PandoraPartyProject

SS詳細

黄昏、迫りて

登場人物一覧

金枝 繁茂(p3p008917)
善悪の彼岸
金枝 繁茂の関係者
→ イラスト

●いつかの春

 障子越しに届く、柔らかな陽光。
その奥で、角の生えた頭を掻き、無駄なく引き締まった身体で硯に向かい、色白の腕で筆を執り、生真面目そうに小さく唸る男がいた。

「新樹、そろそろ休憩にしないか?」
「ああ、繁茂。そうだな、そうしよう」

襖越しに柔らかい声で応えれば、そっとそこが開かれる。
新樹、と呼ばれた男とは対照的な色黒で、逞しい筋肉に覆われた腕は、それでいて丁寧に盆を抱き。ふわりと吹き込んだ風は、長く伸びた金髪を柔らかく揺らした。

「そういうと思って、茶と菓子を用意した。折角だから縁側でどうだ? 今日はこんなに綺麗な日が出ているのに、見ないのは勿体ない」
「はは、繁茂の言う通りだな。じゃあ、よいしょ、っと」

新樹が場を移せば、繁茂の肌にも似た漆塗りの盆から、湯気を立てる湯呑と、陽光を照り返すみたらし団子、そしてたっぷり餡の乗ったあん団子が出される。それを見て、新樹はほうと息を吐いた。

「おお、こいつはあの茶屋の」
「この所、ずっと忙しくしていて、なかなか二人で行けなかったろう? 買い出しに出た時に、店主が包んでくれたんだ」
「そうか。婆さんに感謝しないとな」

二人並んで座り、庭に足を投げ出せば、庭に咲く春の花がよく見えた。
そっと綻ぶ梅の花、その足元に並ぶ、名前も知らぬ野の花。流れる雲は薄く広がり、今にも青空に溶けてしまいそうで。新樹はそれを見上げて、眩さに目を細めた。

「休日も勉学に励むのはいいが、たまには外も見た方がいいぞ。それに一箇所にずっと座ってばかりだと、身体を悪くするぞ」
「はは、繁茂に気を遣わせるなんて。兄貴分失格だな、俺は」
「いいんだよ、お前を守るのが俺の仕事なんだから」
「なんだ繁茂、昔は泣き虫だったのに、随分格好良くなっちまって」

その言葉に繁茂は、む、と唇を尖らせた。

「なんだよ、俺がギャアギャア泣いてたのは、子供の頃だけだぜ?」
「そういやあそうだった。初めて会った時は、とても元気に泣く赤ん坊だったっけな」

食べ終えた串を置きながら、そういえば、と新樹は更に口を開いた。

「……泣いたといえば、覚えてるか、繁茂」
「何を?」
「ほら、寺の皆と、春の山菜採りに出かけた日。その日も丁度、こんなにいい天気だったろ。そこで繁茂、お前一人だけ迷子になってさ。それを、俺が見つけて……」
「馬鹿っお前、こういう時だけ恥ずかしい話をするなって!」
 
咄嗟に誤魔化したけれど、答えは一つに決まっていた。

(……覚えているも何も、忘れられる訳が無いだろう?)

そう思う間に、蜂蜜のように輝く髪に、無意識に手が伸びていた。




「住職さまー、やっぱり、はんも、見つからないよ」
「むむう、やはり、あの子を連れて行くのは早かったのじゃろうか……」

繁茂は、あの年その山に入った子の中で、一頭幼かった。もしそんな繁茂が、途中で疲れて動けなくなっていたら? 一人ではぐれたその先で、獣に襲われてしまったら?
その時、新樹が一歩進み出て、こう提案したのだ。

「住職は、先に皆と戻っててください。俺、もう少し探してみます」
「しかし新樹、お前は」
「大丈夫です、ここは何年も通ってる山ですから。それよりも、皆が限界を迎える前に、寺で休ませてやって欲しい」

住職は振り返り、後続の子供達の様子を確かめる。
事実、姿の見えぬ繁茂を探し続けた子供達の何人かには、既に疲労の色が見えていた。
ここに大人達しか居ないのであればまだしも、このまま成果の上がらぬ捜索を続けていては、子供達が下山する体力も危ぶまれる。それに、この山菜採りはあくまで日中で終える予定だった。夕暮れも迫る中、明かりも持たず子等の多くを巻き込むのは、確かに得策ではないように思われた。

「じゃが……」
「新樹、あたしも残って一緒に探すよ」
「いや、いい。それより、今日の食事当番はきみだったろ。早く今日摘んだそれを使って、皆に美味しいもの、食べさせてやってくれ。じゃ!」
「新樹!」

言うなり新樹は、更に山を駆けていった。
例えば、これぐらいの茂みに埋もれてるのでは──居ない。
まさか、木の洞に入って遊んでるんじゃ──違う。
もしや、あの池に溺れては──居なかった。

