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空に向かって落ちていく。或いは、銀色の折り紙…。
登場人物一覧
●空へ向かって落ちていく
青くて、広い、綺麗な空だ。
ふわり、と身体が浮く感覚のなんと心地良いことか。
善なる者は明るい場所で。
悪なる者は暗い場所で。
誰がそう決めたわけでも無いが、世の人間の多くは自然とそういう風に自身の生きる場所を定めていくのだ。
そして、所が変われば常識も変わる。
例えば、此度の舞台においては人の命はブランド物の服の汚れより安いのだ。
「あーあ、やっちまいやがった」
頬杖をついて煙草を吹かす細身の男は、通りの奥へ視線を向けてそう言った。
サングラスで目を隠した男の顔には、額から頬にかけて深い傷跡が残っている。かなり深くまで斬られたのだろう。傷跡を境に顔の右と左のバランスが少々おかしくなっていた。
「だってよぉ、兄貴。こいつ、俺の服に汚れを着けやがった。ったく、買ったばっかなんだぜ?」
そう答えたのは、通りの奥に佇む巨漢だ。
鍛え抜かれた鋼のような肉体を、薄手のシャツで包んだ彼が痩身の男を振り返る。仕立ての良い、派手な柄のシャツはしかし、真っ赤な血で斑に染まっているではないか。
巨躯の男の顔や手も、誰かの血で濡れている。
きっと、男の足元に倒れ伏している若者の血だ。
「やられたらやり返す。倍返しが基本ってのが俺らの流儀だがな……何も殺すこたぁねぇだろ」
「兄貴まで“命は大事に”なんて、正義面した弱虫どもみてぇなこと言うのかよ」
「そうじゃねぇよ。殺すなってことじゃねぇ……俺が問題視してんのはその後だ。おめぇ、この死体をどう処理すんだ? 放置してりゃ臭うだろうが」
「あー、っと。そういうことか。どうしてんだ? 俺、そういや死体の片し方なんて知らねぇな」
「だろうな。だから毎回、ボコスカ殺っちまうんだ。その度に俺や、俺の手下どもが死体の処理に奔走すんのさ。知ってるか? 人間1人、解体するのも、埋める穴を掘るのも、溶かすのも、沈めるのも、どれも結構な重労働なんだぜ?」
そう言って痩身の男は遺体に近づき、その顎を足で蹴飛ばした。
脱力した男性の遺体は、それだけでごろりと仰向けになる。
その拍子に、遺体の懐から何かが零れた。
陽光を反射するそれは、どうやら銀の折り紙のようだ。
「なんでぇ、硬貨かと思ったが折り紙か」
巨躯の男はつまらなそうにそう呟いた。
一方、痩身の男はというと、どういうわけか顔色を青くさせている。
それから、慌てて視線を右へ左へと動かして、懐に下げた拳銃へと手を伸ばす始末。兄貴分の取り乱しように気づいた巨躯の男は目を丸くしている。
「兄貴? どうしたってんだい?」
「あ? どうしただと? お前“銀の折り紙”を知らねぇのか?」
「銀の折り紙? 知ってるが……なんでぇ兄貴、折り紙恐怖症だとか言わねぇよな?」
「ちっ……大男、総身に知恵が回りかね、ってか。いや、知らねぇなら教えてやってもいいが……死体はここに放っておけ。一刻も早くこっから離れるぞ」
話は後からだ。
痩身の男は周囲の様子を警戒しながら、慌てたように急ぎその場を離れていった。
「銀の折り紙を持った者には手を出すな」
街の住人たちの間で、まことしやかに噂されている都市伝説だ。
ある日、気づくと銀の折り紙がポケットや懐にある。
いつそれを入れられたのかは分からない。
ただ1つ、確かなことは、その結末だけ。
銀の折り紙を持つ者は、数日以内に必ず死体で見つかっているということだけだ。
それも、首や胴を一太刀のもとに断ち斬られた哀れな状態で。
誰が言いだしたのだっただろうか……銀の折り紙はマーキングだと。
なるほど、それは言い得て妙だ。
銀の折り紙を持つ者は、つまり死神に気に入られたのだ。
そして、死神のお気に入りに手を出した者が無事でいられるはずもなく……。
「銀の折り紙を持った者を殺めれば、次はお前が死神の報復を受けることになる……だって?」
朝日が昇る頃、巨躯の男は家路についた。
昨夜、兄貴分から銀の折り紙の噂について聞いた彼は、その脚で行きつけのバーへと向かった。
彼の胸中を占めるのは、兄貴分に対する呆れと侮蔑の感情。
謀略で鳴らしたあの男が、たかだが噂の1つ程度に何をそんなに怯えているのか。
「まぁ、兄貴は腕っぷしが強いわけじゃねぇからな。やっぱ最後に頼れるのは、己の身体1つってわけだ」
一晩、兄貴分への不満を肴に飲み明かした彼はアルコールに浸った脳でそんなことを考える。
そんな彼の前に、白と黒の髪色をした女が1人、現れたのはその時だ。
「あ?」
彼女は、にぃと口角を上げたいかにも弑逆的な笑みを浮かべ……。
「最後なんですから、もっといいお酒を楽しめば良かったのではぁ?」
なんて。
彼女が言った、その瞬間……。
「あ、あお……空?」
ふわり。
身体が浮く感覚と、視界一杯に広がる青色。
空に向かって、落ちていく。
それが彼の最後の言葉。
その日、1つの命が消えた。