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窓のそとには花が咲く
登場人物一覧
こそり、と怪しげな人影が周囲の様子を伺っていた。
品の良い外套をまとい、こぼれた豊かな灰色の髪の合間から通りをのぞくのは心細げに揺れる緑の瞳。
「ひぇっ……あちらは人が多い……です」
小さく悲鳴をあげて、フローラ・フローライトは路地の壁にしがみついた。
「……ええと、だったら、こっちの裏道から通って……」
地図を頭に思い浮かべ路地を戻ってみるも、次の角を曲がろうとした瞬間に連れだって歩く若者たちとかち合いそうになって、回れ右よと慌てて踵をめぐらす。
だが、そんなことを繰り返せば、行き着く先はもちろん。
「あ、あれ?」
迷子である。
「ここ、どこです……?」
転がり出た先は、見覚えのない小さな広場。
「ああ……どうして……こう、なるんでしょう」
肩を落としたフローラは、木陰にひっそりと寄り添うようなベンチに腰を下ろした。
恐る恐る確かめると、早めに出てきたお陰で予定した時刻にはまだ余裕があった。
「だ……大丈夫ですわ」
自分だけわかる程度に小さく頷いた彼女は持って来た地図を開き、細い指であちこちをなぞる。思わず曲がってしまった路がどこかは自信がないが、目印と決めている建物はあちらにあるので。
──だから、あれ……ああ、ええとそう。
「ええ。もう少し、ですわ」
だいぶ迂回はしたが目的地には着実に近づいている。その事実にほうと胸をなでおろしたフローラは、気持ちを新たに立ち上がろうとした。
「あ……っ、あれは!」
だが、その瞬間、広場をぐるりと囲んだ植え込みの向こう、連れだって歩く人々が目に留まった。
耳をそばだてたわけではないが、そう離れても居ない。途切れ途切れに話声が聞こえて来る。
それに、彼女は胸元の生地をぎゅっと握り締めた。
聞き取れた僅かな単語を繋ぎ合わせれば──きっと、間違いないはず。
(あれは、イレギュラーズの方たちです!)
盗み聞きのようではしたないとは思うが、それでも嬉しさと興奮で咄嗟に伏せた顔が赤らむ。
(ああ、何度見てもやっぱり本物は存在感が違います!)
どきどきと高鳴る胸。
──フローラは物語が好きだ。
気弱で引っ込み思案だが、彼女は自身の性格とは真逆の英雄譚が好きだ。
時に勇ましく凛々しく艱難辛苦を乗り越える、そんな物語に胸がときめくのだ。
そんなフローラが、やがて現代の英雄であるイレギュラーズたちに惹かれたのは当然かもしれない。
彼らの活躍は、自分と同じ時代で紡がれるリアルな冒険譚は、フローラを魅了した。
──その、イレギュラーズたちが自分の目の前を歩いている。
(R.O.Oの話題です! おそらく、今からログインするんですわね……もしかしたら、もしかしたら、ゲームの中で『私』とも)
ぐるぐる巡る感情の奔流に抗ってなんとか顔を上げる。
「……すっ、すみません……!」
勇気を出して──声を。
「あ──」
けれども、そこにはもう誰も居なかった。
彼女がためらっているうちに、彼らはそのまま目的地へと歩いて行ったのだろう。
「……」
小さくため息をこぼしたフローラは静かにベンチから立ち上がった。
「移動するなら、今のうち……ですわね。そう、お話する機会はすぐにあるはず……ですし……」
それに、気にする必要はないのだ。
R.O.Oの世界へログインしてしまえば憧れの英雄たちと話すどころか共に行動することもできる。
──そう、フローラも、彼らと同じ『
一日の終わり。
部屋へ戻ったフローラは依頼解決の喜びを噛みしめた。
「ほんとうに……よかった、です……!」
部屋に備え付けられた姿見に嬉しそうな自分の姿が映る。
ふと、魔が差して、鏡の前で背筋を伸ばす。
さっきまでの自分、まばゆい金髪をきりりと結んだR.O.Oのアバターが脳裏に浮かぶ。
「わたくしはフローレス!」
彼女の所作を真似て、すっと胸を張った。
「フローレス・ロンズデー……ライト……」
けれども、言い切ることはできなかった。耐え切れず、顔を真っ赤にしてフローラは崩れ落ちた。
