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憧れのメキシカンスタイル
登場人物一覧
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その日、ワモン・C・デルモンテは世の中の不条理というやつに直面していた。
ワモンはアザラシのディープシーである。幼いためか毛並みも白く、まさに水族館の売店などでよくぬいぐるみの販売を見かける『アレ』だと思って問題はない。
身長は低く、大人の膝丈にも届かない。ずんぐりむっくりした外見は、見るものに微笑ましい気持ちを与えてくれるものだ。
だというのに。いや、だからこそ狙われたのかもしれない。可愛い。幼い。もふもふしてそう。そのイメージから『弱さ』を感じ取り、彼らはワモンをターゲットとして選んだのかもしれない。
嗚呼、世の不条理。ワモンは今まさに街の荒くれ共に絡まれていたのだ。
「オウオウオウ、肩ぶつけといて挨拶もなしかよ!?」
どうやったら当たるねん。
繰り返すが、ワモンの全長は大人の膝丈にも届かない。どれだけイキり散らして肩をデンプシーロールのごとく振り回していたとしても、ワモンとぶつかるのは不可能だ。
彼と肩をぶつけるためには、それこそヘッドスライディングでもしながら道を歩かねばならない。ヘッスラか、ヘッスラしながら移動する変態さんなのかこいつ。ヘッスラーなのか。
「くそう、これは絶対に折れてやがるぜ。複雑亜脱臼ってやつだ。イシャリョー払ってもらわねえとよォ!」
複雑亜脱臼ってなんだよ。パーツ組み換えかよ。
きっと、絡み方をテンプレートでしか覚えていないのだろう。『慰謝料』の正しい意味も知らないに違いない。なんてアドリブがきかないヘッスラーなんだ。
「た、タケちゃん。流石に肩がぶつかるのは無理がねえか……?」
ヘッスラーことタケちゃんと一緒に絡んできた連れの男も困惑気味だ。流石にトーキックすると100%腹に当たる相手にその言いがかりは無理がありすぎるとわかっているのだろう。頑張れタケちゃんの連れ。負けるなタケちゃんの連れ。
「うるせえ! 肩が当たったんだよ! 見ろこの複雑後方二回宙返り一回ひねりをよ!」
「それは体操の技だよタケちゃん……」
なかなか物知りだぞタケちゃんの連れ。そのまま説得してくれタケちゃんの連れ。
しかしタケちゃんは横暴だ。彼はどうしてもワモンが空気振動による遠当てを使って己の肩を砕いたのだと主張したいらしい。そんな相手に絡むなよ。
ワモンとしてはなんとも無理があるこの言いがかりを諦めてもらい、この場を納めてほしいところだが、この手の人種は一度振り上げた拳の下ろし方を知らないものだ。
あれよあれよと言う内に、ワモンはタケちゃんの肩の継ぎ目を精密なレーザー射撃によって撃ち抜いた罪により高額な謝罪費用を求められていた。
まったくもってわけがわからないが、ワモン自身にこの場を丸く納める術はない。まだ幼く、力もない彼にとって見上げるほどの若者は巨人にも等しい驚異だった。
「さあ、イシャリョー十万億ゴールド、耳を揃えて払ってもらおうか!」
馬鹿な、存在していたのか十万億ゴールド。友人間でも十万億という単位は『お母さんにそんなものはないって言われた派』と『お父さんが支払っていたのを見たもん派』に分かれていたのだが。
しかし如何様にしたところでワモンにそのような支払い能力はない。それが不可能だとわかれば、待っているのは暴力だ。大の男が寄ってたかって膝丈までの自分に暴行を働くのだろう。
「聴いてんのかこのアシカ野郎!」
「オイラはアシカじゃねぇ!」
しまった。つい条件反射で口答えをしてしまった。最早暴力の波は避けられない。せめて自分の命だけは守らなければ。殺すつもりはないかもしれないが、こいつら絶対にアザラシの急所とか理解してないし。
そして今まさに無情なトーキックが見舞われようとした、その瞬間だった。
「待てい!!!」
荒くれ共の背後からかかる声。すわ警邏の類か。慌てて振り向いた彼らの目に飛び込んできたのは、しかし警備隊や巡回騎士のようなものではなかった。
それは筋肉質な男であった。ボディビルダーのような美を求めるカッティングではなく、防御力とタフネスに特化した肉体。上半身は裸で、マントを羽織っている。そして何より顔全体を覆う特徴的なマスクが彼の職業を物語っていた。
「プロレスラー、だと……!?」
そう、男はプロレスラーだった。暴力を見せることを生業としている彼が、その粗野な雰囲気とはまるで似合わない爽やかな笑みを見せる。
「自己紹介がまだだと言うのに、私のことがわかるだなんてな。さては君、私のファンだな?」
「いや、誰でもわかるぞ!?」
男の様相にプロレスラーらしいところがないとすれば、それはまさしくプロレスラーと言った格好で屋外にいることくらいだろう。しかし日々の鍛錬を主張してやまない筋肉が、彼をコスプレイヤーではないと物語っている。
「照れなくていい。だが、弱いものいじめは見過ごせないな。男が子供に暴力を振るうなど、誰が許しても私が許せるものではない」
ともすれば性差別的な表現にも取られるが、そのようなつもりの発言でないことは彼を見ればわかる。本当に、弱い者は守るものだと言っているのだ。
「だ、だったらどうするんだよ。力づくで止めンのか? あんたプロレスラーだろ? 素人に手ぇ出していいのかよ!?」
「ふむ……それはプロボクサーの理論だが、確かに私もその道のプロだ。素人に私的判断で制裁を加えることは褒められた話ではない」
「だ、だったら――」
「だが――――」
一瞬、ニヤリと笑ったタケちゃんのセリフを、男は遮った。何一つ、悩むことも悔いることもないという爽やかな笑みを浮かべたままで。
「その為に弱い者いじめを見て見ぬ振りをするくらいならば、私はプロでなくとも良い」
「なっ――!?」
「優しくなければ生きる資格がない。異世界の言葉さ。さあ行くぞ悪漢共! とうっ――――!!」
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圧倒的だった。
鍛え上げられたレスラーの肉体に、荒くれ共の攻撃は何ひとつ通らなかったのだ。
どうにもならない歴然とした差。それを感じ取ったのだろう。決着は早く、彼らは一目散に逃げ出していた。
レスラーがワモンに歩み寄り、その太い腕でひょいと抱き上げた。彼の笑みは変わらず、見るものを安心させる爽やかさで満ちている。
力強い。しかしそれに驕れることをせず、弱者を守るものと自分を律する男。それは少年の心に、確かな憧れとして映っていた。
「大丈夫だったかいアシカ君」
「オイラはアシカじゃねぇ!」
条件反射の反論。喉元まで出ていた御礼の言葉が引っ込んでしまった。だが、覆面の男が気にする様子はない。
「おや、そうだったか。はっはっは、すまないすまない。許してくれよアシカ君」
「オイラはアシカじゃねぇ!」
ダメだ、こいつ物覚えよくないぞ。
だがワモンは気づいていない。自分でも無自覚だったが、先程まで強張っていた表情と、震えを見せまいとしていた緊張が解れていることに。
「いいぞ、元気いっぱいだなアシカ君」
「オイラはアシカじゃねぇ!」
「子供は元気が一番だ。そうだろうアシカ君」
「オイラは――――」