SS詳細
シュガーポット一匙分の悪夢
登場人物一覧
ルブラット・メルクラインが廃教会を訪れるのは珍しい事ではない。
幻想外れの廃教会に住む者はその大半がルブラットの情報屋だ。少なくとも、彼自身はそのように定義している。
世界の真実を最初に掬いとるのは最底辺に住まう者たちで、混沌について知りたいことがあれば、ルブラットは先ず廃教会へと赴いた。
『先日から国全体が浮かれているのは何故だ』
『ファントムナイトが近いからだよ。魔法の夜さ。なりたい姿になれるんだ! それにお菓子だっていっぱい貰えるんだぜ』
『そうか。私は私以外になど成りたくもないが……待て、菓子だと。何故、そこで菓子が出てくる? ハロウィン?』
常識のすり合わせと情報の返礼として、彼は廃教会を寝ぐらにする者たちへの援助を欠かさない。
医療行為(主に瀉血)や食料配給(主にパン)といったそれは、円滑に情報を得るための手段でそれ以上でもそれ以下でも無い。
しかし、こういった祝祭の日には必ず彼らの元へと足を運んで共に祝おうとするルブラットの生真面目さを、廃教会の者たちは愛していた。
カゴいっぱいに盛られた砂糖やバニラの甘い香りが金平糖のように夜道に零れる。
瀉血を行った帰り道に何度か警邏に呼び止められ厄介な思いをしたことから、今夜のルブラットは服の色に闇を選んだ。
治療時に飛び散る血の量など気にしたことはなかったのだが、事情を知らない者にとって白地に赤飛沫は随分とセンセーショナルに映るらしい。
新月の夜を思わせる外套とスーツはファントムナイトに合わせて仕立て屋で新調したものだ。
なりたいものなど、ありはしない。けれども服を仕立てる理由として南瓜の夜はピッタリだった。
柔軟性のある生地は動きやすく、肌寒さを増してきた夜に相応しい温度を提供してくれる。勧められるまま購入したカラーシャツとネクタイだったが、もう少し種類を増やしても良いかもしれない。
そう、ルブラットが思った時だった。
「いいにおいがするー」
「うん?」
足元から聞こえた幼い声に反応が遅れた。
既に黄昏は過ぎ去り
暗さに加えて、籠いっぱいに詰め込まれたカラフルな菓子が普段よりも死角をずっと多くしていた。
見下ろせば得体のしれない物体に捕獲され……いや、抱きつかれている。
「何をしている」
「おばけー」
「成程」
気を抜けば宙に飛びそうな意識を繋ぎ止める。
回答では無いが断片は得た。そうか仮装か。此処に来る迄にも大勢目にした。
何故人は死者や悪魔になりたがるのか。ルブラットには理解できない世界である。
「そのマスクも、かそう?」
「これは仮装ではない」
ムッとした調子でルブラットが応えた時だった。
「あっ、ルブラットのだんなだ」
「こんばんはー」
「それって、ファントムナイトのお菓子?」
大量に現れたシーツおばけの軍団にルブラットは唖然とした。
廃教会で囲っている情報屋の年齢層が低いことは否めない。
毒を飲んで倒れた廃教会の子供たちを介抱したのはルブラットで、その後も週に一度は律儀に顔を出していれば、仮面をかぶった怪しげな医者でも懐かれるというものだ。
「おかしだー!!」
「キャーー!!」
「待て、待ちたまえ」
悲鳴のような歓声と小さな手に囲まれる。これではまるで救いを求める亡者の群れ、否、海に溺れているようではないか。
ルブラットは視線を巡らせ、普段この亡者の群れを統括している子供の姿を探した。助けてくれと言う心算はさらさら無いが、この狂乱を落ち着かせるだけの理性と手腕はあるはずだ。
果たして雀色の髪を持った少年は見つかった。
その目は公園で鳩の餌を買った瞬間、鳩に囲まれ助けを求める子供を見つめる眼差しによく似ている。
「ヨシュア」
「はいよ」
名を呼ばれヨシュアは嬉しそうに破顔した。この少年はどうやら、ルブラットに名前を呼ばれることを良しとしている節がある。
恩義を感じているのだろうか。何かにつけてはルブラットの役に立ちたがったが、今のように困っている所を遠くから見る底意地の悪さも持ち合わせている。
「お前らー、旦那が困ってるだろー。一列に並べー」
「はーい」
「並ばなくて良い。彼らはこの菓子が目当てなのだろう? 渡すから配っておいてくれ」
「ダメダメ! 皆、旦那から貰いたがってるんだよ」
「とてもそうは見えない。失礼する」
「今帰ったら家までついてくからね」
「……」
「観念した? それじゃあ、皆、せーのっ」
Trick or Treat !!
目の前にいる子供たちは悪魔に飲まれてしまったのだろうか。甘い物を渡さねば悪戯をするぞ、だなんて。
「私は今、脅迫されているのか?」
「いや、ファントムナイトのお約束をされてるだけだから」
「お約束」
「そう。本当に悪戯されるまえにチビたちに菓子渡してやって」
「……実に恐ろしい祭りだ」
「来年は慣れるよ」
「来年もあるのか」
「毎年あるよ」
おまけSS『祝事多き十の月』
「また来たか……って、ちょっとアンタ、疲れてない?」
「気のせいだ」
いつもより少しだけ精細に欠けた旅巡りの医者は、監獄の椅子に腰を落ち着けると愛らしい桃色リボンで結ばれたクッキーの袋を外套の下から取り出した。
「ハッピーハロウィン」
「アタシ、まだ何も言ってないけど」
「暫くあの文言を聞きたくない」
「じゃあ忘れた頃に言うわ」
マーレボルジェはそそくさとクッキーを仕舞い、代わりに目に痛い色合いをした渦巻きキャンディをルブラットへと投げつけた。
「これは?」
剥製至上主義者は片眉を上げる。
「さぁね。どこかの水銀好きが生まれたお祝いじゃない?」