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無黒とヨタカと武器商人の話~ヴァンパイア~
登場人物一覧
客席はぎっしり。闘技場は熱気と興奮で空気がビリビリと振動している。
無黒! 無黒! 無黒!
エールが、コールが心地いい。無黒は脚で地面をひっかき、コンディションを確認した。今日は絶好調。神経が研ぎ澄まされ、客席の様子までよく見える。ビールやポップコーンの売り子たちがアリのように忙しく動き回っているところまで。
「さあ、次の相手は誰っすかね!」
無黒は両腕を広げ、歓迎のポーズをとった。それを合図に対門が開いていく。客席が静まり返る中、ソレはゆっくりと踏み出した。ゆらりゆらりとゆらめく甘露の銀髪。人を誘う蜜が姿をとったらこんな感じだろうか。その蜜には毒が混じっていて、口に含んだ瞬間しびれて堕ちるのだ。どこかひんやりと非人間めいた、銀色の鉱物のような硬さと魅力。ソレはあまりに闘技場へ不釣り合いだった。事実、客席は静まり返ったままで、ソレの一挙一投足に目を奪われている。その時、静寂をアナウンスが引き裂いた。
「対戦相手、武器商人ーーー!」
わっと客席が温まり、爆発したように両者へコールが送られる。
だが無黒はぽかんとしていた。そうして目をこすり、たまげた。ソレはいつもスイーツを買いに行く店のモノであったゆえ。
(あんな戦いに向いてなさそうなおひとがこんなところにくるもんっすね……)
「いま我(アタシ)が戦へ向いてないと思ったね」
からかいを含んだ声音に無黒は立て続けに驚いた。
「そう思うなら打ち込んでごらん。先手はゆずってあげるよ」
これには無黒もむっときた。安い挑発だとわかっているものの、乗らずにはいられない。
「言ったっすね。先手必勝って言葉を知らないっすか」
不敵に笑い、距離を詰める無黒。そこから一気にダッシュし飛びかかった。獲物を狩る黒豹のような、しなやかで洗練された動き。一ミリのムダもなく、筋肉の動きでさえ最適化されている。
「もらったっす!」
躊躇なく武器商人の首を狙った無黒は……。
「あだぁ!」
次の瞬間土の上で跳ね回っていた。カウンター気味に放たれたナイトメアユアセルフが無黒の眉間へ直撃したのだ。武器商人はただ指一本動かしたに過ぎない。ソレは小さく笑った。
「なんの遠慮もなく急所を狙いに来るその蛮勇、気に入ったよ」
語尾が揺れ、武器商人は片膝を立てて座り無黒の頭を撫でた。
「うう、見くびって失礼したっす。武器商人さんって名前なんすね」
「さァ? キミが観測したままに呼ぶといい。だけどそうだね。キミが我(アタシ)をそう呼ぶのなら、ひとついいものをあげよう。後日サヨナキドリへおいで」
商店街迷宮・サヨナキドリ。迷うほどに店の数が多いのだとか、迷わなければ辿り着けないところにしか店がないのだとか、いろいろと噂は流れているが、どれも本当のことだ。ただ噂の群れは暗闇の中で象を触るように、真実の断片へ触れているに過ぎない。そして真実とは、この迷宮において万華鏡のように美しくもあやふやなものだった。今日も無黒はサヨナキドリへ向かった。多種多様な店が並んでいるが、一度として迷わずにいけた試しがない。入れ替わりが激しいのではなく、客がそれぞれの店舗独自の輝きに魅了されてしまうからだ。
だけど今日はちがう。今日の無黒はまるで誘われるように目的地への最短距離を走っていた。こんな感覚は初めてだった。軒の下をくぐり、屋根の上を飛びこし、道を突っ切り、おいでと呼ぶ声の方へひた走る。
そのうち一軒の店が見えてきた。シャンデリアのように重く蔦が這い、入り口を隠している。中はよく見えないが、武器や鎧を扱っているのだけは窓に映るシルエットでわかる。無黒はそこが目的地だと天啓を受け、足を止めた。
(いいものってなんなんすかね)
好奇心にかられて、無黒はドアを開けた。ドアベルがからりと鳴り、無黒の来訪を告げる。
中は存外広く、古今東西さまざまな武器や防具が陳列されていた。オーソドックスな銅の剣から、撃滅性の機関銃。黒光りする長銃。静かに獲物を待つバヨネット。天井まで届きそうなハルバード。普段遣いにも良さそうな手斧。刃の埋め込まれたブーメラン。やじりの並ぶコーナーには、いっしょに毒とその効能を謳った瓶が並んでいる。そのどれもが一度ならず血の味をおぼえたものだろうことが、容易に想像できた。
なんとなく寒気を感じ、無黒は落ち着かない気分で店内を歩き回った。しばらくすると奥の扉が開き、カウンターの奥へ人が顔を出した。前髪を横に流している男だ。無黒はその美しさに心臓が止まるかと思った。やわらかそうな銀髪に、象牙のようになめらかな肌。すらりとした一見完璧なシルエットはどこか隙がある甘さ。なにより、特筆すべきは左右の瞳。琥珀色の左目と半ば前髪に覆われた真紅の瞳。それは琥珀糖のような柔らかさを持ち、思わず手をのべたくなる。その人は営業スマイルを浮かべ、カウンターの向こうから無黒へ声をかけた。
「いらっしゃい、ここはぶきとぼうぐのみせだ」
「ひとめぼれーっすー!」
「はい?」
無黒はカウンターへかじりついた。
「このあと予定入ってるっす? いっしょにお茶でもいかがっすか!?」
「え、あのぅ……。」
「一目惚れなんっす! いっしょに散歩するだけでも!」
「いや、俺……。」
バチン!
