。まだ種を飛ばしてはいないであろう松かさの状態を鈴音は思い出す。
「もうすっかり秋だ」
ということは、運が良ければアユや、湖沼から流れてきたウナギが釣れたりするのだろうかと、期待せずとも多少の想像が膨らむ。
腰を下ろしたままバッグの中を漁り、パンの入った包みを取る。
当初はこの世界の技術水準からバサバサのパンを連想したが、実際に食べてみると柔らかい歯ざわりと麦の香りが口一杯に広がって、十分に美味しいと言える物だ。パンを咥えながら懐から本を取り出して開いた。
頁をめくる視界にノベ竿の先を入れてはいるが、動きはない。歯で千切るように本を持つ手とは別の手で口からパンを離す。
大きな音もなく、揺らぎもない。止めどなく流れる細流は一定のリズムを刻んでいるようにも思える。
まだ空気も温かさを残しており、周囲を太陽が柔らかく陽差す。その心地のよさに自然とわだかまる疲れを追い出すように体が伸びる。
ほぅと息をついてから、またパンを咥える。
「釣れるかね」
釣れないネー。老いた声に、心の中で返答。
……。
「誰だお前!」
「おお驚かせてしまったか、すまんな」
魚籠を腰に付けた、腰の曲がった全体的に白い老夫が後ろで立っていた。鈴音は平静を取り戻して、振り返った体の方向を元に戻す。「太公望みたいな爺ちゃん」という感想は驚いた拍子に膝に落としたパンで塞ぐ。
「竿も場所も悪くないはずだがね、まあ運じゃな」
「良く来るん?」
岩の上に無造作に胡坐をかいてから「余生の暇潰しだ」と言ってウキもついていない竿を川に向かって振る。そんな暇潰し仲間の竿の先は、針が川に入ったと同時に大きく揺れ、沈む。鈴音が「え」と声をあげる前に胡坐をかいたままの老夫は力強く竿を引き抜き、自身の足元に落ちてきた魚を取って鈴音に見せた。
「今日は運がいいな」
その後もポツリポツリと細流の合間に世間話程度の言葉を交わしたり、焼いた魚を食べたり。悠々閑々の日は遅々と過ぎていく。
「この魚骨多くない?」
「文句言うな」