「ああいえ、やっぱりムリですっ!」
熱い顔を覆った指と垂れる灰色の髪の間から、打って変わっておどおどと鏡を見る。
長い髪と女性らしい柔らかなラインを描く身体を持った娘が、頬を赤らめて困ったような顔でこちらを見ていた。
──強気で明るいフローレスはそこには居なかった。
微風がフローラの頬を撫でて、彼女は細く開けた窓に気付いた。
閉めよう、手を伸ばす。
────不思議なことだ、とふと思う。
陽の下で笑う花のような、柔らかな名を与えられながら窓から外を眺める自分と、閉じた世界でも完璧なまばゆさを持つフローレス。
「同じ、私、だなんて」
鏡の中で窓を見上げる娘がゆるく微笑んだ。
「……ええ。でも……今夜はすこしだけ散歩……してみましょう。夜闇にまぎれれば目立たないから大丈夫……きっと大丈夫……です」
それはいつも輝くフローレスと比べればだいぶ儚げだったが、それでも、その鏡像には強い意志が宿っていた。
幸い、その日は星と月が良く見えた。
夜の最中をひとりで歩く。
年頃の令嬢としてはともかく、イレギュラーズとして選ばれた身としては一歩前進した気分だ。
(暗いけれど誰の視線も気にならない……夜の散歩は案外自分に向いているのかも)
そんなことを思い始めた、そんなとき。
「お嬢ちゃん、お急ぎかい?」
背筋をひやりと冷たいものが走った。
「あ、ええと……」
振り返れば、途端にむっと広がる酒の香り。
ほろ酔い気分の男たちが二人ほど、にやにやと笑ってこちらを見ていた。
「こんな暗い中をお嬢ちゃんひとりで危ないよ」
「そうそう」
そんなに夜も更けていないのに、男たちはすっかり出来上がっているようだった。親切めかした言葉も下卑た笑い声に紛れて装いきれていない。
(ど、どう、しましょう……)
反射的に身を縮こまらせるフローラに俄然勢いづく相手に、思わず震えだしてしまう。
(フローレス……フローレスだったら……)
強く銀の瞳を光らせて、きっと彼女は毅然と相手を見返すだろう。
『見知らぬ女性に突然声をかけるなんて、失礼ですわ!』
ごくりと喉を鳴らして、フローラは相手を見た。
「あの、その……っ!」
喉に声が張り付く。
(ど、どうしよう、言葉が続かないわ……)
逃げ出したい、逃げ出せるだろうか。
そんなことを考え後退りし始めたフローラを、熱っぽく見ていた男のひとりの緩んだ顔が強張った。
「知り合いかな」
フローラの背後、少し離れたところから声がかかる。
「なんだ、てめえ」
男は怒りを露わにして声の主を睨みつけた。しかし、はじめに気付いたらしいもう一人は声を顰めて仲間を制止する。
「おい、やめろ。あいつらはローレットだ」
青ざめるふたりとは逆に、『ローレット』の単語にフローラの凍えた心に灯がともる。
「アヤしいモンじゃないですよ。お嬢さんが迷って困ってたみたいなんで、送ろうかと声をかけただけで」
「ま、迷ってませんし……家はすぐそこです……」
「……そうかい。じゃあ、怖がらせて悪かったな」
「おう。戻って飲み直そうぜ」
咄嗟に声をあげれば、男たちは決まりが悪そうに引き返して行った。
その姿が見えなくなるまで見届けながら、フローラは暗闇の向こうの救世主たちへと振り返る。
「送らなくて大丈夫?」
そう尋ねる相手の顔はよく見えなかったが、フローラは言葉の代わりにこくこくと頷いた。
「そう。気を付けて」
そう言って離れる気配がした。
──自分を変えたい、中々うまくいかない。でも、変わりたいことを諦められない。
「あっ、待ってください!」
胸に去来した想いに後押しされて思わず言葉が飛び出していた。
「あり……がとう、ございます……!」
暗闇の向こうで相手が手を挙げたのが解った。
今はまだ精一杯の感謝の短い一言。返事はなかったが差し出した気持ちが伝わったことは、なんとなくわかった。
「……よかった……」
しばし見送り、やがて我に返ったフローラは慌てて自分も帰路に就く。
その足元がすこしだけ弾んでいた。
──強い自分に、なろう。自分の好きな自分に、なろう。
もっとがんばるのは明日から。でも、今日はちょっとだけフローラも強くなれた気がした。