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SS詳細

ユウキュウ

登場人物一覧

フィリーネ=ヴァレンティーヌ(p3p009867)
百合花の騎士

 黄金色に実った小麦が穂をさげて、撫でるような風に揺れている。
 ただ立ち止まってその風景を見ていると、まるで黄金の海の上に立っているみたいだった。
 土と、ほのかな小麦の香り。風にのってやってきたのは、遠くで誰かがパンを焼いていたからだろうか。それともこの小麦畑のせいだろうか。
 ブルン、と耳元で声がした。連れていた馬の声だ。それで黄金の海から意識を引き戻されたフィリーネ=ヴァレンティーヌ(p3p009867)は、微笑みと共に振り返った。
 馬の頬を撫でてやると、ほんの僅かにだが頭をかしげて手に頬を擦り付けてくる。
 その様子に一層笑みを深くして、フィリーネは手綱を握った。足をかけて一息に飛び、跨がる。両家のご令嬢がやるような、お上品な乗り方ではない。荒れ地を駆ける冒険者や、もしくは荒くれ山賊がやるような動きだ。しかし馬はどこか中性的な女性を思わせる透き通った声でフィーンと鳴き声を発した。
 まるでこちらに『さあ行こうか』と誘っているかのように。
「ええ、行きましょう」
 フィリーネが手綱をひいてやると、馬は――黒鹿毛のサラブレッド『ユウキュウ』は、軽快に走り出した。
 風に波打つ小麦畑を横目に見て、思う。
 そういえばユウキュウと出会ったのも、こんな季節の、こんな風景だった。

 『家を出る』という行為にためらいがなかったかと言えば、嘘になる。
 いくらフィリーネに激しい反骨精神があったからといって、大きなお屋敷や安全な領地や、豊かな食事や上品な物品に囲まれた生活を捨てることは容易くない。勿体ないと言う言葉では足りない、大きすぎる損失だ。
 それでも家を(割と文字通り)飛び出したのは『私は偉い騎士様ですよ』と顔に書いてある男と結婚することを強引に決められてしまったからだ。
 勉強も運動も一通りの技術教養も一通りなんでも出来てしまう彼女でも――いや、そんな彼女だからこそ、『結婚すれば幸せなのだ』というレールを選択したくなかったのだろう。これが特に才なき女であったなら、そんな幸せに身を委ねたかもしれないのに。
 そして何でも出来てしまったがため、フィリーネは案外生きていくに困らなかった。
 領地から遠く離れた都市郊外のアパートメントに拠点を置き、薬草採取やらモンスター退治やら要人護衛やら危険物の宅配やらで小銭を稼ぎ生きていくことの、なんと容易いことか。
 そしてそんな生活を続けていくうち、不安は募る。
 『自分は何者にもなれないのではないか』という不安だ。

 未知なる世界に飛び出せば自分が変わると思った人間は多い。そんな人間は冒険者になり、その生活が平凡なことの繰り返しであることに絶望し、そしてその暮らしを受け入れて夢を捨てる。
 フィリーネとて十六の娘。そんな世界の渦に飲まれずにいられるほど、特別ではなかった。
 日々の糧を得るために今日も地方に出て宅配の仕事をする。
 そんな折に、いつも借りている馬が足を怪我して貸し出せなくなったという話を受けた。
「こっちの不手際なんでね。あんたさえよければ、別の馬をあてがうよ。料金も安くしておくから」
 そう馬屋の主人が言って出してきたのが……あの馬だ。
 陽光をつややかにうける黒栗毛。たてがみは爽やかになびき、低く唸る様子にはどこか色気すらあった。
「よそから引き取った馬だよ。男爵家だったんだが、没落してね……家財を色々手放したんだそうだ。こいつもそのひとつさ」
 主人の話によれば、この馬は血統の確かなサラブレッドながら幼少期に身体を弱くし、旅や狩りには適さないとして長く馬小屋に押し込められていたという。
 年齢も深く9歳の熟年馬。このまま老いて死ぬだろうと、主人は話した。

 初めて出会ったにもかかわらず、その馬との旅は良いものだった。
 まるで長く連れ添ったかのように、フィリーネの性格にカチリとはまった動きをするのだ。
 小麦畑の間を歩きながら、たてがみを撫でる。
「あなたも、将来を決められてしまったのですわね」
 哀れみでかけた言葉と手は、しかしブルンという声と首振りによって払われる。
 そして、まるでそれまでのすべてを振り払うように馬は走り出した。

 風がどこかへと遠ざかる。
 景色が急速に流れ、すべてを置き去りにしていった。
 誰よりも高く、天空の雲に手が届きそうなほど自由で――そして。

 気付けば、フィリーネは笑っていた。
 その声を聞いたのか、馬もまたフィーンと笑ったような声をあげる。
「そうですわね。こうやって、どこまでもどこまでも、悠久に走り続けていけば……」
 評判も、将来も、日常も、不安も、悲しみも、なにもかも置き去りにして走り続ければ、きっと自由だ。
 そうだった。
 忘れていた。
 自分は『だからこそ』家を飛び出したのだ。





 その日のうちに、フィリーネはその馬を買い取り、『ユウキュウ』と名付けた。
 この先長く連れ添い、駆け抜ける相棒として。

  • ユウキュウ完了
  • GM名黒筆墨汁
  • 種別SS
  • 納品日2021年09月29日
  • ・フィリーネ=ヴァレンティーヌ(p3p009867

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