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夢見るように、偽りを見た
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てのひらを見た。
小さな、子供のものだった。それをルアナ・テルフォードは酷く落胆した様に息を吐く。
彼女は旅人で、この世界には本来は存在しない。だからこそ、欠落した記憶を取り戻すことには随分と時間がかかった事だろう。
元の世界――ルアナ・テルフォードの『元の世界での彼女』を知る者は彼女が大人の女性であり、『勇者』であることを知っているし、彼女に科せられた使命が『勇者として魔王を打ち倒す』事であることも承知していた。
しかし、元の世界で生きていた彼女は勇者であることを知らぬ儘、普通の冒険者として人を助け、心の赴くままに旅を続けていた……のだが、それを彼女の世話役として傍に居る『おじさま』は口にしない。
てのひらを見た。
彼女は、己の記憶が戻り始めていることに気づいていた。
幼少時に勇者として覚醒したという事実。
幼い体での覚醒を危惧した大人たちはその記憶と力を彼女の中に封じ込めたという事。
封印された儘大人になり、冒険者となって――勇者足らん実力を身に付けた事。
彼女はその3つだけを思い出した。たったの10歳。ちっぽけな体で『おとな』になんてなれるわけなくて。
自身には使命があることに気づいては手にした剣を振るう掌に力がこもる。
大人に、なりたい。
大人に――戻りたい。
使命があるならば、その使命を全うしたい。
それは勇者としての当たり前で、この世界で『勇者』として戦う彼女自身の意思だった。
ああ、けれど。
朧気な記憶をたどるように少女はゆっくりと顔を上げた。脳裏に過るのは『おじさま』の事ばかり。
おじさまは、勇者になると走る自分を見守ってくれていただけだ。
それが本当に勇者だって知ったら……?
ルアナの中にぐるぐると渦巻く思いは『本来の使命』を全うするために自身の庇護者を危機に晒す可能性だった。
足元に擦り寄ってきた猫を見遣ってルアナは剣を振るう手をぴたりと止める。
「ねえ、ねこさん。わたし、元の世界では勇者だったらしいんだ」
にゃあ、と返された返答にへにゃりとルアナは笑う。晴天の空の下、曇天のような思いを秘めた儘、見下ろした猫を抱える。
「でもね、自分の事としてまだ認識できないんだよねー。困ったなぁ。
わたしの記憶なのに、他人のものみたいで……本当は大人だったっていうんだけど……」
うりうりと猫を動かしたルアナ。他人事のように感じているけれど、だけれど――
「……でも、わたしに使命があるなら、困ってる人がいるってことだよね。
早く、早く元の世界に戻って魔王を倒さなきゃ……」
決意するように猫をぎゅっと抱き締める。不安をその胸に渦巻いたまま、ルアナはふと、思いだしたように猫を見遣った。
「魔王……? でもね、わたし、魔王の名前も知らないんだよね」
魔王とはどんな存在なのだろう。ルアナはそう首を傾ぐ。
魔王本人が庇護者であり、ルアナにとっての『だいすきなおじさま』が魔王だとは知らないまま――
もしも、彼が魔王だと知ったなら――?
偽りの上で成り立った幸福の関係を失わぬように、ルアナは『おじさま』が心配せぬほどにつよくなるために剣を振るう。
「……ねえ、ねこさん。おじさまは、ルアナが元の世界で勇者だって知ったら、どんな顔するのかな」
彼女は不安げにゆっくりと猫を離して剣を握り直す。
鍛錬して魔王討伐に備えなければならない。
まだ、彼女が『魔王』と知るまで時間があるだろう――子供のままの少女は「おじさま」と小さく呟いて只、静かに剣を振るった。