SS詳細
赤黒い刃へ、触れた想ひの底根
登場人物一覧
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白い背景に静かな風が吹きサラサラと桜が舞い踊る。
そこに在る事が当然で、そこに在る事が必然で……そこに在る事こそが存在意義で。
その桜の元で眠るのは──。
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「さてと……こんなところッスかね」
場所は
その後日とも言うべき日程で鹿ノ子の妹である『二律背反』カナメ(p3p007960)と会う約束も豊穣でしていたのだ。
「カナのやつ、僕に気を使って豊穣で待ち合わせしなくても良かったのに……」
カナメはいつも自分を優先的に考えてくれる。それはカナメ自身がどうなっていようと、だ。例えば丁度一年前ぐらいにカナメがあんな事になっているだなんて、鹿ノ子はギリギリまで知らなかった。
(あの時はいつも賑やかなカナの様子がおかしくて勢いで追ったッスけど……あれはいつからだったんスかね……)
鹿ノ子はふとあの時の事を思う。突然姿が見えなくなったかと思えば、あの明るい彼女が海に向かって歩みを進めていた姿には今でも肝が冷える。
止めに行ったとてゆらりと立ってるのもままならない程酷い有様だった。
その原因が亡霊だと知った後も必死に呼びかけ、彼女も必死にもがいたからこそ今がここに在る。
改めて考えれば酷い出来事だったと鹿ノ子は自身の肩を抱きながら振り返った。
(あの時は本当に怖かった……だってカナを本気で失うかと思ったッスからね……)
そんな事になるだなんてあの時の鹿ノ子では想像すら出来ていなかった。だってあの時は……別の事でも頭がいっぱいだったから。……だから。
だけどだからってカナメも失っていい存在なんかではない。なんて言ったって同じ日に同じ場所で生まれた唯一無二の存在……その片割れを失うだなんて想像する事自体したくもない。
そんな恐ろしい事……出来るはずもない。
(本当に僕は馬鹿ッス……自分の事ばかりで……っ)
どんな時でも味方でいてくれて、大袈裟な程に大好きと言ってくれる妹にほんの少しだけ安心していたのかもしれない。こんなに大切な存在を失うわけがないと。
だけどそんな事……あんな事があってどうして思えるだろう。あの時から鹿ノ子はカナメが気がかりで仕方がない。
カナメに自分の他にも誰か傍に居てくれる存在が居たなら、まだここまで心配していたかどうか自身ではわからないが……少なくとも鹿ノ子はカナメの交友関係には詳細ではない。
カナメもカナメでいつも明るく元気で時々生意気で……鹿ノ子の事を大好きと言うばかりで、いわゆる
(もしかしたら僕……カナの事、あんまり知らない……ッスか?)
そう意識した瞬間、彼女はふと寂しさで包まれた。双子なのに……と、妹の深層にあるものを自分はわかっていないかもしれないの事に打ちのめされそうになる。
(いや、まぁ……僕から聞いてないッスし、聞いたら話してくれるかもしれないッスし……っ)
カナメが自分に心を開いてないだなんて……思いたくもないし、そうじゃないと信じたい。
そう思っていたところで漸く待ち合わせ場所である茶屋に辿り着いた。
「……あれ?」
茶屋に着いてすぐカナメの姿を見つけたが
「ん〜……むにゃ……おねぇちゃ……ん……むにゃ……」
「……もうっ、待ちくたびれたんスか? ぐっすりスヤスヤしちゃって……」
こんな所で寝ていたら風邪を引くのもそうだし、何より少女がこんな多くの人目につく場所で寝ているなんて……悪い人間に狙われてしまわないかと鹿ノ子はため息をつく。
「さっきまでカナの心配してたッスのに……こんな呑気な寝顔晒されるとそんな心配も笑われてる気分ッスよ……」
