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No.696とその研究員に関する調査報告書、並びに資料
登場人物一覧
●プロローグ
その世界には、超常現象を研究する秘密機関があった。
魔法や怪物など御伽噺でしか見聞きした事のない『もの』を大真面目に研究し実現、ひいてはコントロールし有用性を見出そうという組織。
いつか社会の発展や、未解明の病気、謎を解決することが出来れば、きっと彼らも恐れられずに親しみを込められるだろうと。そう願って。
この物語がクローズアップするのは『伝承怪異部門』の猫又科。
ここで、今回の主人公たる彼は生まれ育てられる事になる。
そもそも、君は猫又をご存じだろうか?
彼らの世界での猫又とは、家猫が年老いた結果、尾が二つに分かれ妖怪化したものの名称である。
今日の猫の平均寿命は15歳程、つまり最低でもこれを超える事によって妖怪化がなされるであろう。
猫又科は、時間をかけてこれといった確証もない研究を行う部署なのである。
窓際、誰も希望することのない薄暗くて功績も残せない、出世には難しい部署。そこに転属を希望した変わり者の女。
此度描くのは、主人公たる『No.696』と、その女の物語である。
●20xx/x/x xx:xx note No.1 p1
彼女の名は友理重、今日から猫又科に転属になった変わり者の女だ。
同期に何故転属を希望したのかと問われれば、彼女はにこにこと笑ってこう答えたのだとか。
「猫大好きっす!猫を育てながら衣食住の提供もあってしかも給料も貰えるなんて最高じゃないっすか!」
昔からこうなのだろうか。それは誰も知らないが、彼女が変わり者であるという事だけはよく解る一言。猫を育てるなどといった甘っちょろいものではなく、猫を管理すると言う方が正しいのだから。
彼女のパートナーとなる第696匹目の猫と対峙したときの彼女の反応もまた、変わったものだった。
「やっほ~あなたが私のパートナーっすね! う~ん不愛想な感じがまた可愛いっすよ~♪」
周囲に居た同科の職員は皆目を見開いたという。猫に可愛いなどという感情を抱いていては、この仕事には耐えられないからだ。
世話、といえば聞こえは良いが、実験もする。餌を変えたり、病気を治すだけでなく、時には残忍な方法をとることもある。たかだか猫一匹に可愛いなどと言っていては、これからあるであろう幾多の別れに耐えることはできないからだ。
その猫も、またそれを理解していた。だからこそ、そんなにも優しい声をかけられるとは思っても居なかったのだ。
「そうだ名前決めないとっすね! えっとNo.696だから~じゃぁ、」
ムクロ
優しく響いたその音。
当時まだ二歳のムクロにとって、初めて呼ばれた『No.696』以外の名前。
No.460とNo.556から生まれた、小さな子猫が、人間から初めて与えられたもの。
「よろしくっすよ! ムクロ!」
それは、彼の名前。
●20xx/x/x xx:xx note No.1 p5
彼らが紡いだ絆を想像するのは難しいことではないだろう。
最初の壁はムクロが寄り添うことすら受け入れなかったことだ。
友理重が伸ばした手をひっかき、噛みつき、与えられた餌すらろくに食べようとしなかったのである。そんなムクロを甘やかすことが無かったのは友理重だ。
友理重は食事をしないことに怒り、無理やり口の中に餌を入れたのだ。
「こら、ちゃんと食べなきゃ、だめっすよ……!」
もともと小さかったのに、これでは虚弱になり病気がちになる。友理重は肋骨が浮いて見えたムクロの身を案じ、たとえ噛みつかれひっかかれ腕から血が流れようとも口の中に餌を押し込んだ。
もちろんムクロも抵抗した。最初は口の中に入れられても、また吐き出したのである。友理重はここでもめげることはなかった。
なんどでも、口の中に餌を入れたのである。腕に傷跡が残り、赤くなって、膿んだ傷が裂かれようとも。
「……っ、こら、暴れない……!」
そして、何度傷口を傷つけられ、痛みを増したとしても、暴力をふるうことはなかったのである。
また、唯一の違いをあげるのならば。
「うへ、これすっごい苦そうっす……ちょっと待ってるっすよ~」
「はい! これならきっと苦くないっす!」
隠しもせず出された薬剤入りの餌。これを食べなければ仕置きがあるし、検査ももっと酷くなる。だがしかし、その味も大変最悪なものであり、好いているもののほうがおかしいだろう。
仕方なく食べる物。そういった認識だった。
けれど友理重は違った。
「ちょっと砕いてお団子にしてみたっす!」
「今日のは甘めのシロップと一緒にしてみたっすよ~」
「フルーツと一緒ならおいしいかもしれないっすね」
工夫を凝らされた品。他の猫には与えられることのない、唯一の愛情の証。
「あ、食べた。食べた!??? え???!!!!」
通りがかったとき、餌をのせた皿が空だったことに対して目を輝かせた友理重。頭を撫で、顎を撫で、背を撫でて。
「偉いっすよ、ムクロ!」
はじめて心からの笑顔を見せた友理重。あれが、初めての壁を乗り越えた瞬間なのだろう。
●20xx/x/x xx:xx note No.1 p16
第二の壁は友理重とムクロの認識の違いである。
少しずつ絆を深めていった二人。ムクロは次第に、自身の糞尿の世話をされることが苦痛になった。
きっとそれは、ただの『人間』と『研究対象』などという関係ではなく、『友人』だと思って居るからだろう。勿論その変化は友理重にとっては泣いてしまうほどうれしいものだったし、誇らしいものだっただろう。ただ。
「ムクロ、そろそろ臭いっす……」
