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あなたのために、かなでる。
登場人物一覧
柊木涼花(p3p010038)はとあるこども園を訪れていた。
数週間前、彼女のストリートライブを見に来ていた園職員の男性に「ぜひ、うちのこども園で音楽の素晴らしさを教えてあげて欲しい」と頼まれたのだ。
「あまりこういった経験はありませんが、上手く教えられるでしょうか」
音楽は理論も重要であるが、一番大切なのは感性と楽しむ心だ。
理論は大人になってからでも学べるが、感性と楽しむ心は幼少から経験しておくといい。
そう考えた涼花はこの頼みを快く引き受けることにした。
そのこども園は一見、広めのグラウンドと複数の幼児向け遊具のある、ごく一般的な施設だった。
(だけど、何か寂しい雰囲気を漂わせている……?)
涼花は無意識にそんな風に感じてしまった。
時間帯で考えれば、おやつ後のお昼寝だろう。
なので、現在のグラウンドは風の力で砂埃を巻き上げているだけである。
しかし、それだけでこんなにも哀しい気持ちになるだろうか。
そう考えている間に、施設からあの園職員の男性が現れる。
「こんにちは」
「ようこそ、柊木涼花さん。お待ちしておりました」
恭しく頭を下げる園職員にどうぞお気遣いなく、と返す涼花。
「早速、ご教授をお願いします。こちらへどうぞ」
園職員に丁重に促され、涼花は園内へと足を踏み入れた。
子どもたちは、ちょうど音楽の時間を迎えていた。
先生が奏でるピアノの旋律に合わせて楽しそうに歌っている。
だけど全員がそう、という訳でもなく。
涼花はその中でも全く歌おうとしない少年のことが気になった。
「あの、すみません。彼は?」
涼花の指し示す方向に、園職員は少し苦笑する。
「あぁ、ハルタくんです。彼には我々も手を焼いておりまして」
聞けば、ハルタは何にも興味を持たないことで職員たちの間では有名だそうだ。
普段から、むっとした顔で不機嫌そうにしていることがほとんどだそう。
先生や周りの園児たちにも無愛想で、いつも孤立している少年だと。
涼花はそうは聞いたものの、何となく、気になってしまった。
(ああいう子にこそ、音楽が寄り添うべきです)
彼女は、純粋にそう思った。
様々な音楽にたくさん触れてきた涼花だからこそ。
彼のような人に、音楽を好きになってもらいたい。
涼花はバッグからギターを取り出し、先生の奏でるピアノにアレンジを加える。
それにより、曲は一気に華やかさが増す。子どもたちはわぁっと喜びの色を示した。
その変化に、ハルタの顔つきも変わっていた。
目を丸くし、アレンジを加えた涼花の方をじっと見つめる。
涼花もその視線に気が付き、さらに音を連ねていく。
そのアレンジは感情を優しく揺さぶり、柔らかく弾むようだった。
子どもたちの表情もより明るくなり、それぞれの声がはっきりとしていく。
それでもハルタは歌う素振りは見せなかった。
しかしそれ以上にアレンジを聞いた時の表情の変化が、涼花にとっては嬉しかった。
決して、彼は無感心などではない。
そうじゃなきゃ、あんな驚くような表情をしません。
「ねぇ」
音楽の時間が終わり、他の園児たちは教室を移動し始めていた時。
ギターをバッグに仕舞おうとしていた涼花に、誰かが話しかけてくる。
「あなたは……」
ハルタだ。彼は最後まで歌おうとせず、ただ涼花を見つめ続けていた。
「それはなに?」
「それ? あぁ、このギターのことでしょうか」
「ぎたー、っていうんだ」
ふぅん、とハルタはギターにかなりの興味を示していた。
「ハルタさん、ギターを見るのは初めてですか?」
「うん」
「では、この弦を軽く弾いてみてください」
「はじく?」
どういう動きなのか理解出来ていなさそうなハルタに、涼花は手本を見せる。
心地好い音が部屋に響き、その音にハルタは目を閉じる。
「いいおと、なった」
「はい。鳴りましたね」
「おとをならせるの、ぴあのだけじゃないんだ」
「世界にはたくさんの『楽器』と呼ばれるものがあるんですよ」
「がっき?」
ハルタはそれはどんなのがあるの、と食い付いてきた。
どうやら彼は無関心なのではなく、世界をまだ知らないだけのようだった。
