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宝石の中身
登場人物一覧
乙女の細腕は虫一匹だって殺せやしない――今日の儂はひどく不運じゃった。骰子を投げたら酷い目が出たとか、そういうのじゃなくてな。こう。崩れないバベルに引っ掛かってほしいんじゃが。とにかく不運じゃった。これからその事について言葉にしようと思うのじゃが。その前にひとつ。儂は決して中身を知らんからな――それは一週間前じゃったか二週間前じゃったか。もしかしたら無辜なる混沌に来る前じゃったか。儂はいつも通り宝石(からだ)を見ていたのじゃ。診ていたと言うた方が正しいじゃろうな。ちょっと不調だったのじゃよ。ほら。お前にもあるじゃろう。寝床から起き上がれないとか。立ち上がったら不意にくらくらしたとか。そうじゃ。そんな感じじゃ。それで儂はまず『形』から入った。ああ。この場合『形』とは六角形の事じゃな。少しでも欠けていたら一大事じゃ。何せ儂自身の『核』じゃからの。それで結局何も起こらなかったのじゃ。至って正常。万歳ってやつじゃな。だから余計に不安が頭に――次に如何したのかじゃと。医者に診てもらうに決まっているのじゃ。お前だって頭が痛かったりしたら医者を訊ねるじゃろう? 同じ事じゃ。それでとことこふらふら医者の所まで向かったのじゃ。え? その間の出来事? 気にしている余裕も無かったのじゃ。景色がぐにゃぐにゃしてての。もう歩く事で精いっぱいじゃったわ。全てが遅れてやってくる感じじゃの。
む。なんじゃその目は。疑問があるじゃと。儂は薬師だから自分の不調は自分で治せる、じゃと? わからないから困っていたのじゃ。元々病に弱い身体じゃった。仕方なかろう。話が逸れたのじゃ。次に進む……そして儂は医者の所に着いたのじゃ。こんこん。こんこん。居留守じゃった。予想外の展開に儂もひっくり返る寸前。というか意識を失ったのじゃ。よくわからないうちに。ええと。たぶんじゃが数時間は経ったかの。ようやく目が覚めた時には知らない天井じゃった。再びなんじゃその目は。在り来たりでつまらないじゃと。お前、これは本当の話だと何故わからんのじゃ。ごほん……儂は四肢を繋がれておった。其処に覆い被さったのは大柄の男性じゃ。ギラギラした目玉で片手に刃物を持って。今思い返すだけで寒気がするのお。目当ては儂の宝石じゃったわ。皮膚ごと摘出するつもりじゃったらしい。
らしいってのは。そう。儂はここで元気に語っとる。脱出出来たって事じゃな。間一髪じゃったぞ。枷の強度がギフトで開けられる程度で助かったのじゃ。ぎぃぃと手を開いての、こう、くいっと。外れたのじゃよ。そうしたら男を吹っ飛ばしてそのままさようならじゃ。命? 生死までは知らないの。儂も必死じゃった。どんどん離れる建物が雨のように過ぎ去っていった――ああ。不調の原因は不明のままじゃ。その後の記憶はサッパリでの。なんじゃ。その目は。そういえばお前、随分と震えておるんじゃが。大丈夫かの? 風邪でも引いたか? 今日はゆっくりと眠るべきじゃ。儂がとっておきの薬を作ってやるからの。待っておれ。
出来たのじゃ。そこまで強い薬じゃない。一口含めて一晩休めばバッチリじゃ。ぬ。なんじゃと? 儂も今日は床に向かうのじゃが。横になるのは止めろじゃと。熱でも出てるんじゃないか? お前、先程よりも顔色が悪いんじゃが……仕方ないの。ほら。儂に掴まるんじゃ。そうそう。その前に風呂場で汗を流したいじゃと? 儂もそこまで付き添ってやろう。遠慮するんじゃない。大丈夫じゃ。見た目はあれじゃが儂は魔女。姿見まで。
なんで儂は気付かなかったのじゃ。なんで儂は知らなかったのじゃ。なんで儂は『今』――解らない。判らない。お前は最初から見ていたのじゃな。儂の不調の原因を。そりゃ。儂だってそんな部分見ようとはしないのじゃ。視なかったのは『運が良かった』のじゃろう。ああ。しかし。儂の目の前でぷるぷるしている、帽子の中身の中身が――な。なんじゃ。急に暗くなりおって。儂は今。今。今。此処にいるのじゃぞ。遠くになんて行きたくない――ブツン。ツーツーツー。
儂が逃れてから何年が経過したのか。儂(身体)を逃してから何年が経過したのか。おそらく儂の『からだ』は気付いたのじゃ。大柄な男が今日もやってきて、儂の表面に触れていく。ふにり、などと、馬鹿げた感触を残して――そうじゃ。儂は宝石。お前の唯一の宝石じゃ。もっとも、今の儂はどうしようもなく皺々じゃがの。まさかここまで縮むとは思わんかった――ぶ。ぶぶぶ。ぶぶぶぶぶ――うるさい術式(みそ)じゃ。
がばり――起き上がる。酷い悪夢を『読んだ』気がするのだ。幸いにも内容は記憶していない。クラウジア=ジュエリア=ペトロヴァーは朝……昼の支度を成し、強烈な幻想を振り払うべく外へと歩み出した。きっと騒がしくも面白い一日が始まるのだろう。齢2000の大魔女は【時間感覚が隔絶している】