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傍らの日々はこの先も
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ふわりと潮風が鼻をくすぐる。どこかで鳴いているのはカモメだろうか。みゃあみゃあと鳴いていれば、それはウミネコだとカイト・シャルラハはちいさな恋人に教えてやった。
そうなんだ、とカイトの肩にちょこんと座った少女は、少しだけ高くなった視界で空と海を見比べる。
「いいお天気になってよかったね」
「ああ、折角の日に傘を差すなんてもったいないからな」
まぁ例え雨が降ったとしても、リリーが居れば楽しいけど。そう続けた青年の言葉に、リトル・リリーはほんのりと頬を赤らめる。だって危険と隣り合わせのせわしない毎日の中、今日は貴重なデートなのだから。
彼女の希望に沿ってカイトの選んだデートプランの第一弾は、海洋王国にある海辺の街での食べ歩き。煉瓦造りの街並みでは、市場がカラフルなテントを張っている。
市場と共に立ち並ぶ屋台や料理店は、客を呼び寄せようとあちらこちらで賑やかな声を響かせていた。ちらと視線を向けてみれば、海の街らしく魚介類を使った料理を多く見かける。オリーブオイルで焼く鉄板焼きや、イカスミパスタにシーフードたっぷりのパエリア、香ばしいアヒージョも美味しいかもしれない。
店に入るのもいいけれど、この街並みの散歩を楽しみたいと思ったから。二人で選んだのは、すこし硬めのパンを使ったサンドイッチ。挟まれた具材は、新鮮なレタスとトマト、細かく刻んだ玉葱。かりっと揚げられた白身魚のフライを主役に、屋台の主人特製ソースが絡み合う。
「フライは揚げたてだからね、火傷に気をつけて」
主人はリリーの為にちいさくカットもしてくれて、普通サイズを大きなひと口で頬張るカイトにつられて、少女もぱくり。口の中いっぱいに広がる美味しさに、思わず顔が綻ぶ。そんな恋人の姿を見れば、青年も嬉しくなって。
「リリー、美味いか?」
「とっても!」
秋の深まる海風は少しばかり肌寒いけれど、二人の恋の熱があればそんなものはへっちゃら。メインディッシュを食べたなら、今度は甘いものも欲しくなる。砂糖をたっぷりまぶした揚げパンに、三段重ねまでオッケーのジェラート、ホイップたっぷりのカップケーキ。熱々の甘いスイートポテトまで売っていて、どれにしようか迷ってしまう。
「食べきれないなら俺が全部食べるからさ、リリーの食べたいものを選んでくれよ」
キミが喜ぶ顔が見たい。困った様子の少女に向けて、鷹の青年はそう言ってにぱっと笑う。それじゃあ、と。あれやこれやと食べたい物を厳選すると、それでも十分お腹いっぱいになるだけの買い食いになってしまった。
「こんなにかわいい恋人が居て羨ましいね、お兄さん!」
「ああ、自慢の彼女さ」
ジェラート売りのちょっとしたからかいにも、カイトは堂々と返してみせる。もう、と青年の羽毛に顔をうずめて、リリーは照れる顔を隠した。
美味しいものでお腹がいっぱいになった頃。そろそろ行こうか、とカイトが次の行き先への移動を提案した。うん、と頷いたリリーを、しっかりその背に乗せる。数えきれないくらい一緒に飛んだ空だから、リリーは決して落ちたりなんてしない。そもそも、カイトが彼女を落としてしまうことなんてありえないのだけど。
海の街を越えてしばらくすれば、小高い山々を見下ろせる。赤や黄色、茶といった秋彩に染まる緑の群れが、季節を確かに知らせてくれる。
「この時期の山も、春や夏と違って綺麗だよな」
「うん。木の葉がまだ散ってなくて、優しいグラデーションみたい」
彼のあたたかな背中は、リリーだけの特等席。やっぱり空の旅は、あなたと二人が一番楽しい。そんな想いを、ぎゅっとカイトに抱きつくことで示してみせる。ちいさなやわいいのちは、青年にもはっきりわかる。ほら、とカイトが指差した先、太陽が徐々に沈む。
「こういうのをさ、マジックアワーって言うんだぜ」
「素敵な言葉! なんだか、見てるだけで魔法にかかっちゃうみたい」
とろりと夕闇が降りる中、すこしずつ空を夜闇が包んでいく。淡いピンクに宵彩が融け合って、静かに太陽が眠ろうとしている。豊穣郷では逢魔時という響きもあるけれど、二人で見つめる淡くどこかやさしいこの色彩には、おまじないのような言葉のほうがよく似合った。