鹿ノ子は不満げに自分と似たマゼンダとシアンのカナメの髪に触れる。穏やかならそれでもまぁ良いかと思える程に彼女は幸せそうな寝顔で。だからため息をついた事にだって鹿ノ子は馬鹿馬鹿しくなってしまう。
「カナに暗い顔なんて似合わないッスからね……」
ずっとあの激しく明るい……元気でほっとけない彼女であって欲しい。自分の事をあんなに激しく大好きと言ってくれるのは大袈裟ではないか? と考える事もままあるが、しかしあれはあれで鹿ノ子にとって
いつの間にか
(もう亡霊なんかに苦しんでないみたいッスけど……カナは溜め込むところがあるみたいッスからね、ちゃんと見ておかないと……)
去年の今頃は自分の事で手一杯だったが、今はそれも少しずつ……ほんの少しだけかもしれないけれどなんとか他へも視野を広げられるようになった。だからこそ思えるようになったとも言える。いや、あの時の事があったからこそ他の事へ余所見を出来るようになったかもしれないが、ちゃんと落ち着けるようになったのはきっと最近だ。それでもここ最近も不安に思う事はある。でも大丈夫だって言い聞かせたい。言い聞かせなきゃ……きっと大切な人を守れないし、傷つけてしまうかもしれない。
鹿ノ子が思うのは自身の記憶への不安だろう。眠る度に削り取られてしまうような感覚……朝が来たら何かが抜けてしまっているのではないかという恐怖……だから。だから鹿ノ子は最近満足に眠る事が出来ていない。傍から見ればカナメの心配を出来る余裕は無さそうに見えるのだが、それでも姉らしく唯一の肉親である妹を彼女が心配しないわけが無いのだ。かの琥珀の瞳に焦がれていても、彼以外にも大切な人はいる。
例えばそれは目の前でスヤスヤと眠る双子の妹のカナメ。
例えば召喚後に関わってきた
例えば──。
(あれ?)
そこでまた、何かが抜け落ちてしまっているのではないか? と言う不安に駆られる。何故かは……思い出せない。嗚呼、嗚呼……何だっただろうか。この何とも言えないモヤモヤはまた鹿ノ子を眠りの国への安寧の道を閉ざそうとする。どうしてこうなってしまったのだろうか。
●
「ん?」
悶々とする鹿ノ子の視界にふとカナメの腰に備えられている刀が目に入る。確かカナメはその刀を百華と緋桜と言っていただろうか。いつも目にしている刀ではあったが今日はなんとなくいつもより気になるのはさっきの心配事のせいだろうか。
(緋桜の方は……確か亡霊がいたって言ってたやつッスよね……?)
カナメからは亡霊は消えたと聞いていたし、あれから不安な事は何も起きていないし……だから特段気にする必要も無いに違いない。……違いないはずなのにどうしてだろう。こうも気になってしまうのは。
(またあの亡霊が中に居るだなんて事は……いやでも、あの時消えたのをちゃんと僕も見たはずッス。だから……だから……大丈夫……な、はず……)
だってカナメはこんなに穏やかに眠っているんだから。だから……気にする必要なんてない。そう思いたいのに……鹿ノ子は気づいたらその緋桜へ手を伸ばそうとしていた。
(……これは、ただの確認……ッスよ)
触って解る事でもないだろうが、鹿ノ子はもう気になってしまったから。
刀に──触れる。
「へ……?」
瞬きの間、そこは暗黒。
先程まで豊穣の人で賑わう茶屋に居たはずだと言うのに、その影すらも見当たらない真っ暗な闇だ。
「ここは、何処ッスか……?」
あまりにも暗いから、鹿ノ子の声が震えた。不安で仕方がなかった。ここが何処なのか……早く知りたかった。
──ダレ。
「?!」
ふと暗闇の中で声が響く。それは先程まで傍で寝ていたカナメのものでもない。聞いた事のない声だった。
「そ、それは僕の台詞ッス! あなたは誰ッスか? こ、ここは何処ッスか?!」
震えながらも鹿ノ子は勇気を出して暗闇へ問う。こんな事になったのは確か緋桜に触れたから。だからきっとこの空間は……緋桜に関するものなのだろう。彼女は冷静さを手繰り寄せながら暗闇からの声を待った。
──ジャマ、モノ……カ?
