PandoraPartyProject

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会捨聶離

登場人物一覧

鹿ノ子(p3p007279)
琥珀のとなり
鹿ノ子の関係者
→ イラスト
鹿ノ子の関係者
→ イラスト

 そのやさしさが、今は酷く恨めしかった。


 燦々と煌めく太陽、降り注ぐ陽光。世界は残酷だ。それ以上に美しい。誰かの慟哭も誰かの怒号も聞き届けてくれはしない。それがこの愛すべき混沌のしくみ。
 荷物を片付けた。はやる心臓を押し殺して、いつもを取り繕えばきっと元通りになるはずだから。漠然とした不安ならば今はまだその時ではないという事。誤魔化しが効く範囲ならば自分をもごまかせばいいのだ。そうやって脆くなっていく内側には、目を逸らして。
 いつもと同じを装った。高く結ったツインテール。二色の揺れる髪。朝八時、配達の報せ。
 家の中はまだ汚くとも、いくつか無事なものをあり合わせれば上々、人前にでる『最低限』だけは形作ることが出来るから。
「お届け物でーす」
「お疲れ様っスよ!」
 溌剌な笑顔。口角を上げて。笑顔を貼り付ければ。ほら、一級品だ。少なくとも、前に在った葛藤も発狂も、誰一人知ることは無いだろう。
 なんてことない報せ。手紙とちらしと新聞、それくらいだ。ただし、送り主は――

「――天姉と、命姉から?」

 懐かしき姉たちからの報せ。あたたかで見慣れた文字の羅列。きっと彼女たちも元気なのだろうし、そうでなくともきっとうまくやっているに違いない。そんな気がする。
 部屋に戻って開けてみよう。
 真っ赤な封蝋の奥に込められた優しさは、きっと、懐かしいものだから。


 一般教養、とまではいかなくとも、最低限のマナーとしていつかのときに貰ったのであろうレターナイフは、いつ使ったかもいつ買ったかも何一つ不確かだけれど、ただ紙を開くためだけに今は存在していた。もう何が記憶の無いときに、あるいは故郷から持ってきたものであるかもわからないから、せめて冷静でいられるこの瞬間だけは何もかもを利用して己を冷静たらしめんと努力する。
 その丁寧な頼りはまるでレターナイフで切られることを予想していたかのように小ぶりな便箋に書かれていた。二種類の色が見える。きっと二人分の便箋なんだろう。二人だというのに少し分厚い気がして、きっとそれだけ愛されていたのだろうと思うと笑みが零れた。

 ――
 ――――

 命子です、こんにちは。
 お元気ですか? 最近は少し寒くなってきましたから、ちゃんと温かい格好をして、風邪を引いたら安静にしてくださいね。
 鹿ノ子ちゃんは頑張り屋さんだから、困ったらいつでも頼ってくださいね。私も、天子も(あの子はまだ素直には言えないけれど、)いつだって頼ってほしいと思って居ます。
 最近は冷えてきたから、やっぱりあったかいお洋服が必要だと思って居るの。幻想にはあたたかいお洋服を売っているお店がたくさんありそうね。近いうちに案内を頼んでみようかなんて思っているけれど、やっぱり忙しいかしら――

 ――――
 ――

 命子から届いた手紙は、鹿ノ子を気遣う内容のものが多かった。
 心優しい姉からの手紙、几帳面なその内容。丁寧な文字と、そこから伝わる優しい想い。
「もう随分と会ってないッスねぇ、一度くらい顔出しに帰るッスかねぇ」
 ふと笑みが零れた。遠くに居ても心はつながっている。それはきっと、琥珀の彼だけではなくて。
 その事実をただひたすらに噛み締める。嬉しい。幸せだ。
 最近は顔を見られていないから、ちゃんと計画立ててそのうちひょっこりかえってみよう。困った顔をして笑うかもしれないけれど、きっとそれ以上に会えたことを喜んでくれるはずだとわかっているから。
(お土産はなにがいいっスかねえ……)
 甘いものが良いだろうか、それともご飯のおかずになるような漬物のようなものが良いだろうか? 何にしたって喜んでもらえるだろう。お土産は手荷物一杯にならないようにしなくては。きっといつかあるである未来の妄想。楽しくて、幸せで、夢心地で。
「会いたいなぁ……」
 自然に浮かんだ笑顔。懐かしき思い出。陽だまりのようなあたたかなかいな。きっとそのどれもが、己を愛してくれる姉からの愛だろう。
「天姉からは……どれどれ」

 ――
 ――――

 天子よ。まぁあんたなら字でわかるでしょうけど。
 イレギュラーズってどうなのよ。仕事とか忙しいんじゃないの? あんまり無茶したりするようなら今すぐに連れ帰ってやるからね。
 怪我とかには気を付けて過ごすのよ。大けがなんかしたら許さないんだからね!!
 それはそうと、最近おいしい苺ジャムを貰ったから、同封できるようにしておいたわ。一緒に小包が届いてるはずだから、ちゃんとありがたく味わいなさいよね――

