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君はいつか、どうか、強く羽ばたいて

登場人物一覧

エーミール・アーベントロート(p3p009344)
夕焼けに立つヒト

「さあどうぞ、お使い下さい」
 過去へ戻れる球体砂時計の生みの親は、再び自身のもとに現れたエーミールを興味深そうに見つめ、透明なガラス細工を手渡した。

 エーミールがガラス細工をひっくり返すと、彼の思考が停止して目の前が暗転した。

 気が付くと、またあの研究所の廊下に居た。
 複数の同じ顔が、突然現れたエーミールを不思議そうに見つめるが、すぐに興味をなくす。
(戻ったようですね。……おや? 過去の私は一体どこへ?)

 エーミールが辺りを見回すと、過去のエーミールが落書きをしていた壁の前にしょぼくれた顔でたたずむのを見付けた。

「おや、どうしたのです? そんなに浮かない顔をして」
「またあなたか…… ちょっと怒られてたんだ」
「怒られた?」
「……壁に落書きして、油性ペンで描いちゃって、これ取れないんだぞって」
「ああ、あのクソ雑魚ナメクジどもに怒られちゃったのですね。そんなこと気にする必要まったくないのに。あんな畜生共よりもあなたの方が数百倍…… いや、数億倍優れた生命体なのに」

 その言葉を聞いて、過去のエーミールは少し怪訝な顔をする。
「僕のことを本気で優れた生命体だと思ってるみたいだけど、それは勘違いだよ。僕はね、どうせすぐに死ぬんだ。ここにいる兄弟たちはみんな同じ実験を受けていて、実験が終わったやつが順繰りに死んでいくんだ。僕は生命体として最も弱くて、そして意味のない存在なんだよ」

 と、過去のエーミールが語っている途中で研究者がこちらへ飛んで来て口を挟んだ。
「3055番! 誰だその男は? 部外者を勝手に中に入れてはならないとあれ程……」
「やあ、すみません。私は薬剤を運んできた業者の者です。少し気分が悪いので、ここで休ませてくれと彼に頼んでいたのですよ。邪魔はいたしませんので、少し場所をお借りしてもよろしいですか?」
 咄嗟の嘘で笑顔を作るも、エーミールは心の中で「邪魔だクソ虫」と悪態をつく。
 この研究所に在籍する研究者は皆傲慢で、高圧的で、エーミールはそれが大嫌いだったのを思い出した。

「仕方がないな。落ち着いたらさっさと帰ってくれよ」
「は~い!」

 研究者が背を向けると、エーミールは過去の自分の目線にかがんで、小さな自身の頭にそっと手を乗せて言う。
「落書きは好きかな?」
 唐突な質問に、過去のエーミールはキョトンとする。
「まあ、それしかやることないし…… 好きでも嫌いでもないけど」
「そう。君はまだ小さくて、そしてこの研究所しか知らないから、自分の本当の存在価値について認識できていないんです。でも、前に…… いや、さっき言った通り、いずれ大きな冒険の旅に出て、世界の広さを知って、たくさんのことを経験して、大人になって行くんですよ。そういった経験が、君の存在価値の大きさに気付かせてくれるはずです。今はまだ、クソったれが作った鳥籠の中で生きるしかないけれど、きっとその時は来るから、どうか期待していてください」

 過去のエーミールは、大人になった自分を見つめて言った。
「あなたは本当に不思議なことを言う。僕は長くは生きられない、すぐに死ぬと言っているのに、まるで僕が本当に長生きするかのように僕の未来を語る」
「長生きしますよ、私が保証しましたから」
「はあ…… まあいいや。何言っても通じないみたいだから」
(うんうん、こういうところもありました。懐かしいなあ)