「邪魔者って……。っ、カナは何処ッスか?! 僕の傍で眠って居た双子の妹のカナメは……っ!!」
だんだん緊張が解かれて、ここには暗闇と自分の気配しかない事に気づけるようになった。だから少し強気で聞く。自分だけがここに取り込まれたのかもしれないが……もしかしたらカナメも巻き込まれているのでは? と。
──近ヅクナ。
「へ?」
暗闇がそう言った瞬間景色が変わる。
「な、な……んスか……こ、こ……」
真っ白な背景に緋色の桜が咲き誇る。その花は釣り鐘のように下向きに咲き、やや小ぶりな一重に咲く花だが同時に複数の花を咲かせる冬桜。サラサラと揺れるそんな桜に見惚れて上を向いていた鹿ノ子だったが、ふとその根元を見てぎょっとした。
「なっ……」
そこに居たのは──カナメ。
「ちょ、カナ! 何してるッスか?!」
鹿ノ子はカナメに慌てて駆け寄る。彼女が慌てるのも無理もない、何せカナメはその桜の根に縛り付けられながら眠っていたのだから。
「カナ! カナッ!! 目を覚ますッス!! なんでこんな!!」
鹿ノ子のような
それでも特異的と言うべきはやはりカナメの寝顔が
「な、なんなんスかこれ……っ、い、今助けるッスよ、カナメ!!」
鹿ノ子は自らの腰元に備えていた太刀に手をかけた──その瞬間。
──近ヅクナ。
「?!」
鹿ノ子の足元に突如桜の根が巻きついた。
──近ヅクナ
──近ヅクナ
──近ヅクナ!!
──少女ハ、渡サナイ!!!!
「ぐ、ぁっ?! 待っ……カナメーーーーっ!!!!」
暗闇の時に聞こえていた声に合わせて鹿ノ子の足に巻きついた根は激しく動き、その勢いのまま彼女を強く吹き飛ばした。
──その際、その狭間でふと見えた桜の木の枝に留まっていた紅雀が、やけに鹿ノ子の目に焼き付いた。
「──ッハ!!」
気づいた時には元いた場所である茶屋に戻っていた。息が酷く乱れ、冷や汗が激しく吹き出して……鹿ノ子は自身の肩を抱く。
「……今のは…………」
「……ん? お姉ちゃん……?」
「カナ、メ……?」
「え、ど、どうしたの?」
そこに居たのは酷い顔をした姉の姿。先程まで眠っていたカナメにとっては、自分が眠っている間に何かあったのかと酷く驚いていた。
「な、何でもないッスよ!」
そんなカナメの反応を見て鹿ノ子は咄嗟に何事も無かったかのように装った。
「そ、そう? お姉ちゃんがそう言うなら……」
本当は気になるけれど、でもお姉ちゃんがそう言うなら。カナメはいつもそう言って笑顔を見せてくれる。一方で鹿ノ子はこの壮絶な体験に打ちひしがれていた。
(……自分は自分の事ばかりに精一杯で、大切な片割れの事を何も理解していなかったんス……ね……)
鹿ノ子はカナメを信じたかった。でもこれはカナメの反応を見る限り
(……このまま放っておくわけにはいかないッス、よね?)
これは間違いなく緋桜によるものだと確信した。だがだからと言ってどうすればいいかはわからない。それにあの夢幻の中のカナメは苦しんでいるようには見えず安らかに眠っていたのも気にかかる。
謎はどうしようもない程に山積みだった。
(大切な人をこれ以上失わない為に、も……)
そこでふと鹿ノ子は自分の言葉に違和感を覚えた。
(……これ以上? 僕は、誰を失ったのだっけ……?)
嗚呼、嗚呼……こんな時にまた不安が募る。誰かを失っているのは覚えている。
──ただ、誰ダッタダロウ。
「お姉ちゃん? やっぱり変だよ? 何かあった?」
「い、いや……大丈夫ッス! ……ほら、お腹すいたんッス! カナがグースカ寝てるからずっと待ってたんスよ!」
「え?! そんな、起こしてよー!?」
カナメは言われて顔を覆って。嗚呼、これでいつも通りだ。
鹿ノ子はその雰囲気に安堵しながら密かに想いを燻らせた。