仕方ないです、だってまだこんなにも幼い子なんですから。
「そうですね、私が知る限りでは」
涼花は自分の知る楽器のことを分かりやすく説明する。
ハルタは少しずつ、強張っていた表情を崩し始めた。
「いろんながっきのおと、ききたい」
「本当ですか? では今度、ここでライブをしましょうか」
「らいぶ?」
ハルタはまたしても首を傾げた。涼花は音楽のお披露目会だと説明した。
すると彼は黙ったまま目を輝かせていた。やはり音楽に興味を持ってくれたらしい。
ならば、私に出来ることは──。
“ハルタさんや他の音楽をまだ知らない子たちのために演奏会をさせてほしい。”
涼花は園職員たちに頼み込み、10日間の猶予とライブの開催の許可を得た。
すぐさま、知人の音楽家たちに声を掛ける。
『こども園で子どもたちに音楽を知ってもらうためのライブをします。どうかご協力を』
その文面をSNSで発信した。
すると、多くの音楽家たちが賛同のリプライを送ってくれた。
その中でも、10日間の練習期間と最も都合の良い3人のメンバーと連絡を取り合った。
音を奏でるにも多少の相性はあるため、その辺も含めて。
ライブの練習はこども園から離れた都心のスタジオで行った。
どの子どもたちにも、サプライズとして喜んでもらいたい。
その涼花の想いを汲み取っての判断だ。
楽器はそれぞれギターとボーカルの涼花に加えてキーボード・ベース・ドラム。
実にシンプルなバンド構成ではあるが、子どもたちに良い影響を与える最高のメンツだ。
サプライズが好きな四人組による、子どもたちのための演奏会<ライブ>。
特に興味を持ってくれたハルタさんに、どうか届いて欲しい。
その一心で、涼花はひたすらに音に想いを乗せた。
涼花たちによる演奏会<ライブ>当日。
参観も兼ねている今回のライブには、子どもたちとその家族がその時を待ちわびていた。
普段はこのようなイベントは数少ないため、彼らの期待が高まっているのが分かる。
「何だか緊張、してきました……」
観客の多くが子ども、というのもあるのだろう。
しかし、そのドキドキと同時に楽しみたいというワクワクも溢れてきていた。
「HEYHEY! 涼花はいつものように音を楽しめば良いのさ」
ドラム担当のの陽気な男性がそう言って、元気づけてくれる。
「そうですよね、その良さを伝えるためにやるんですから」
「そうそう。その気持ちさえあれば、大丈夫だよ」
キーボード担当の物腰柔らかな青年も優しく微笑む。
「ありがとうございます」
「涼花の良さはあたしたちが引き出すからさ、モウマンタイ!」
ベース担当の女性もにっこりと笑顔で涼花の背中をぽん、と叩いてくれた。
大丈夫です、きっとこのメンバーなら。
涼花は静かな情熱を燃え滾らせ、三人と円陣を組んだ。
「必ず、音楽の素晴らしさを伝えていきましょう!」
『あいよ!』
大きな掛け声とともに、四人は小さな舞台<ステージ>へと向かった。
「だれかでてきた!」
四人がステージに現れると、一人の園児がそう言った。
楽器のチューニングは事前に済ませてある。あとは、大きく深呼吸をして。
涼花は息を吐くと、朗らかに挨拶をする。
園児たちの元気な返答に圧倒されてしまうが、涼花は怯まず。
「今日はみなさんにもっと音楽を知ってもらいたくて来ました。このメンバーはそんな私の気持ちに力を貸してくれると言ってくれた人たちです」
こうした言葉よりも、伝えたいことは音楽で伝えます。
言って涼花はギターの弦を軽く鳴らし、爽やかなメロディラインを奏で始めた。
「ねぇ、あのボーカルの女の子。音楽が始まった瞬間に人が変わったようになったわよね」
「本当本当、一体何者なのかしら? ライブとか一度見に行ってみたいわね」
ライブ終演後、そんな家族たちの声が涼花にも聞こえてきた。
当の子どもたちも目を輝かせて、身体を揺らして楽しんでくれていた。
良かった。ただ、この一言だった。
「おねえさん!」
「あ、ハルタさん!」
「らいぶ、すごくよかったよ」
「ありがとうございます」
初対面の時よりも柔らかくなった表情で、ハルタは言う。
「ぼく、いっしょにかなでたい」
「え?」
「れんしゅう、いっぱいする。だから、いつかいっしょにかなでてくれる?」
ハルタの言葉に涼花も嬉しくなって、大きく頷いた。
「はい、もちろんです」