PandoraPartyProject

SS詳細

3 days

登場人物一覧

ゼファー(p3p007625)
祝福の風

 鼻先を擽ったのはペトリコール。幻想王国の密やかなる裏路地に漂う気配は風に乗る。
 曇天の空の下では女の白銀の長髪も輝きを帯びることはない。しめやかに俯いた儘、路地へと潜む。
 スラムと呼ばれた鬱蒼としたその場所にゼファーは仮宿を得にやってきた。一晩だけ、雨を凌いで眠る場所を得られるならば其れでいい。
 健やかに伸びた手足を折り畳むだけの場所はどうにも得難くて。成長期を恨みはせれど、後悔することはない。
 アパルメントのベランダを屋根として座り込んで雨凌ぐ。ナップサックに乱雑に詰め込んでいたパンと缶詰が今日のディナーだ。
 師と逸れて幾許か。路銭の確保も覚束ず、その日暮しに輪を掛ければ立派に家無し子の完成だ。秋の湿った雨は体の不調を来すと師は時折言っていた。そんなジョークを重ねれど、雨に濡れれば体調に不調を来すのは何時だって同じだと反論すればがしがしと適当に頭を撫でられる。幼少期の遠い思い出に浸る余裕はどうやらあった。
 ナイフを缶詰へと差し込んで勢いよく開こうとしたゼファーへと影が落ちる。広く、雨を弾いたパラソルは青空の色。こんな曇天に青空なんてまあ。そんな言葉が思わず滑り落ちれば『空』はくすくすと笑って見せた。
「どうしたの? 宿屋は雨で生憎の満室だったのかしら」
「まあ、そんな所ね。貴女が宿を恵んでくれるってんなら話は違うけど」
 ゼファーが見上げた女は濃い化粧でかんばせを覆い隠した美しい金髪の娘であった。縁取られた二重瞼にパールが輝いて睫が影を落としてぱしりと音を立てる。
「良いわよ。ワケありはお互い様でしょうし」
 こんな所で女を拾うのだから理由がない訳もない。梣の槍を手にゼファーはナップサックに適当に荷物を詰め込んだ。白いワンピース姿の女は名乗りやしない。
 名乗もしない代わりに三日もの間、屋根と壁のある豪華な居室をプレゼントすると云った。普通のアパルメントであるくせに、城の主であるかのように振る舞った彼女をゼファーは揶揄い半分で「プリンセス」と呼んだ。
「ねえ、プリンセス? それで何をすれば良いのかしら」
「あら、どういう事かしら」
「私を拾った理由を聞かせて欲しかったのよ。名も、職業も教えない。その代わりこんな伽藍堂なアパルメントに連れてくるんだもの」
 女はぱしりぱしりと瞬いた。睫の音が彼女のまばたきに合わせて響く。無理に接着した長ったらしい睫に腫れぼったく感じたメイクがなければ彼女はどれだけ美しいだろうか。
 其処だけが生活感を漂わせた草臥れたソファーに座った女は「三日間一緒に居て欲しいのよ」と微笑んだ。

 奇妙な女との奇妙な同居が始まった。その時間も三日程度。短くも長い、今だって柱時計の短針が微動だにせず転た寝をしている位には。
 誰にも使われていなかった白いシーツの上に身を横たえてゼファーは窓の外を眺め見る。目覚めれば今朝も雨が降っていた。三日の間、雨は止まないと聞いている。
 出掛ける場所もなければ、出掛ける予定もない。三日間の宿と食料を恵んで貰う代わりに彼女と一緒に居る『約束』だ。それ位、熟してやろうかとゼファーはドアをゆっくりと開いた。
「おはよう」
 テーブルにはランチョンマット。使い捨ての食器に表通りで売られていた惣菜が並んでいる。切られたバケットがバスケットの中に陳列して食べられる時を待っているかのようだ。
「あら、食事の用意をしてくれたの?」
「まあね。好きなものが何か分からなかったから。私のお気に入りだけど」
 そう笑う彼女は人肌に触れていたいとベッドに潜り込む。
 猫のように眠る彼女を見下ろしながらゼファーは舟を漕いだ。瞼を押し上げれば彼女がいつだって遠くを見ている。そんな姿も見飽きるほどに。密度の高い三日だ事とゼファーは彼女を眺め遣る。
「ゼファー? 私と居てくれてありがとう。言う気、全く無かったのだけれどね。
 私はもうすぐ死ぬの。だから、最後に誰かと一緒に何食わない日常を過ごしたかったのよ」
 ベッドの縁がぎしりと軋んだ。ゆっくりと体を起こしたゼファーは「そう」と応じる。それだけで、夜が更けていく。
 彼女の厚い化粧の下の姿は結局一度も見たことがなかった。そんな気はしていたとゼファーは煙草を咥えた女の横顔を見遣った。
 金の髪を指先で掬い上げれば心地よい。この三日間、彼女はふらりと猫のように何処かに出掛けては食事を持って帰ってきた。
 仕立ての良いワンピースを一着だけ身に纏っていた彼女の事情は分からない。それでも、三日の区切りはそれ以上も無いのだと知っていた。