遠くに夕日が滲む。このまま、夜の静寂に彼を置いて行ける筈もない。
その時。

──♪ ♪♪ ♪──
「歌……?」

酷く聞き覚えのあるフレーズ……それもその筈。これはいつか、赤ん坊のアイツを背中に、歌ってやった子守唄。今でも時折口遊む、思い出の歌。
歌に導かれるように、新樹の足はそこへ向かう。辿り着いた先には、今にも夕日に溶けてしまいそうな、可憐な花々の中で。一度夜の闇が迫れば、あっという間に飲まれそうな程に小さな身体の繁茂が、一人そこに蹲っていた。

「繁茂!」
「あ、しんじゅにいちゃん!」

慌てて繁茂のもとに駆け寄り、しゃがみこんで視線を合わせる。本当なら『心配したんだぞ』とか『勝手に皆から離れるな』とか、叱りつけてやりたかった。
だが、ぽてぽてと歩み寄った繁茂が『はい!』と差し出したのは、小さな小さな花束で。それをぎゅっと、新樹の胸に押し当てる。

「……お前、まさか?」
「えへへ、にぃちゃんに、これあげりゅ!」

あどけない笑顔にすっかり牙を抜かれてしまった新樹は、その代わりに静かに笑みを浮かべた。そうして、繁茂の頭にそっと手を載せ、撫でた。

「にいちゃん、くすぐったいよぉ」
「……ありがとう、繁茂。キレイな花を見つけて、持ってきたかっただけ、なんだよな。……待ってな、繁茂。もっと良いもの、あげるから」

そう言うと、新樹は足元の花を幾本も摘み取り、器用に指で編んでゆく。そうして完成したのは、桃や白や、優しい色に彩られた花冠だ。

「わあ、にいちゃん、すっごーい!」

新樹の作品を見てはしゃぎまわる金糸のような繊細な髪に、とん、とそれを優しく載せた。

「え?」
「これ、繁茂にやるよ。お花のお礼だ」
「……しんじゅ、にい、ぢゃん」
「なに」

見れば、繁茂の瞳は潤み、表情はぐしゃぐしゃになっていた。

「ありあ、うぇっ、うえええええ……!」
「ははっ、なんだかんだ言って、一人で寂しかったのかあ? 背中に乗りな。おんぶしてやるから一緒に帰ろ」

こうしていつもの歌を歌い、闇迫る山から、ゆっくりゆっくり帰っていく。
今尚、忘れ難い春の一幕だった。

──俺だけの花冠、俺だけの笑顔、どっちが嬉しかったのか。今ではどうでもいい話だ。



「で、あの後、皆にめちゃくちゃ怒られたんだぜ、俺達」
「……ああ、そうだった。でも、その後食べた炊き込みご飯が、すごく美味しかった」

団子と茶が尽きても尚喋り通す彼らの間を、暖かな春風が通り抜けた。

「そういやあ繁茂。今日の夕餉は何だ?」
「先程団子を食べたばかりだろ。……昔話をしていたら、すっかり炊き込みご飯の口になってしまった。今日はそれにしよう」
「本当か? 楽しみだ」

そっとはにかむ笑顔は、あの頃と何一つ変わらなくて。

──幼い俺を守ってくれた新樹。これからは、俺が側で、彼を守り続けよう。

あの頃よりずうっと逞しく、強くなった自分なら、そんな事が出来ると、信じていた。こんな日々が続くと、ただただ願っていた。

あの日、新樹に渡した花束が、腐れ捨てられてしまったように。繁茂が貰った花冠が、枯れて崩れてしまったように。
全てのものは、いつか終わりがやって来る。
そんな当たり前に、気づく事が出来なかった。

おまけSS『花より談語』

「そういえば、お前。職場ではどうなんだ?」
「ん、順調だよ。長くかかったけれど、ようやく、獄人向けの教育環境が整えられそうなんだ。あの霞帝にも、会い見える事が出来た。遠目ではあったが、とても素晴らしいお方だと、改めて感じたよ」
「それもそうだが……ほら、あの娘とは、どうなんだ?」
「ぶっ!! ……お前、どこでそれを」
「茶屋の婆さんから、神樹が恋煩いしていると聞いたんだ」
「婆さん、秘密にしてくれって言ったのに……!」
「で、どうなんだ?」
「……何も、できてない」
「駄目じゃないか」
「……だって、俺個人の恋よりも、八百万も獄人も関係なく、別け隔てなく学び、暮らし、生きていける世界を作ること。そっちのが先だろ。俺の事なんて二の次三の次だ」
「そうだな、自分の事を後回しにしすぎて、気づけば書斎も散らかっているからな」
「うっ……い、いつも……家のことをお前に任せて……悪いな、繁茂……」
「いいんだよ、新樹が仕事に集中できているんなら。その為の俺だ」
「ああ、本当に助かっているよ。炊事選択掃除のみならず、お前が外に出てくれているから、安心して勉学に打ち込めたし。式部省に入れたのも、お前のお陰だ」
「俺は、俺のやりたい事をやっているだけだ」
「本当にありがとう、繁茂」
「礼なんていい。だって、上京する時に約束したじゃないか。『俺が新樹を助け、守る』とな」
「ふふっ、これからも頼りにさせてもらうよ」
「……ああ、任せてくれ」

PAGETOPPAGEBOTTOM