いよいよ太陽が眠りに就いて、空は夜の独壇場。ひときわ大きな山のてっぺんに降り立つと、そこは拓けていて、黒い影になった山々や海辺の街の灯りがぽつぽつとわずかにわかる。
「リリー、空が見えるか?」
自分の頭の上に恋人を乗せて、指を差す。その先をリリーが見上げれば、わぁっと華やいだ歓声があがった。
街灯ひとつないこの場では、満天の星空だけが美しい明かり。夜いっぱいに零れるきらきらとした金平糖が、無数に広がっている。あちこちに散らばる星屑だけれど、それらがやけに集中的に存在する箇所もある。大河のように流れていくのはミルキーウェイで、名前の通りの甘い川のかたちを成している。
「すごい、すごいねカイトさん! こんなにいっぱい星が見られるなんて……!」
「此処にリリーを連れてきたかったんだ」
何が起こるかわからない、そんなイレギュラーズの生活は苦しいこともある。彼女の人生にだって、カイトが知らない間にも様々な困難があっただろう。だからこそ、自分が幸せにしてみせる。そんな誓いにも似た想いを、青年はまたひとつ強くする。
「ねぇ、カイトさん」
ふいに鷹の毛並みを撫でて、少女が恋人に呼びかける。ん、と青年が応じると、ちいさな指先が空を指す。
「リリー、あの星がカイトさんみたいだなって、思ったの」
え、とカイトがその指先へ視線を遣ると、無数に煌めくどんな星々よりも、いっとう輝く一番星。あかあかと燃ゆるそれは鮮やかな彩をしていて、けれど決して攻撃的には見えなかった。
「明るくて、でもやさしくて、強くひかってて。ああ、カイトさんだって」
ぶわ、と鷹の毛並みが逆立つ。急にこみあげてきた感情は、間違いなく愛おしさ。此処から彼女の表情は見えないけれど、きっとふんわりとした笑みを浮かべている。ぎゅっと胸が苦しくなったような気がして、カイトは思わずぐらつきそうになった自分の身体を支えて笑う。
「なら、リリーはあの星だな」
ふっと目についた星を指差す。一番星のすぐとなり、そっと寄り添う白い星。それを見つけたリリーが黙りこくって、けれどふふ、と嬉しそうな笑い声がはっきり聴こえた。
――ああもう、どうしたらいいだろう。こんなにかわいいキミを、ますます俺はすきになっていく。
「リリー、今日はもう家に帰せないからな」
「え、」
選択肢はひとつだけ。かわいい獲物を自分の巣へお持ち帰りするしかなかった。
冬ほどではないけれど、秋の深まる夜半は昼間よりもいっそう冷える。けれど、甘いケーキと温かい紅茶があれば、暖房要らずのぬくもりが二人を包む。
「ケーキ、美味しいね」
お土産に買ったカップケーキは、ふわふわな生地にほんのりとやさしくあまい味。幸せそうにもきゅもきゅとスイーツを堪能するリリーの口元には、うっかりホイップクリームがついていて。
「ついてるぞ」
「え? ひゃ、」
カイトは指先でそうっとクリームを拭ってやれば、そのまま自分の口元へ持っていきぺろり。嘴から覗く赤い舌に、少女は心臓が跳ねあがる。
「はは、リリーはかわいいな」
目を細めて、再び爪が当たらぬようしろい頬をやわやわとさする。昼間よりもすこし艶のある青年の声が、これから起きる出来事をリリーに自然と想像させてしまう。二人でカップケーキをぺろりと平らげたあとは、おいで、と伸ばされた手の中に。
壊れてしまいそうな宝物を、丁寧に掌に乗せてベッドに腰掛ける。それだけで、少女の頬が真っ赤に染まるのがわかった。
「まだ慣れないか?」
「……ん、ちょっと、緊張しちゃう」
ぽつぽつと、白百合の花に似た可憐な貌が俯きながら想いをこぼす。
「で、でも――相手がカイトさんだから、すっごくうれしい。えへへ」
なんちゃって、と少女が続けるより先に、青年は優しく嘴を彼女の頬に当てる。彼女の体躯を思いやる、猛禽なりの愛情表現。決して逃がさず、大事に大事にしたいじゃないか。
たとえ一秒一瞬でも、キミと一緒に過ごしていたい。
「ずっと、愛してる」
「――うん」
少女の服のあわいがほどかれて、ふたりの夜は更けていくばかり。
おまけSS『病める時も、健やかなる時も』
秋の朝はちょっぴりさむい。それでもぽかぽかとしているのは、此処が愛する人の巣の中で、彼の腕の中だから。
窓から差し込む陽の光が、彼のふわふわの羽毛にきらきらと反射している。当の本人はまだ眠っているようだったから、ちいさな身体でそうっと頬をくっつける。
「カイトさん。リリー、とっても幸せだよ」
願わくば、あなたの傍でずうっと一緒に。どんなことがあっても。
――だいすき。
少女の愛の囁きに、青年がうとうとと目を覚ます。