「三日ね。ありがとう」
 目覚めれば、身支度を調えた彼女が立っていた。この無機質なアパルメントは彼女が三日間『おままごと』をするために借りた部屋だったのだろう。
 如何して声をかけたのかなんて聞こうとも思わなかった。都合が良かっただけ。それ以外に理由は無いに決まっている。
 自分の本来の姿も、名前も知らない誰かと思い出を残したかったなんて自分勝手な我が儘に都合良く乗っかっただけなのだ。
 扉を開ければ相も変わらず雨が降っていた。青空の傘は折り畳まれたまま。女はゼファーの白い指先をそうと摘まみ上げる。舞踏会でエスコートをするように、雨色へと引き込んで。
「楽しかったわよ、ゼファー」
「それは良かった。食事と宿をありがとう。助かったわ」
 顔を寄せれば彼女の唇がゼファーの頬を擽った。小さな彼女の背伸びが少し愛おしい。『三日間』、たったの其れだけの関係。
「ねえ、如何して死ぬの?」
「なんてこと無いわ。そういう事情があるの。秘密。……ねえ、最後に我が儘を言っても?」
「どうぞ?」
 彼女の指先が、ゼファーの髪を撫でる。長く伸びた銀髪を撫でた指先がするりと落ちた。
「『  』」
 その響きは、なんて愛おしいのか。
 呪いのように、声音が落ちる。雨のように、しとやかに。
「忘れないで」
 長い髪から雨露が滴り落ちた。マスカラとアイシャドウが混ざり合って黒い雨粒を生み出した。立ち竦んだ彼女の白いワンピースは重苦しく色彩を変えてゆく。
 ゼファーはその髪を掻き上げる。嗚呼、やっぱり。「ノーメイクの方が可愛いじゃないの」そんなジョークに彼女は笑って呉れるだろうか。
「私も、忘れないから」
 幾度繰り返せども、彼女に未来という文字はない。それでも忘却を否定する事は願いのようだった。ゼファーは困ったように笑う。
 それは一種の落胆、一種の願望、一時の日常という名前の鎖。美しいビスクドールに焦がれるよりも、呼吸を繰り返し温もりをくれる誰かの方がずっと忘れ難くなるのだろう。
 これから生きていく『私』の記憶は濁流のように川を溢れさせて、彼女の事など遠い未来へ消し去るのだ。
「ごめんなさいね」
 唇に乗せた慣れた謝罪は雨音に打ち消された。

 ――雨音か。リズミカルに、耳朶を擽り落ちてゆく。開けっ放しになっていた窓から吹き込んだ水滴がラグにまで落ちている。
 鬱陶しいじっとりとした空気を吸い込んでからゼファーはぼんやりと思い出す。

 貴女が忘れたって、私は屹度覚えてる。秋霖は嫌というほどに付き纏って皮膚の様に張り付いて二度とはもう剥がれない。
 何時か瘡蓋になって綺麗さっぱりなくなるまで何時だって思い出すのだろう。あの、笑い声を。

  • 3 days完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別SS
  • 納品日2021年10月12日
  • ・ゼファー(p3p007625
    ※ おまけSS『秋霖に君思ふ』付き

おまけSS『秋霖に君思ふ』

 二年の年月が流れ、ゼファーは気が向いたようにふらりと幻想王国の路地裏に逃げ込んだ。
 やけに湿っぽい空気が肌に纏わり付いたからだ。アパルメントのベランダを雨避けにポケットから取り出したキャンディを咥えて息を吐く。

 ――私はもうすぐ死ぬの。だから、最後に誰かと一緒に何食わない日常を過ごしたかったのよ。

 ええ、そうなんでしょうね。
 彼女の厚化粧は素顔を隠し、彼女の笑顔は名前を隠した。それでも噂には聞こえてくる。
 とある貴族の令嬢が婚約を破棄して逃げ出した。破棄された側は酷く憤り殺してやると叫んでいたのだとか。そんな路地裏の噂に彼女を紐付けることも莫迦らしい。
 ローレットのイレギュラーズであったならば。その手を引いて違う未来を見せてやれたのだろうか。力ない、ただのひとりのおんなであったから。
「逃げましょう」
 なんて言葉を口にすることさえ恐ろしくて。子供のように与えられるものを口にして黙りきって過ごした三日間。

 ――『  』

 唇から零れ落ちた音は、雨に飲まれた。……雨の中の青空は、もう見えないけれど。

PAGETOPPAGEBOTTOM