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誇らしき日々 ~僕が僕になった理由~

登場人物一覧

杜里 ちぐさ(p3p010035)
明日を希う猫又情報屋

 人と妖の間に横たわる溝は広くて深い。
 近くて遠い隣り合わせ、寄り添いながらも触れ合うことは叶わない残酷な距離。
 それを思い知ったのは猫としての生を終え、猫又として生まれ変わった時か。
 あるいは大好きだった飼い主が天寿を迎え、あの世へ旅立ってしまった時か。
 妖怪として生まれ変わること。人間のまま旅立つこと。
 両者の間には越えがたい断崖がこの世の摂理として存在していることを幼かったちぐさは知り、そしてほんの少しだけ大人になった。

 猫又として歩み出してから早四十余年、パパと慕った飼い主の死を看取って、いよいよちぐさは独りになった。
 先にママを亡くしたパパはそれでも日々を懸命に生きていたが、寄る年波には勝てぬもの。天寿を全うして眠るように息を引き取った。
 弟として面倒を見てやっていた(つもりの)坊っちゃんもとっくにいない。いつの間にか大人になっていた彼は立派に独り立ちしていたから。
 彼もまたかつてのパパとママのように家庭を築き、子を育て、いつか旅立っていくのだろう。ひょっとしたらその中には自分と同じように寄り添う者もいるかもしれない。
 人間ならばいつかは訪れる巣立ちと別れ、それだけの話だ。
 しかし悠久を生きる妖怪となったちぐさにとっては、忘れがたく埋めがたい喪失でもある。

 住む者がいなくなりすっかり侘びしくなったかつての家を後にし、ちぐさは孤独感を抱えながらぼんやり生きていた。
 猫又となった自分の姿は彼らには見えなくとも、見守っていればちっとも寂しくなかった家族の姿は、もうどこにもない。
 これからは一匹の猫又として独り悠久を生きることになる。あるいはこれこそが妖怪としての巣立ちの時……なのかもしれない。
 だけどどうにも根っこが幼いちぐさには、その別離をすぐには受け入れられそうになかった。
 心が幼ければ見た目も幼い彼を日常に繋ぎ止めていたのは、同じ妖怪の先輩たち。
 彼らもまたそれぞれの理由で妖怪として巣立ち……中にはちぐさの境遇にも理解を示す者もいたからこそ、かろうじて寂しさを忘れさせてくれていた。
「よう、猫又の坊や。今日もぼんやりお出かけかい?」
 そんな日々の中、そうして声を掛けたのは背に黒翼をそなえた、ちぐさより幾分も年嵩の男。
 彼の姿を認めてちぐさの表情がぱっと明るくなり、元気良く挨拶を交わす。
「あ、天狗のおじさん! こんばんは!」
「おう、こんばんは。今日もいい逢魔ヶ時だねぇ」
「おじさんもおでかけしてたの?」
「こちとら元より根無し草の風来坊よ。カラス共の噂話をあちこちで聞いてきたんだ」
「わぁ……聞かせて聞かせて!」
「おうおう、わかったからそう急かすない」
 そう言ってここではないどこかの土産をくれたこの男は、ちぐさよりもずっと大昔に妖怪になったカラスであるという。
 元がカラスであるためかいつもあちこちを旅していて、たまに出会ってはこうして土産話も聞かせてくれる。
 そして全国を旅する大先輩だからかちぐさのような幼い妖怪の扱いも心得たもので、ちぐさにとっては大好きな妖怪仲間の一人だった。
「今日はどこのお話を聞かせてくれるの?」
「そうだなァ……伏見は千本鳥居にある妖怪村の話でも――」
「伏見! 僕しってるよ! 狐様のお友達がいる――あっ」
 そこまで言って思い出したように言葉を区切ると、興奮に揺れていた耳としっぽをしょんぼりさせながら視線を落とす。
「なんでぇ、どうしたい猫又の坊や」
「えっとね、僕今日も狐様のとこに遊びに行く約束があったんだ……」
「おっとそうかい、なら土産話はまた今度だな。……あ、そうだ。お狐様に会いにいくならこれも持っていってくれよ」
 そう言って手渡されたのはいなり寿司の入った折り箱。言うまでもなく狐様の大好物だ。
 曰く妖怪村で知り合った妖怪からの餞別であるという。稲荷に連なる者なら垂涎間違いなしの代物だとか。
「ちゃあんとお使いできたなら、今度ゆっくり聞かせてやるよ。それじゃ、御狐様にもよろしくな!」
「うん! またねおじさん!」
 重大な任務を請け負い、可愛らしい敬礼を返しながら天狗を見送るちぐさ。
 そして最初のとぼとぼ歩きはどこへやら、一転してるんるん気分でお狐様の住まう神社へと向かって行った。