糞尿は生理的なものであるため堪えられない。隠したとしてもばれる。三日ほどであっというまに臭くなってしまうため、どうしてもその辺の世話は人間たる友理重がしなくてはならないものなのだ。
「ムクロ、自分でトイレがしたいっすか?」
ひどい匂いの為に連れられたお風呂。泡塗れにされながらふてくされるムクロ。対する友理重は心配そうに眺めて。
「まぁムクロが嫌なら、自分で何とか出来るように考えてみるっすかねえ。それがお互いにとって最善ならそうするのがいいっすから!」
「にゃーん」
少しずつ自我が芽生え始めたのはこの辺りだろう。
研究員の顔を見分け、友理重を正確に理解するようになった。
この辺りから、少しずつ彼がただの猫であると言い切るのは難しくなってきた。
自らの糞尿の後始末をし、ある程度汚くなったと思ったら風呂を要求する。嫌いな食べ物があればそれをよけるし、食事前には手を洗う。そういった人間的な側面を持った。
勿論、そういった人間らしさを教えたのは友理重に他ならない。彼女がムクロが理解すると思って告げたのかと問うても、今はもう真相は闇の中である。
ただ、友理重はムクロをただの猫や研究対象と思って居たのではなく、他人に名前があるように、彼のことを『ムクロ』だと認識していたからこその奇跡であろう。そうでなければ、成し得ることは難しかったと思う。
尚、同じことを他の猫と研究員でやっても、同様の成果は得られなかったし、友理重が別の猫に同じようにやっても、結果は同じにはならなかった。
まさに、二人だからこそ起こせた奇跡なのである。
●20xx/x/x xx:xx note No.12 p94
ここまで沢山の困難を乗り越えた二人を綴って来た。
彼らにとっての転機を語ろう。
ある日の経過チェックの事であった。
これまでのノートに綴ったように、ムクロには人間の話す言葉(ただし、友理重が話すことが出来る言語に限る)への理解を示していた。また、自我の芽生えがあったことを記載しておいたと思う。
しかし、彼は突然人に『成った』。
「ムクロ~、イイ感じっすよ~!」
「やったっす!」
「ちょっと待ってるっす……あれ?」
「?」
「ムクロ」
「はいっす」
「ムクロが」
「?」
「ムクロが、しゃべった?!!!!!!!!!!!!!!!!」
その日はムクロの18歳の誕生日であった。猫の平均寿命は15歳ほどであるから、実験は成功したと言えよう。
もうすぐで猫又が誕生するのだ。
しかし、友理重が驚いたのはそんなことではない。
愛をこめ、友人だと思ってすごしてきた、
彼女にとってこれは大きな衝撃だったに違いない。
「ムクロ」
「はいっす!」
「あたしが何を言ってるかわかるっすか?」
「はいっす、友理重」
「ムクロ……!」
「どうしたっすか、友理重」
「あたしの名前、憶えてたんっすね」
「はいっす。それに、友理重って、そこに書いてあるっす」
「もしかして、ムクロって文字も読めるっすか?!」
「ちょっとだけっす。わからないもののほうが多いっす!」
経過チェックは他のものが立ち合い、動画を撮ることが規則だった。そのため、このような会話のキャッチボールができていることすらも衝撃そのものだった。
ムクロと友理重はその後も一緒に友達として過ごし続けた。
そして、すべてが終わったのが、ムクロの20歳の誕生日のことだ。
●20xx/x/x xx:xx note No.x px
「ムクロ、ケーキ持ってきたっす!」
「やったーっす!」
「ムクロはケーキも有害にならない猫なんすから、もう人間みたいなもんっすね」
「えっへんっす!」
2と0の蝋燭が刺さったケーキを持って、二人だけの誕生日パーティを。12を時計の針が通り過ぎるまで。あと。
「さん!」
「に!」
「いち!」
「ムクロ!! 誕生日おめで……ムクロ?!!」
床に落ちるムクロの身体。荒い呼吸。そして、あふれ出る自制出来ない力。
「ムクロ!! しっかりするっす!!!」
「たす、けて……」
「い、今助けるっす!! 死なないでっすよ!!!!」
慌てふためく研究所内。ある職員は薬を取りに行き、ある職員は保冷剤や毛布を持ってきた。
「う、うわあああああああああああああ!!!!!!!!!!」
「ムクロ!!!」
激痛が走る。それに伴い尾が二つに裂け始めた。
「む、ムクロ……しっかりするっす!!!」
「ああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
いたい、いたい。おなかがすいた。いたい。たすけて。いたい。いたい。どこにいるっすか。
おれの。
おれの。
×××。
ついに尾が裂け終わった時、無限に続くのではと思う程の激痛はピタリと止んだ。は、は、は、と荒い呼吸が己のものだと理解するまでに数分を要した。
「友理重……」
友の姿を探す。
その、友は。
「む、クロ、」
「あ、あああ、」
己の、二つに裂けた尾に、貫かれていた。
「だいじょ、ぶ、っすから、」
「あ、ああああ、あ、あ、」
「むく、ろ、にげる、っす」
「ここにいたら、」
「これから、もっと、」
「ひどいことになるっす、から」
「だから、にげるっす、」
「さいごの、おねがい、っすよ」
「でも、俺がいったら、友理重は、」
「だいじょうぶっす。すぐに、おいかけるっすから」
「約束してくれるっすか?」
「嘘ついたこと、ない、っすよ」
「……絶対、絶対っすよ」
「はい」
にっこり笑った友理重。溢れ出した血は止まることを知らず。そっと、尾を抜いたとき。彼女から、徐々に温もりは失われた。
●残された資料
2月2日の夜。
一匹の猫と、研究員が、死んだ。
猫は猫又になる過程で研究員を殺害。
その後消息不明。冬であったために寒さを耐え凌ぐことは厳しく、凍死と判断。