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Good Morning
登場人物一覧
●One day
鳥の声。虫の音色。カーテン越しの薄暗い光。未だ眠る肌が朝の訪れを感じ取り、日の出と共に瞼がゆっくりとスイートピンクを現した。
時計は見るまでもなく明け六つ。柔らかく巻かれた
隣で包まる恋人は未だ夢の中、シーツに広げた白髪の中心で寝息を立てている。愛おしげに、うっとりと寝顔を眺めつつ、起こさぬようにベッドを降りて。
サイドテーブルに置かれた本を手に取れば、今日もまた御天道・タントの一日が始まる。
(おはようございますわ、ジェック様)
眠り姫には音にならない挨拶を投げかけて、控えめなフリルのネグリジェを纏った王子様は静かに静かに部屋を出る。噂に聞く忍者になったかのようなこの時間はタントの密かなお気に入りだった。
抜き足、差し足、忍び足。そろりそろりと大仰な仕草こそせずとも、息を潜め物音ひとつに気を配る。からり、音を立てる掃き出し窓に一瞬動きを止めて寝室の様子を窺うのも、恋人と共に暮らし始めてからは毎日のこと。
庭に出て窓を閉じて、ようやく安堵の吐息。数分足らずのちょっとしたスリルを味わえばもう大丈夫。
●Daily routine
「おはようございますわ!」
明るく眩く、優しく照らすお天道様と元気な挨拶を交わすと、恋人が起きるまではタント一人の時間。遠く、街に昇りかけの太陽と共に今日もパワフルに動き出す。
「いっちにー! さんしー!」
背伸びして、腕を回して、腕を大きく振って斜め後ろにに大きく体をねじって、弾みをつけてゆっくりと上体を逸らして。
「ごーろく! しちはち!」
体を斜め下に曲げては正面で胸を反らして、両足跳びをして、弾みを付けて体を横に曲げて、腕を水平に振って体をねじって、強く強く、弱く弱く……深く息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。最後にピッカーン! 本日のお任せタント様ポーズ!
日課のタント様体操を終え、じんわり温まった体に冷たい牛乳を一杯飲んで。あとはゆっくり、陽光を浴びながら読書の時間。
お気に入りのガーデンチェアにゆったりと体を預け、栞に沿って本を開いた。風が揺らすままに髪を揺らし、小鳥が歌うままに耳を預け。打って変わったように静かに頁をめくる。
視線が横に下に文字をなぞる。時折瞳が留まり、どこか懐かしむように細まってはまた動き出す。一枚、二枚としなやかに指先が動く度、朝露の匂い、朝靄の匂いが薄れていく。
(あらっ、もうそんな時間ですのね)
頁に差す朝日影が短くなり始めた頃、ぴったり恋人を起こす時間。微笑みと共に栞を挟んで席を立った。
行きはそろそろ、帰りはずんずん。わざと大きな音をたてたりはしないけれど、窓の音も扉の音も怖くない。愛しい恋人は寝ぼけ眼かしら、それともまだ眠り姫?
答え合わせは枕元を覗き込んで、交睫し小さく開かれた唇からは健やかな吐息。毎日見ている寝顔でも、どうしてこんなに見飽きないのだろう? 早くその瞳を見たいけれど、もう少しだけ眺めていたい。そんな葛藤に負けてしまう朝もありつつ、今日はなんだか早く微笑んでほしい気分。
「ジェック様、ジェック様」
梳かすように広がる白髪に手を当てて、囁くように耳元でささやいて。彼女がタントの家に身を寄せ始めた頃は小さな物音や名前を呼ぶ声で起きていたのだけれど、今は身を任せるように深い眠りに就いている。
「起きてくださいまし、ジェック様。もう朝ですわ」
もう名前だけでは起きないことを知っていても。まずは甘やかな声音で呼びかけて、次いで優しく体を揺らす。ん、と頭が小さく振られ、閉じた瞼が瞬きをすべく震えだした。隠されたピンク・トパーズと出会うまであと少し。
「ジェック様、今日は一緒に朝食を作る日ですわ。……それとも、まだ眠りますかしら?」
「ん……起きる……」
先に作ってしまいますわよ、なんて嘯けば、毛布に包まれた
「……おはよう、タント」
「ええ、ええ、おはようございますわ、ジェック様!」
にっこりぴっかり、陽光のような笑みが部屋を照らした。
●Good morning
さあさあお目目をぱっちり覚ましましょう。手を引いて洗面台へ隣り合えば、鏡越しにまだ寝ぼけ眼のぼさぼさ頭。並んだコップに歯ブラシは同じデザインの色違い。
代わる代わる顔を洗って、同じ味の歯磨き粉を付けて。ぱしぱしと瞬きをする恋人の、しゃこしゃこ動く歯磨きの音を聞きながら、ふと笑みが零れる。
どうしたの、と口に出さず仕草に表す彼女の写し鏡に、いいえ、と首を振る。きっとこの歯磨きも、彼女のガスマスクが外れなかった頃には──もう一年半近く前のことだけれど──なかった習慣なのだろう、と。こうして二人で一緒に習慣にできていることがなんだか嬉しくて、なんて
今朝のメニューはバターをたっぷり塗ったこんがり食パンにぷっくら焼けたオムレツ、トマトサラダにカリカリベーコン、オニオンスープ。デザートはいちごを乗せたヨーグルト。オニオンスープはタントが、オムレツは卵の扱いにまだ若干苦手意識のある恋人が、食パンはトーストしてベーコンは最後にカリっと。
「今日はスクランブルエッグにしないから」「あら、わたくしはどちらでも良いですわよ?」なんて笑いながら言葉を交わしつつ。
玉ねぎの皮をむき、水につけて薄切りに。原理や理由は分からないけれど、切れ味の良い包丁で手早く切れば涙が出ないことを知っている。温めておいた鍋に近くの市場で買ったバターを入れて中火で溶かし、薄切り玉ねぎをざざっと入れて炒め。しんなりしてからお湯を加え、沸騰するまで煮立たせる。その間に手作りコンソメとお塩を混ぜて、ジェックの手元を覗き込んで。
「ジェック様、如何ですかし──」
まあ、まあ。真剣なお顔でフライパンを傾け、卵を折りたたもうとする姿にかけようとした言葉を飲み込んだ。
かき混ぜられた卵液に火を消して、三分の二に折り畳み、反対側も折り畳み。少しずつフライパンの端に寄せて形を整え、さあ後はひっくり返すだけ。
フライパンを傾ける手が震えながらも、木べらをゆっくり差し込んで。えいやの声はなかったけれど、息を止めたのは二人同時。裏返されたオムレツは少し破れたような跡はあるけれど、綺麗に形作られている。
思わず拍手喝采しようとしたタントの耳に、鍋から沸騰の音。わたくしはわたくしの分を作らねばと調味料を混ぜてひと煮立ち。火から下ろしたら揃いの器によそって、パセリを散らしてテーブルへ。
オムレツを二つ、何とか無事に完成させた恋人を横目にベーコンを焼いてサラダを盛りつけ、よそったヨーグルトにイチゴを乗せたら今日の朝ごはんの出来上がり!
恋人の満足そうな笑顔に、今日もきっと良い一日になるのだろうと確信を深めつつ。
二人で声を合せて──「「いただきます」」