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ティフォンのグルメ
登場人物一覧
世界を崩壊より救え。
数多の世界より終結した英雄たちと肩を並べ闇に跋扈するデモニアたちに立ち向かい、奇跡と希望と冒険と浪漫に満ちたまさにパンドラの箱めいた物語――
の中で、ティフォン・テンタクルスは新たな困難に立ち向かっていた。
「滅茶苦茶、腹が――減った」
召喚こそされたがローレットには所属せず自分の暮らしを維持する者は多い。そもそもイレギュラーズという存在が『行動しているだけで希望の力を蓄える』というものであり、国家規模で後ろ盾ができているのもそれが理由である。ティフォンはどちらかと言えばそっち側の人間だった。
今日も海の魔物と戦い近海の平和を護り、八時間の定期労働と二時間ちょっとの残業を終えて、出張先のシャワールームで汗と海水を流してサッパリしたその後……夜静まった港町にひとりぽつんと立っている。
必死に働いている間はともかく、仕事が終わりかけた頃には肌がそわそわとしはじめ、残業タイムに入って暫くしたあたりで空腹を強く意識するようになるものだ。
さっさと終わらせてメシ食いに行くか、それともテキトーに菓子パンでもつまんでごまかしてしまうか。ティフォンは前者を選び、そして無事にその日の仕事を終えたのである。
「自由……」
金もそれなりにあり、夜遅いとはいえ時間にも縛られない。
同伴する相手もいない一人きりの食事は、まさに『自由』だ。
何を喰ってもいいし、どう選んでもいい。
その辺の商店で菓子パン囓って終わりにするには、この自由は尊すぎる。
「まずは、店を探すか」
拳をぎゅっと握りしめ、ティフォンは歩き出した。
そこそこに栄えている港町というのは、夜遅くとも飯屋には困らないものだ。
昼間からやっている定食屋は赤提灯を出した飲み屋に変わり、一方で昼間に寝ているバーたちは今こそ自分たちの時間だとばかりに看板やネオンサインを光らせている。
それゆえに大通りを歩けば、選択肢の山。もしくは海。
適当に木の棒とか倒して決めてもそれなりの店に行き着くことだろう。
だが、ここは尊き自由の晩餐。時間に追われて書き込む牛丼や付き合いで食う何かとは決定的に異なる、己の腹を己の意志で癒やす時間なのだ。
「雑には決めたくねえ。今の俺にピッタリくる、今喰うべき飯はなんだ……」
思わずもれた独り言に自分で頷きながら、ティフォンは夜の大通りを歩く。
漂うカレーの香り。カツカレーの美味い店がある。
頻繁に出入りするサラリーマン風の人々。一人焼き肉の店もある。
鰹出汁で作る美味いラーメン屋や、豚骨とチーズフォンデュを組み合わせた挑戦的なつけ麺屋もある。
牛丼のチェーン店。ハンバーガーの大手チェーン。カウンター越しにたこ焼きを焼き続ける店舗や、店頭に巨大なエビの天ぷらを飾る店。
エビ天オブジェの出来映えといったら凄まじく、見ただけで食感が蘇るようだった。できたての天ぷらを囓るさくりという感触と、今だ熱をもったエビのぷつりときれる瞬間。さっぱりとしてほんのり甘くさえある油が口の中に広がるのもつかの間、甘辛いタレのかかった白米を頬張る快感。隣にしれっとシジミの味噌汁が置いてあるのも素晴らしい。
「フッ、やるじゃねえか。俺に相応しい晩餐(ディナー)は決まった」
不敵に笑い、武将のごときいかつい顔で看板を睨み、そして店の扉へと歩き出――
「お待たせしましたぁ~」
「あっあの子可愛い」
ひゅぅーんと身体が勝手にターンし、店の裏手側にあるレストランにふつーに入ってしまった。
『俺に相応しい晩餐(ディナー)は決まった』とか決め台詞を吐いてから二秒もなかった。
「いらっしゃいませぇ~」
なんだかほっこりする笑顔のウェイトレスが振り返り、お盆を片手に微笑みかけてくる。
まあ、いいか。こういうのも。
店内には独特の雰囲気があった。
フロントが大きなガラス張りになっている以外は壁や天井を木の板で埋め、オレンジ色の温かい光を放つ電球と回転するプロペラ(シーリングファンという名前らしい)。