 過去のエーミールは壁に落書きする作業に戻り、大人のエーミールはそれを見つめる。

「何を描いているの?」
「……昨日の実験結果」

(ああ、そうだ、思い出してきた…… こうやって、誰かひとり死ぬたびに、その実験結果を壁に落書きしていた……)
 エーミールは研究者の目を盗んでは落書きを続ける過去の自分を見て、少し切なさを覚えた。
(過去の私の心は無機質で、なにもかも諦めていた。でもこうやって、誰かが死ぬたびにその実験結果を壁に落書きして…… 今思えば、そうやってあいつらに抗議をしていたのかもしれないな)

「何度も話しかけてごめんね」
「いいよ、ヒマだし」
「……私の兄さんがね」
「兄さん?」
「そう、兄さん。彼が私の世界を色づけて、退屈しない日常を与えてくれるんです」
「ふーん」
「兄さんはとにかくカッコよくて、とにかく素敵で、尊くて…… なんかもう、兄さんがいるおかげで私の人生薔薇色っていうか……! 家族愛とかそんな感情をはるかに超えた強い想いが私の心を揺さぶって、みなぎる活力を与えてくれて、兄さんのことを考えると心が躍って、兄さんのためなら何でもできるっていうか、何かこう、兄さんが私の生きる力の源になっているっていうか!」
(あれ? もしかしてこの人、結構ヤバい人なんじゃ?)
 過去のエーミールは未来の自分に引いた。
 だが、楽しそうに兄さんについて語る大人のエーミールを少し羨ましくも思った。
「とにかく素晴らしい人なんですよ。私、兄さんがいるから、あの世界で起きるどんな出来事にも耐えられるというか」
「……そんな風に、自分に活力を与えてくれる存在がいたら楽しいだろうね。僕の人生は最初から最後まで平行線で、どこまで行っても真っ暗…… いや、むしろ真っ白でなんにもないから、ちょっと羨ましいや」

 エーミールは過去の自分に“羨ましい“という感情があったことに少し驚いた。
(決して、真っ白なんかじゃない。この鳥籠の中で生きていたときの私にだって、感じるものも心の動きも時間の流れも確かに存在したんだ。平行線なんかじゃない。あのクソ虫どもがやったことは絶対に許さないけど、でも…… この時間も、私にとっては……)

「あなたにとっても、いつか兄さんが大切な存在になって、世界が色づいて行くんですよ」
「え? なんで?」
「今は分からなくてもいいです。でも、私がこう言ってたことだけを覚えていて欲しいんです。あなたの人生は平行線なんかじゃない。めちゃくちゃ波打ってて、山もあれば谷もある、山の高さは空より高く、谷底は海よりも深いみたいな、そしてその山と谷を越える最中にめっちゃ逆風が吹き荒れて来るみたいな、そんな人生がこれから待っていますから」

 過去のエーミールは一瞬またキョトンとしたが、クスクスと笑いだした。
「そんな人生、かえって大変じゃん! おもしろい人だなあ」
(笑うなんて珍しい…… ていうかおもしろい人って、それ未来のあなたですよ)

「本当に、おかしな人。でも、なんだろう。僕にとって、もしかしたらあなたが、あなたにとっての兄さんみたいな存在だったりして」
「え、私が?」
「うん。なんか、今日は楽しい。あなたの話は頭おかしいと思うけど……」
「こらこら」
「でも、なんか楽しくて心が躍った。どこの誰だか知らないけど、ていうか何しに来たのかしらないけど、来てくれてありがとう」
「……どういたしまして」

(私が、過去の私にとって兄さんみたいな存在…… いやいや、これはどうもくすぐったくていけないですね)
 決して悪い気はしないも、過去の自分はこんなおかしなことを言う子供だったのかと、過去のエーミールと同じことを思った。

「さて、もう行かないと」
「ねえ、あなたはどこから来た誰なの?」
「いつか分かりますよ ……どうかお元気で」

 目の前が暗転する。
 エーミール、君はいつか力強く羽ばたいていく。
 どうか、強くあってくれ。
 何人の死を見届けることになっても――――

  • 君はいつか、どうか、強く羽ばたいて完了
  • NM名来栖彰
  • 種別SS
  • 納品日2021年10月02日
  • ・エーミール・アーベントロート(p3p009344

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