 ――――
 ――

 郵便配達の際に届いた小包。袋を開けてみれば、苺のみならずたくさんのジャムが届いていた。きっとそれも愛の証だろうか、照れもこみあげてくる嬉しさもきっと今だけは鹿ノ子だけのもの。
 きっと悪いことばかりじゃないはずだと。進んでいく未来は困難があろうとも幸せだってあるはずだと。そう、願っていたけれど。


 ―――― ご主人の行方は、あれからどう? ――――

「ごしゅ、じん?」

 その文字の意味を理解するまでに、数分の時間を要した。
 そうだ。もともと自分が豊穣へ赴いたのは、魔種と化したご主人がバグ召喚に巻き込まれたと聞いたからであって、色恋に弄ばれるためなどではない。
 けれど今の自分は? ご主人を探していたあの日の自分のままだろうか? それはもちろん、成長だってしている。それはいいことだ。けれど、抱いた恋心は。触れた温度は。戦いの傷は。想い人との誓いは。今は最早あの日の自分とは違う。ご主人を見つける為等ではなく、ただ想い人たる彼の為に。彼の力になるためだけに、豊穣の依頼をたくさん受けている、自分は。
「……そんな」
 言い訳をするわけじゃない。本来の目的を忘れていたわけではないが、いつの間にか自分の中で優先すべきものが変化していた、ただそれだけのことだ。ご主人から、彼に。その変化は恐れるようなものなどではない。それは、第三者から見ればのはなしだ。
 自分にとって一番大切な存在はご主人だったはずだったのに。イレギュラーズに覚醒したときも『これでご主人を捜し行ける』と喜んでいたのは記憶にあ新しい。
 それだというのに。
 時は動き褪せて、まるでそこに置いて行くみたいに、すべては思い出になっていく。時計の針と同じ速度で走り続けるには、いくつかの代償が必要だ。そしてその代償は、ご主人への想い。見つけなければいけないという心。代わりに、彼への恋心を得た。
 端的に言うならば。
 ご主人を一番に思っていた自分は、もうどこにもいないのだ。
 我武者羅に走り続けた。真っ直ぐに、ただ一生懸命に走り続けた。
 結果として、ご主人が一番で、ご主人のためならばなんでもできた自分等もう空想に過ぎない幻になっているのだ。
 その事実に気付き、呆然と立ちすくむ。
 もう、あの日々は。あの想いは。戻ってくることは無いのだ。
 言い訳にしかならない。ご主人よりも、彼を選んでいたのだ。
 手から便箋が零れ落ちる。頽れた鹿ノ子。
「僕は、僕は……」
 変わっていくことが怖い。
 変わってしまうことが怖い。
 変わっていくのを止められないことが、怖い。
 彼を想う心は何一つ間違いはなくて、ご主人を大切に思う気持ちだって間違いなんてない。そうだ。それはわかっている。ただ、優先順位をつけたときに、優劣をつけたときに、何一つ揺らぐはずが無かったご主人という存在をないがしろにしてまで動ける自分が存在するということが信じられないのだ。
 それほどまでに、特別になってしまったのだ。
 恐ろしい。怖くて怖くて怖くてたまらない。震えを抱いてくれる手も、優しいメロディも何一つない筈なのに。
 彼との思い出を確認する。四季の旅路、琥珀のブレスレット、花浅葱の髪飾り。彼がくれた神威風雅な匂い袋。どれもどれもどれも壊すことが出来ず、散らかった部屋の中で数少ない無事なものだ。
「どう、して」
 彼の姿を模したぬいぐるみも、またその一つだ。他のぬいぐるみはぼろぼろになっているのに。
 嘘だ。
 心の声か、零れ落ちた声かはわからない。
 嘘だ。
 信じたくはなかった。壊せると信じたかった。
 嘘だ!
 頭から掴み上げて、床に叩きつけようとする。けれど。
「……っ、ああ!!」
 できない。そんなこと、できるはずがない。
 頭を撫でて、口付けて、抱きしめて。泣けるはずがないのに、心は酷く悲しくて、でも嗚咽なんて出るはずがなくて。
「どうして、どうしてなの……」
 変わらないもの。きっと、時間がたっても色褪せないはずだと思って居たのに。
 いとも容易く変わってしまった己の心。一番でなくなってしまったご主人の存在。
 空っぽのこころ。傷付いて壊れそうな感情。酷く痛む頭。そのどれもが鹿ノ子を馬鹿にするように笑う。笑う。笑う。
「うるさい、うるさい、うるさいッ!!!!」
 首を横に振っても、声高に叫んでも、ありもしない笑い声が耳に張り付いて離れない。
 そんな鹿ノ子を嗤うように、どこかからオルゴールの音色が聞こえた気がした。

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