天井に伸びた回転する影を追うと、レコードディスクで古いカントリーミュージックが流れてきた。英語っぽい発音で『全ては過ぎ去った筈なのに涙が止まらないんだ』という意味の歌詞を感情豊かにうたっている。
案内されるまま席に着くが、壁に掲示されたメニューは驚くほど少なかった。
レストランと名乗ってこそいるが、書いてあるメニューはハンバーグとチキンステーキのみ。パンとスープがついてくるらしいが、詳しくは書いていない。
だが(可愛い店員目当てで入ったとは言え)食べるものに迷っていたティフォンには好都合だ。
目の前でポットからグラスに水がそそがれ、テーブルへと置かれる。
ご注文は? そう尋ねられ、ティフォンは……グラスを手に取り、まるでスパイ映画の主人公がワインを楽しむように小さく口をつけてから、店員の目を見て、ハンバーグを注文した。今日一番の美声で。
「かしこまりましたぁ~」
過去百万回は繰り返したかのような慣れた口調で店の奥へ引っ込んでいく女性店員。
ティフォンは天井に視線を移し、そして水をもうひとくちあおった。
店のレコードが『しみったれた小さな夢さ』と歌っていた。
思いだそう。飯を食いに来ていた。
そう心の中のティフォン(イケメン)が呟いたのは、目の前にハンバーグが運ばれてきた時だ。
鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる、こぶし大のそれ。
奇妙なのは、運ばれた白くてやや細長いパンと一緒に油絵用パレットのごとく四色のなにかが添えられていたことだ。
不思議そうに見ていたのが分かったのだろうか。店員は『お好きなバターを付けて下さいね』と言ってきた。
そう言われると気になる。
パープル、オレンジ、やや黄色が買った白と、黒いつぶのみえる灰色。試しに紫色のバターを千切ったパンにつけてみると、ブルーベリーの酸味と甘み、そして濃厚なバターの味わいが広がった。
と、いうことは?
オレンジ色のバターはやはりというべきか蜜柑のそれ。黒い粒状のものは、すりつぶしたゴマが混ぜられていた。白いものはどうやらプレーンタイプらしいが、それもまた深い味わいのバターだ。
ややゆるめに作られたバターらしく、マヨネーズをちょっと固くした程度の柔らかさでパンにすぐなじむ。
ならばハンバーグはとナイフとフォークを手に取ってみる。
切った感触は柔らかく、肉汁は少ないながらもぎゅっと締まった雰囲気が伝わってくる断面だ。
フォークで一口食べてみれば、その理由がわかった。肉そのものといったようなどっしりした味わいと食感。加えて時々刺激するビリリとしたスパイス。カプセル状の唐辛子が僅かに仕込まれ、それが肉の中で弾けるのだ。
その重みを休むべくパンにいき、そして思い出したように優しいコンソメのスープに口をつける。
無限にやっていられそうだと思ったところで、店員がバスケットを片手にやってきた。
「パンのおかわりをどうぞぉ~」
思わず、ティフォンは両手の拳を頭上高くに掲げていた。
覚えていたのは、そこまでである。
小鳥のさえずりに目を覚ますと、ティフォンはパンイチでビルとビルの間にあるなんか狭い隙間に挟まって寝転んでいた。
苦労して起き上がり、腰にてをやるとパンツのスキマにくしゃくしゃになった領収書が挟まっている。
そっと取り出し、それが酒場でアホほど呑んで喰ったためのツケであることを知る。
「……やっちまったな」
どうやら名店発見の喜びがテンションをふりきらせ、二件目三件目とバーをはしごしてしまったらしい。
今月の稼ぎは全部ふっとんだに違いない。近いうち、ローレットで依頼をみつくろって金をつくらないとヤバそうだ。(現にいまパンツを覗いて全部もっていかれた)
だが、気分は悪くない。
金を作ってバーにツケを払い、そしてまたあの店でハンバーグを食おう。チキンステーキを試してみるのもいい。
「人生に希望があるっていうのは、いいもんだぜ」
どこかニヒルに笑い、そしてティフォン(パンイチのイケメン)は大通りへと出た。
女性の悲鳴があがった。
またやっちまったな。