「狐様ー! こんばんはー!」
「よう来たのちぐさや。ま、入りゃ」
 街の片隅にぽつりとある寂れた神社。そこを棲家とする狐様――稲荷様の一柱は、ちぐさにとって最も尊敬する妖怪の大先輩だ。
 街の妖怪の誰よりも長生きな生き字引きで、猫又になって間もないちぐさに妖怪のいろはを教えたのも狐様である。
 言うなればちぐさにとっては先生にあたるだろう。猫又になって数十年を経た今でも足繁く通い、いろんな話をねだっていた。
「これ、天狗のおじさんからのお土産だよ! 伏見のいなり寿司だって」
「ほほ、こりゃ我の大好物よ。善き哉善き哉、あの小僧にも我が礼を言っていたと伝えておくれ」
「うん! それで、今日はどんなお話を聞かせてくれるの?」
「ふむ、そうさな……では今より四百年は昔、まだこの辺りが荒れ野だった頃の話じゃ――」
 狐様の昔話はちぐさが生まれるよりもずっと前、それこそ今の十倍も二十倍を生きるよりも大昔のことが多い。
 それを見てきたように話す狐様の語り口にちぐさは想像を膨らませ、見たこともない景色を脳裏に描くのが大好きだった。
 そしてちぐさの見てきた景色と違う部分や、今はもう失われてしまったモノを語り合い、そのうち世間話に転じて頃合いになったらお開きだ。
 果たして今宵も程々のところでお開きの空気が流れ出し、狐様がのんべんだらりといなり寿司をぱくつきながらちぐさを見遣って、ふと思い出したように呟く。
「……そう言えばちぐさよ。貴君は己が猫又であることに誇りを持っていないようじゃな」
「え? なんで?」
 突然の咎めだてに頭いっぱいに疑問符を浮かべるちぐさ。
 そんなちぐさに狐様は如何にも神妙そうな顔をして続ける。
「うむ……それというのもじゃ、猫又とは本来猫が長き年月を経て尾に妖力を溜め、深い情や縁を以て成る妖怪よ」
 それはそうだ。他ならぬちぐさも大好きなパパやママ、坊っちゃんへの愛情がために猫又へ成ったものだから。
 だけどそんな当たり前の話を今更して、狐様は一体何が言いたいのだろう……そう訝しむちぐさに、狐様は尾の一本で口元を隠しながら、目を細めて。
「故に、かつて猫であったことを誇るように、普通語尾に「にゃ」をつけるものなのだがのう……」
 至極真面目くさったような声音でそう宣った。無論、嘘である。
 長く生きてきた狐様、しかしその性根は存外悪戯好きで、目の前の幼子をなんとなくからかってみたくなっただけのこと。
「えっ!? 僕は大切にされてたし幸せだったよ!? あ……だったにゃ!」
 一方ちぐさは未だに純真無垢そのもので、他ならぬ狐様の言うことだからと素直に受け止めてしまった。
 心底驚きながら早速「にゃ」を付け足したあたり、だから可愛くて堪らぬと狐様は隠した口元を大きく歪めた。
「ッ、くく……う、うむ。に、似合うておるぞ……! まさしく誇り高き猫又の姿よ……っ!」
「ほんと!? じゃない、ほんとにゃ?」
「われ、きつねさま。きつねさま、うそつかない……ッククク……!」
 嘘である。最早隠す気も無いくらいに唇の端から性根が漏れていた。
 だけど素直なちぐさはそれに気づかず、得意げに「にゃ」を語尾に付け足して満面の笑みを浮かべていた。
「さ、さて……そろそろ夜も更けてきたわ。貴君もそろそろ帰るがよいぞ……」
「あ、ほんとにゃ。それじゃあ僕は帰るにゃ、狐様またにゃ!」
「~~~~~ッッッ!!!」
 そして帰りを促すと、喜色満面にそう言って手を振りながら帰っていったちぐさを見送って。
 狐様は最早辛抱堪らず尾に顔を埋めて床を叩くと、ひとしきり堰を切ったように笑い転げた。
「は、反則じゃろあれ……!!」

 それからというもの、ちぐさは常に語尾に「にゃ」をつけ、出会う妖怪仲間を驚かせていった。
 誰もが最初は目を丸くするものの、ちぐさが誇らしげに言うものだから思わず「似合ってるよ……?」などと言ってしまい、ますます勘違いは加速していく。
 天狗のおじさんだけはなぜか遠い目をしていたけれど、ちぐさが首を傾げれば「……おう、そうだな」と呆れ半分微笑ましさ半分で頭を一撫で。
 かくして狐様の嘘はちぐさにとって真となり、今日の猫又ちぐさに至るのだった。

 同時にちぐさの様子が目に見えて明るくなっていたのは、果たして狐様の狙いだったのか否か。
 それは狐様だけが知っている――。

  • 誇らしき日々 ~僕が僕になった理由~完了
  • NM名ふーじん
  • 種別SS
  • 納品日2021年11月06日
  • ・杜里 ちぐさ(p3p010035

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