「あだぁ!」
痛みが走り、無黒は床の上を転げ回った。
「我(アタシ)の小鳥に手を出すなら、いいものはあげないよぅ。ヒヒヒ」
いつのまにか武器商人がその美しい人――ヨタカというらしい――の隣に立っていた。ゆるやかに弧を描く武器商人の宵闇の瞳に浮かぶ本気の色。無黒にはソレの掲げた指先が銃口に見えた。
「ひえっ、ご、ごめんなさいっす。もしかして武器商人さんのいい人っすか!?」
「いい人も何もつれあいだよ」
あっさりとそう言われて無黒は納得した。この正体不明の、だけど怪しい魅力を持つ武器商人と、象牙の彫刻のように美しいヨタカは、よく似合いのふたりだった。武器商人がつとヨタカへ近づく、そして首筋へちうと唇を落とした。ほんのりと赤が残る。ヨタカは恥ずかしげに視線を落とした。
「紫月、人前だよ…。」
「なんだいお返しはないのかい。ああつれないことだね、大事な小鳥を目の前で奪われそうになって、我(アタシ)はこんなに傷心だというのに」
「……ぜったいそこまで思ってないだろ…。」
大げさなんだからとヨタカはちらりと無黒を見ると「すこしだけあっちを向いていて…。」と懇願した。
背中を向けて10・9・8……。0になって振り返ると、武器商人の同じ場所に赤い痕があった。
「あ、えーっと、横恋慕してすいませんっす」
「ヒヒ、いいよいいよ。反省してるようだからね。それじゃ本題に入ろうか」
武器商人は小さな宝石箱を取り出した。全体がオパールに覆われていて、にぎにぎしいほどだ。オパールは水分を含む宝石で、それを封じ込めるには相性がいいのだと後に無黒は知ることになる。だがそのときは、なんだかものものしい箱が出てきたなあと単純な感想を抱いただけだった。
「これからあげるものは、形もない、影もない、色もない、匂いもない。けれど必ずキミの役に立つものだ」
そう言うと武器商人は箱の蓋をあけた。ぼんやりと何かが湯気のように立ち上っているのが見える。それはするりと伸びて無黒の体を包みこんだ。急に水の中へ放り込まれたように体が重くなった。息ができない。苦しい。
「かはっ、がっ!」
「落ち着いて深呼吸。肺の奥まで空気を沈める感じで」
喉を押さえた無黒は、指導の通り深く深く息を吸うと、体へまとわりつくそれまでいっしょに体内へ入ってきた。冷えた朝の空気を飲むような感触。悪いものではない、むしろ体が軽くなっていく。何度目かの深呼吸を終えた頃には、すっかり違和感はなくなっていた。
「いまのはなんっすか?」
「雷轟重だよ。うん、融合はうまく行ったようだね。仲良くしておやり。人見知りなコでね。相手をしてくれる持ち主を長い間探していたんだ」
体に気力が満ち満ちている。今なら木の幹のようなオークの太首だろうと狩ることができそうだ。
「真名だけは忘れないようにね。そうしたら雷轟重はキミを食いつぶしてしまうかもしれないだろうから」
「うひっ、きれいな薔薇には棘があるっすね。雷轟重っすね、忘れないっす」
「ときどき氷をかじって与えると喜ぶよ」
「了解っす」
なんだか無性に走りたい気分だった。心が浮き立って、わくわくしている。それが雷轟重の気分でもあるといまの無黒にはわかっていた。
「それじゃありがとうっす、お邪魔しました武器商人さん! つれあいさんとお幸せに!」
礼を言うとすぐに無黒は外へ走り出た。失恋した。でもそれは爽やかなものだった。
「お客様がいらしたの?」
ラスヴェートがひょっこりと顔を出した。
「ああ、そうだよラス…。」
「いい子にしていたんだねラスヴェート」
ヨタカが抱き上げ、武器商人が丸い頬へキスを送る。
「それにしても紫月が武器を送るなんて珍しいね…。」
「そうなんだよねぇ」
武器商人はくすりと笑った。
「なんだろうね、あのコが猫みたいだったからかまいたくなったのかね。自分でもふしぎなんだよ小鳥」
「後悔してる…?」
「いや、その逆だよ。なぜか満ち足りた気分だ。ふしぎだね」
ラスヴェートが手を伸ばし、武器商人に甘えかかる。
「きっとね、お父さんが幸せのおすそわけをしたから。幸せは分ければ分けるほど増えるものって聞いたことあるよ」
「幸せのおすそ分けか。ラスヴェートは難しいことを知っているね」
とうの本人はキョトンとしている。
武器商人とヨタカは顔を見合わせて微笑んだ。
「おとなになると難しくなるんだよね…。いちいち理屈をつけなきゃ、何もできなくなるから」
「そうなのパパさん」
「…ラスヴェートにはわからなくていいよ…。」
親子のやり取りを、武器商人はまぶしげな目で眺めていた。